見出し画像

#07.苦労に対する考え方が変わってきたなぁという話

近くに見える山の上には、もくもくとした雲がある。夏だなあ。
少し歩いた先の家には、もこもことした犬がいる。かわいいなあ。
きょろきょろしながら、家に向かってトコトコ歩く。
歩いて、曲がって、信号待って、また歩く。
突然、雨が降り出した。雨粒が結構でかい。気持ち、走ろうかな。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」

若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ(故事ことわざ辞典より)。

歩きながら、何となく考えていた。
今日だけじゃない。たまに考えることがある。

苦労ってさ、そんなにした方が良いものなのかな・・・。

昔色々とあって、中学の約3年間、家に引きこもっていた。

もしも、もしもね。もしもだよ。これを「苦労」と捉えたとしたら、果たしてことわざが表すように、良い経験だったのだろうか・・・。

この問いに対する答えは、人生の過程で変化した。


まず第一に、苦労というのは自分の中である程度消化する必要がある

引きこもりから抜け出した後の高校生活というのは、ある意味、中学生活の延長線上にあった。その頃はまだ、精神不安定な自分が学校生活を送るだけで精一杯。毎日が必死だった。

もちろん、中学の時の経験を先生以外にすることはなかったし、「自分」に対して昔のことを話すときでさえ、勝手に涙が出てしまうほど、心には余裕がなかった。

あの経験が何だったのか。それがあっての今がある。これらが自分にとってどんな意味を持つのか、それをまずは確かめなければならない。


苦労した自分を冷静に捉えられるようになると、その良さが分かってくる

高校の時は、感情に流されず客観的に自分のことを捉える訓練をしていた。その結果、少しずつではあるが、卒業する頃には冷静に自分のことを見られるようになった。

そして、感じる。
あの経験も、実はそんなに悪くはなかったかも・・・。

・つらい人の気持ちが、前よりも分かるようになった。
・人と同じでなくても良いと思えるようになった。
・自分自身との付き合い方を学んだ。
・周りがどう言おうとも、疲れたら休むことが重要だと学んだ。
・絶望を感じても、生きていれば何とかなるもんだと分かった。
・誰しもが、人には言えないような苦労があるのだと察するようになった。
・電車に乗ったり人と話をしたりという普通のことが、幸せに感じる。

また、昔の自分は人のことを考えず、偉そうだった。

うつになったことで、それが一気に崩れてくれて良かったと心から思った。あのまま大人になっていたら、無駄にプライドだけ高い嫌な奴になっていたと思う。

あぁ、想像するだけでも恐ろしい。


あの経験があったからこそ築けた関係

このように昔の経験がだんだんと消化された結果、人にも話すことができるようになった。すると、変化が現れた。

「実は、誰にも話せなかったんだけど・・・」
「これ、親友にも話せなかったんだけどね・・・」

そんな前置きのもと、昔のつらい経験を共有してくれる友人が、ちらほらと現れだしたのだ。

彼女たちとは特に仲が良かったわけではない。悪かったわけでもない。ただはっきりと「友達」といえるほどに近しい間柄ではなかった。

たいていの場合、私が不登校だったという話を聞き、「実は、自分も昔こういうことがあって・・・」と話し出すパターンが多かった。

昔の経験を共有してくれたことは素直に嬉しかったし、おかげで距離が縮まったようにも感じた。また、直接的な距離はそのままでも、信頼関係は強くなった気がした。見えない絆ができた感じ。

・・・そっか。こういうこともあるんだな。

苦労話ができるのも、悪くない。


ことわざの意味が分かったからこそ、苦労は必要はないと思う

生きづらさが無くなるにつれ、「あの時の経験が自分を成長させたんだ」と、感じるようになった。

しかし、今度はこんなことを思うようになった。

「自分は過去の苦労(経験)を過大評価しすぎていないか」

そこで頭に浮かんだのは、過去の栄光を自慢する面倒くさいおじさん。

自分もそうなりかけていないだろうか。
っていうか、なってる気がする。
これはまずい。

だから思った。
苦労って本当に必要なのだろうか。

そもそも、あの苦労は自分に原因がある。いわゆる、身から出た錆。

だから苦労をしたのに、それを「良い経験だった」と人に話すのは、なんだか恥ずかしくないか・・・。

もちろん、苦労してたくさんのことを学んだ。
でも、やっぱり苦労せずに済むのなら、しない方が良いと思う。


今はというと、別にどうでもいいと思う

他にも気づいたことがある。

昔の苦労に囚われ、今を生きれない人がいた。
苦労の量で、人を評価している人がいた。

「若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよい」

あの頃から見たら未来である今、役立ってない苦労というものもある。

だから思う。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」

別に、どうでもいいよね。

そんなことよりも、自分の人生を謳歌する方が大事。
だから、そこに結び付くのなら、苦労しても良いんじゃないかな。

でも、苦労するならするで、自分自身でちゃんと消化することが大事。


ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?