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小説という化け物と対峙する金原ひとみ氏について

私は普段主に女性の作家ばかりを読む。別にわざとではない。「男性作家なんて絶対読まないわ!」とかいう過激思想を持ってるわけでもない。惹かれる作品がたまたま女性作家だったという事だけれど、振り返ってみると、本当に女性作家ばかり読んでいる。
残念ながらそこまで熱心な読書家ではないので、読んでる作家さんの数もしれてるし、年間読む本数も本当の読書家の人からしたら鼻で笑われるような数だと思うけど、でも一応「読書好き」ではある。
今読んでる作家さんのうち、「この人の絶対的に女性の味方でいてくれるところが好き」「この人は作風が好き」「この人は好きな物、感性が似ててむしろ友達になれそう」など、いろんな視点からそれぞれの好きなところを見出しているわけなんだけど、私が長年、大声で「ファンです」とは言えない、それどころかあんまり人前で「読んでます」とも言えていない作家がいる。
それは「金原ひとみ」である。

「蛇にピアス」で華々しくデビューし、綿矢りさと同時に芥川賞を受賞したあの当時、私は一応作家を志していたので、年齢の近しい若い世代の二人の作家が現れて、気にせずにはいられなかった。そして、なぜか私は当時、勝手に「私はきっと綿矢りさ派」なんだろうなと思っていた。しかも、読む前から(笑)。ドがつく偏見の塊で、当時の金原氏の容姿を見て「あ、ギャルだな、苦手なタイプだわ」「ギャルが書く分文学なんて私に合うはずもないわ」なんて考えていたし、実際「蛇にピアス」は個人的にそこまで刺さる作品ではなかった。でも、その後なぜか私は彼女の作品をほぼ全作品読破する事になる。逆に綿矢作品は「インストール」「蹴りたい背中」以外はほとんど今にいたるまで読んでいない。

ならば私は「金原派」だったのか。それもなんか違う。というのも、はっきり言うと私は金原作品の「作風」は全くといって、本当に全くといって、好みではない。金原作品あるあるを少し上げるとすると「女の名前だいたい2文字」「主人公の職業作家多し」「モテる風貌」等他にも色々あるんだけれど、とにかく「東京に住んでたくさん恋愛をしてきた現代社会を生きる都会の人間」にしか書けないそれがあって、私の好む作風とは全く異なるのだ。私は恋愛至上主義者じゃないし、モテた事もないので金原作品の主人公のように「帰りたくなかったらナンパ待ちして男に奢ってもらってやり過ごす」なんて考えは沸いて出てこないし、そこまで過激な性描写が出てくる小説にも興味はない。ではなんで読み続けているのか。
多分きっかけは、2007年に発売された「野生時代」の金原ひとみ特集号を読んでだと思う。インタビューを読んで、自分より少し年上程度の彼女が「小説という化け物と常に真摯に対峙している」事を知る。めちゃくちゃストイックで、本当に書くことによって救われているような人。作風どうのではなく、その小説家としての在り方、「小説という化け物への向き合い方」が心に響いた。というか、もう単純に「死ぬほどかっこいいなこの人」と思った。
多分そこから、今に至るまでほとんどの作品を読んできた。(多分今日現在でまだ読めてないのは「腹をすかせた勇者ども」だけかな)近年の作品は多少作風が変わってきていて、新刊の「ハジケテマザレ」なんかは今までにない深夜ドラマとかにでも出来そうなフランクで比較的明るく、笑いどころもたくさんある、いわば「パリピ系小説」で、面白く読めたが、でも毎回読み終わって「うん、やっぱり、好みじゃないな☆」って思う(笑)。でもこれからもきっと、読み続けると思う。

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