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独身30代は浪人生と同じ

 人生の三大競争と言えば受験・就活・婚活だろう。このうち、受験と就活に関しては進路がガチガチに定められている。大学受験であれば多くは一浪まで、せいぜい二浪までだろう。就活も同様で、大体が25歳までに大企業に就職している。就職浪人は一般的ではなく、基本的に一発勝負と考えるべきだ。

 ところが婚活の場合は異なる。こちらの方はレールが敷かれているわけではないし、年齢要件も就活ほど厳しくない。だからこそ若い間は遊びたいと考える人間が多くなるし、婚活に失敗する人間も増加するのである。

 大学受験の浪人とはどういう制度だろうか。現役で合格できなかった人間がもう一度勉強してチャレンジする行為に他ならない。浪人して身に付くのは大学受験のスキルであり、実社会の生産性を上げるスキルではない。浪人生がイスを取った分、現役生のイスは奪われる。そして、同じ数だけ翌年の浪人に回るのである。

 浪人生の存在は個人の人生にはそこまでマイナスではない。大学受験の浪人がコンプレックスという人間は見たことがないし、一発勝負よりも再チャレンジ可能な制度の方が仮に現役で合格するにしても精神衛生上良い。

 ところが、社会的に見ると大学受験の浪人はロスである。浪人はいわばゼロサムゲームのイス取り競争に明け暮れているだけなので、若い労働力が不毛な受験技術の習得に吸い込まれていることになる。だからこそ、自然の秩序として「大学受験は二浪まで」というコンセンサスが企業によって形成されていったのだ。

 婚活はどうだろう。あまりに早すぎると学業に支障をきたすので問題だが、就職してしまえば結婚しても問題になることはない。となると、結婚は速いほうが有利なのではないか。子育てとキャリアに関しても、早く結婚したとして早く出産しなければいけない道理はないのだから、時間的な余裕はできる。

 ではなぜ結婚がもっと遅いかというと、それは「もっと良い相手がいないか」などと探し回っているからではないか。同年代の女性の供給は増えないし、年齢が行くに連れて不利であることも多いから、実は社会人の独身期間はモラトリアムどころか、浪人期間なのではないかと思う。若い間は金がなくて結婚できないという話があるが、ここにそこまで経済的な合理性はない。こういう人間は貧乏な独身中年になるつもりで人生設計を行っているわけではないだろう。生活するにしても、二馬力の方が家賃等で有利である。

 婚活はゼロサムゲーム的な競争であり、婚活期間が伸びたところで有利になるわけでもない、社会的なロスはむしろ大きい。恋愛できる回数は多いかもしれないが、実のところ恋愛は結婚や家庭への通過点でしかなく、そこにいつまでも固執しているようでは問題になる。こうなると、婚活の先延ばしは大学受験の浪人にかなり似ているのではないかと思う。

 婚活は受験や就活と違って明確な年齢制限がない。もし受験や就活に年齢制限がなかったらどうなるのだろう。それをよく表しているのが旧司法試験だ。この試験は日本最難関と言われ、合格するまでに5年10年は当たり前だった。弁護士の供給は一定だから、浪人生が増えたところで弁護士の人数は変わらない。むしろ浪人生が膨れ上がったことで弁護士になるまでの平均年数がどんどん長くなってしまったのだ。

 それでも受かった人間はまだ良い。受からなかったベテラン受験生の方が多かった。彼らは悲惨だ。ロクに職歴もなく、社会の負け組としてフリーターになっていった。旧司法試験はいくつもの若い労働力を試験に釘付けにし、大勢の人間の人生を破壊してきたのだ。

 婚活も実は旧司法試験に近いのかもしれない。明確な年齢制限が無いため、どんどん相手を確定させるのを先延ばしにしてしまう。晩婚化が進み、本来育児に使われるはずだった若者の労働力が消滅してしまう。それでもまだ家庭を形成できれば良い方だ。未婚化や高齢の結婚に伴う不妊の方が深刻である。だらだたと年数が経過してしまい、家庭形成を棒に振ってしまった人々である。

 以前の婚姻率が高かったのは、結婚に関する社会的な圧力が強かったからだ。これは浪人に制限をかける社会的な慣行に類似した効果をもたらした。社会的圧力によって先延ばしで良い相手を見つけたいという願望をあきらめさせ、先に進ませるわけである。ところがこういった圧力が最近は薄らいでしまったので、何も考えずに30代後半になってしまい、失敗するというケースが後を経たない。

 こう考えると、独身期間は浪人と同じと考えたほうが良いかもしれない。20代後半の結婚は現役、30代前半は一浪、ここまでが普通の範囲内だろう。30代後半は二浪相当でなんとかギリギリセーフと言った感じか。40代前半になるとアウトである。何とか起死回生ができる人間もいなくはないが、それは一部であり、普通の人が真似してはいけない。

 筆者が最近思うのは、夢を追いかけるべきという最近の風潮は本当に正しいのか?というものだ。成功できる人間の枠は決まっている以上、浪人は少ないほうが良い。浪人が増えれば社会的なロスは大きくなるし、個人の選択肢も増えるようで狭まっていく。将来の夢や目標を大きくもたせるような風潮は大量のワナビーを生み出し、苦しむ人を増やすだけだろう。

 というわけで、社会的には勝ち組と負け組の選別は早いほうが良い。一発勝負でやり直しの効かない社会は閉塞感が高まるが、どのみち成功者と失敗者の人数比は変わらない以上、若いほうがマシだろう。高齢で何かを成功させる人間を褒める風潮はワナビーを生み出す恐れがあり、良いことかは微妙である。真の目的は若者の目を社会的成功から家庭へと向けさせることだ。40歳まで夢を追いかけて挫折した人間は全てを失う、20歳で挫折した人間はまだ結婚して家庭を築いて平凡な人生を送るという逃げ道がある。社会的にはむしろそちらの方が健全だろう。JTCの新卒一括採用・終身雇用という制度は結構日本社会にとって大事だったのかもしれない。22歳で一生の身分が決定されるので、その時点で可能性は消滅するが、その代わりに結婚に目が向くようになる。可能性は次世代に託され、世代交代がうまく行くというわけである。

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