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映画「オッペンハイマー」を見てきた感想

 ついに話題のオッペンハイマーを見てきた。感想記事を早速アップしたいと思う。

学者オールスターズ

 主人公はロバート・オッペンハイマーという物理学者である。アメリカの原爆開発の総責任者として知られる。オッペンハイマーはなんとハーバード大学を首席で卒業しているようだ。すごすぎる!!日本で例えるならば成田悠輔や山口真由といったところか(いや、この表現だと陳腐化するか?)

 他にもオッペンハイマーに登場する人物は大物ばかりだった。筆者はマニアなのでワクワクしてしまった。

 序盤に登場したのがボーアである。ボーアはデンマークの物理学者で、量子力学の提唱者として知られる。彼の不確定性原理はアインシュタインらの激しい批判を読んだ。作中でも「神はサイコロを振らない」というセリフが登場していた。

 アインシュタインは作中の要所要所で登場している。なんというか、独特の社会不適合感が漂っていた。アインシュタインはドイツ出身なので、英語はノンネイティブである。オッペンハイマーではこのあたりも忠実に再現されていたのが面白かった。はだしのゲンではアインシュタインは原爆開発の責任者のように描かれていたが、後にアインシュタイン財団から苦情が来たらしい。アインシュタインは全てのきっかけとなった「アインシュタイン=シラードの手紙」に署名しただけだった。ちなみに筆者がオッペンハイマーという人物を知ったのも「はだしのゲン」を読んだ時である。

 アインシュタインの隣にいたのはクルト・ゲーデルだ。これまたドイツから亡命してきた学者である。ゲーデルは「不完全性定理」の証明で有名である。なにしろアメリカに亡命する際にアメリカ合衆国憲法の矛盾を指摘し、入国審査官を怒らせたとかなんとか。作中では妻の料理以外を食べないという話がされていたが、これは冗談ではなく、ゲーデルは妻の死去と共に餓死している。何らかの精神疾患を患っていたことは間違いない。

 オッペンハイマーのライバルのような感じで出てきた人物がエドワード・テラーである。この人物はアメリカ水爆の父として知られており、作中でもそれを彷彿とさせるセリフが多数存在していた。核融合反応を起こす現在唯一の方法は隣で原爆を爆発させることなのだが、これを開発したのがテラーである。テラーウラム式と呼ばれている。ちなみに一緒に挙げられているウラムは「ウラムのらせん」で有名である。テラーはハンガリーからの亡命者なので、やはりノンネイティブの発音だった。顔もバルカン半島に近い濃い顔だった。

 マイナーだったが、トルマンも登場していた。中性子星の限界質量を求める「トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界」に名を残している。中性子星はチア用質量の3倍を超えると中性子の圧力が重力に抵抗できなくなり、ブラックホールになるのではないかというものだ。オッペンハイマーは原爆開発に深く携わる前はブラックホールの研究をしており、作中でもブラックホールに関する描写が存在していた。ノーラン監督はインターステラーでもブラックホールを詳細に描いており、好きなテーマなのだろう。

 エンリコ・フェルミも少しだが登場していた。イタリアからの亡命者である。本人はイタリア人だったが、妻がユダヤ人だったから亡命したようだ。ローレンスも登場していた。フェルミはフェルミウム、ローレンスはローレンシウムと元素の名前にも名前を残している。ローレンシウムは超マイナーだが、周期表の右下の登場するので知っている人も多いかもしれない。

 確か英語は話していなかったと思うが、ハイゼンベルクも登場していた。ボーアと並ぶ量子力学の第一人者である。ドイツの原爆開発の主導者としてライバル扱いだった。ちなみに彼の弟子のランダウはノーベル物理学賞受賞者だったが、大粛清で投獄され、オッペンハイマーと良く似た経過を辿った。テラーが反ソになる原因はランダウの投獄だったと言われる。

 ブラケットという学者も登場していた。ブラケット記法のブラケットはこの人に由来していると思い込んでいたのだが、違うらしい。考案者はディラックだった。

 リチャード・ファインマンは一瞬ボンゴを演奏しているシーンが映ったくらいだった。ファインマンはかなりキャラが濃い人物で、おそらくADHDだったと思われるが、あまりそういったエピソードはなさそうだった。

 知名度は低いがハンス・ベーテも登場していた。太陽で核融合反応が起こっていることを実証した人らしい。ガモフの提唱した「αβγ理論」でも知られる。

 アルバレスという人物がロスアラモスに登場していたが、この人も高名な学者だったようだ。恐竜の絶滅の原因が隕石ではないかと最初に提唱したのはアルバレスらしい。

 シラードも少しだが出演していた。ルーズベルトに原爆開発を進言した人物は彼である。アインシュタインシラードの手紙はシラードの手紙にアインシュタインが署名する形で作られたのだ。

 主人公の友達として登場したメガネの人物がラビだ。モブキャラのような雰囲気だったが、なんとノーベル物理学賞の受賞者だった。

 作中で度々登場するクラウス・フックスはソ連のスパイである。当時イギリスにはソ連のスパイが多数浸透していた。フックスは核兵器の設計図を持ち逃げし、ソ連の核開発を後押しした。ソ連はおかげで1949年に核兵器を手にする。

 フォンノイマンは何故か登場しなかった。

登場人物の学歴高すぎ問題

 それにしても今回の映画は登場人物の学歴が高すぎる。ここまですごい人が集まっている作品は珍しい。登場人物のうち、ノーベル賞を受賞したのはアインシュタイン・シラード・ローレンス・ベーテ・ファインマン・ラビ・アルバレス・ボーア・ハイゼンベルク・フェルミである。多分これで全部だと思う。頭がバグりそうである。

 他にも高等教育を受けているのは当たり前のような雰囲気だった。一般人のような扱いのオッペンハイマーの弟のフランクも、物理学者である。妻のキティは元は生物学者だった。愛人のジーンは精神科医である。なんかものすごい世界である。

 グローブスは元々工学系の専攻だったように言われていたが、どうも彼はマサチューセッツ工科大学を一年で退学し、ウェストポイント士官学校に入り直している。どうにも仮面浪人だったようだ。実質3浪だろうか。

 オッペンハイマーを失脚させたストローズは靴売りから政治家にのし上がった人物だ。この映画の登場人物にしては珍しく学歴が高くないようだ。そのことに劣等感を持っていたかのようなセリフがあった。

 ところでトルーマンを演じていたのはゲイリーオールドマンだったらしい。全然分からなかった。この手の伝記映画は最近は特に本当に似ている。「レオン」の時と比べると本当に老けたなあ・・・

 さらに言うとキティ役のエミリーブラントも結構老けていた。白人は東アジア人に比べて10歳くらい老けて見える気がする。

原爆開発

 個人的には原爆開発のもっと具体的な話が出てくると期待していたのだが、そういったシーンは少なかった。瀑縮レンズを苦労して考案した話など、秘話が見れるのではないかと期待していたのだが、カットされていた。オタク以外喜ばないと思われたのだろうか。

 初の核実験であるトリニティ実験のシーンは気合が入っていた。一方で広島や長崎の投下シーンは存在しなかった。抗議を恐れたのかもしれないし、オッペンハイマーが見たわけではないからかもしれない。完成された原爆が当事者の手を離れて輸送されていく様子はリアルである。戦争遂行というのは無数の分業制で成り立っており、個々人が関与できるのは担当の小さなセクションだけなのだ。

 それにしてもロスアラモスの町を作ってしまうアメリカの国力は桁違いだ。研究者の家族のための学校まで備えてしまうのだ。アメリカの経済力がいかに圧倒的だったかを証明する逸話だ。食料供給すらままならない日本とは大違いである。

 それにしても、愛する妻が家で待ちながら、原爆開発という大役に打ち込めるオッペンハイマーは羨ましい限りである。男性の夢ではなかろうか。なお、筆者は核開発それ自体が邪悪だとは考えていない。ガソリンや出刃包丁が邪悪な存在ではないのと同じだ。核開発のお陰で人類のフロンティアは確実に広がった。あんな危険なものを人口密集地帯に打ち込もうという発想が良くないのである。

オッペンハイマーは有罪なのか

 とはいえオッペンハイマーは原爆開発の中心人物であり、広島・長崎の惨状に責任を負うのかという話は出てくる。オッペンハイマーは核兵器を開発しただけで、使った訳では無いので問題はないという意見も作中では出てきた。

 ただ、実際にオッペンハイマーが免罪されるかは微妙だ。同じ大量破壊兵器が使用された1995年の地下鉄サリン事件では首謀者・サリン開発者・実行犯の全てが死刑となった。特に殺人事件に直接関与した訳では無い土谷正実を死刑にできるのかが争点となったが、裁判所は「松本サリン事件で大量の死者が出たことを認識していたにも関わらず、サリン開発を続けたのは殺人を企図していたからに違いない」として土谷正実に死刑判決を下した。松本サリン事件では殺人幇助に留まった。オッペンハイマーは原爆投下を見て考えを変えているから、殺人犯とまでは言えないのだろう。オッペンハイマーは松本サリン事件で麻原に疑問を持った世界線の土谷なのかもしれない。もちろんそんなことをすれば土谷はとうに殺されていただろうが。

 トルーマンは原爆投下に積極的だったというイメージが持たれているが、実際のトルーマンは原爆のことを良く分かっていなかったらしい。1945年の4月にルーズベルトが死亡し、始めてマンハッタン計画のことを知らされた。目標の選定にもあまり関わっていなかったようだ。なんとなく婦女子の大量殺戮を良くないという考えはあったようで、不本意だったようだ。日本が降伏をほのめかす8月11日の時点でトルーマンは原爆投下作戦を中止している。もし作戦が続行されていたら8月20日に3発目が投下されていたと言われる。標的はおそらく新潟だった。

 原爆投下を強く推進したのはグローブスとも言われる。これほどまでの予算と人員を投入したのだから、使わないなんて勿体ないということのようだ。実際、原爆投下に伴う現場の態度は意地のようなものもあったと思われる。長崎原爆の作戦は失敗しかけていたが、現場部隊はみすみす原爆を捨てて帰ることはしたくなかったので、長崎になんとか原爆を投下したのだった。マンハッタン計画も似たようなものだろう。

 なお、繰り返すが、人口密集地帯に核兵器を使用することは現代的な感覚で容認される可能性は低い。二度の原爆投下は3月10日の東京・下町空襲で10万人の死者が発生し、人命感覚が完全に狂っていたことが原因の一つだろう。

 広島原爆の威力は思われているほど強力ではない。爆発の威力も3キロほど離れれば致命的ではなくなる。砂漠地帯で爆発させれば大した効果はないだろう。トリニティ実験でも普通に学者たちは核実験を観察していた。それじゃあ広島の惨状は何なんだという話になるが、これは人工的に作られたものである。広島は選定の段階で最も威力が出やすい都市として確保されていたし、幾度となく予行演習が行われ、確実に市の中心部に投下するように計画されていた。広島の惨状は核兵器の邪悪さの結果である以上に米軍の綿密な作戦行動が起こした悲劇だったのである。

オッペンハイマーの女性関係

 オッペンハイマーの妻のキティと愛人のジーンはいずれも共産主義者だった。この時代の女性にもインテリはいたのだ。キティはどうにも男運が悪いようだ。オッペンハイマーは4度目の夫となる。それまでの結婚はどうにもうまく行かなかったらしい。オッペンハイマーと結婚後も育児のストレスで酒浸りになっているようだった。

 作中のエロシーンに登場するのがジーンである。全裸で抱き合いながらフロイトの話をしていたのは面白かった。インテリの皆さんはこんな感じなのだろうか。サンスクリット語の詩にも興味津々だった。合コンでこういう話題を出しても真っ先に引かれるだろう。筆者は以前合コンでオーウェルの話をしてドン引きされたことがある。なお、オーウェルは作中にも登場したスペイン内戦に参戦している。

 作中に引用された「われは死神なり。世界の破壊者なり」と言う詩はサンスクリット語の詩によるらしい。どうでも良いけどサンスクリット語のスクリットは英語のscriptと同根である。こんなところで印欧語族は繋がっているのだなあ(感動)。

 なお筆者は衒学趣味に理解のある彼女くんと一緒に映画を見たのだが、精神科医見習いなので、ジーンと似ている。ただ、ジーンはどうにもレズビアンの気があったようだ。結婚していないのもそのためかもしれない。作中に登場する物理学者の話で熱く盛り上がってしまった。ホルクハイマーとか、アルツハイマーとか、ドイツ系はなんちゃらハイマー多くね?という話にもなった。セキスイハイムとかあるし、家系の意味なんじゃね?と指摘され、ググってみたらその通りだった。北欧神話の「なんちゃらへイム」も同根なのかねえ。

最終的な感想

 世界的ヒット作だけあって、そこそこ面白かったとは思う。ただ、後半の裁判シーンがやたらと長かったり冗長なところはあった。ストロースとの対立の辺りとか、経緯が良く分からなかった。筆者はトリニティ作戦がクライマックスだと思っていたので、まさかこの後1時間も続くとは思っていなかった。終盤はトイレを我慢していたので、結構辛かった笑。

 有名どころの人物はだいたい登場していたが、マッカーシーとフォンノイマンは登場しなかった。最後の方にチラッとケネディが名前だけだが出ていたのは面白かった。あとストロム・サーモンドも登場していた。この人は100歳という史上最高齢で国会議員をやっていた人である。

 作中で原爆はプロメテウスの火に例えられていた。福島原発事故の後に朝日新聞が核エネルギーをプロメテウスの火になぞらえたコラムを連載していたが、この発想は結構メジャーらしい。

 一応この作品はオッペンハイマーの葛藤と赤狩りの苦悩などを描いた作品とされているのだが、この点は今ひとつ伝わらなかった。むしろ家庭生活の危機がリアルに伝わってきた。

 核兵器の惨禍に目をつぶるなら、マンハッタン計画に参加した達成感は非常に大きいものだと思う。プロジェクトXのような雰囲気だった。人類のプロジェクトの中でも文句なしのナンバーワンだろう。マンハッタン計画には何人ものノーベル賞受賞者が参加し、人類の総力を結集した計画だった。核兵器をゼロからわずか3年で作ってしまうアメリカの国力たるや相当のものだろう。北朝鮮やパキスタンは他国の援助を受けてなお、30年もの時間が必要だった。

 しかし、オッペンハイマーは戦後になって核兵器に反対するようになった。第二次世界大戦の時点では戦時中ということもあって強い罪悪感はなかったようだが、戦後になって核開発競争が激化し、怖くなったようだ。このような人物は珍しいことではない。アインシュタインも戦後まもなく反核運動の第一人者になるし、ソ連水爆の父と言われるサハロフもまた、反核を主張して投獄されてしまった。やはり途中で怖くなるのだろうか。運ばれていく原爆が自分の手を離れてしまったことにオッペンハイマーは複雑な気持ちを抱いていたが、自分の生み出した発明品がどんどん自分の手の届かぬところで増殖していくさまは恐ろしかったに違いない。核兵器は冷戦末期の時点で7万発に達していたと言われる。世界を何度も滅ぼせる量である。当事者が恐怖を覚えるのも無理はないだろう。

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