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21世紀の二大政治勢力はリベラルエリートと右派ポピュリストである

 政治的対立軸は時代によって大きく異なる。中世は領地の争いが対立軸だった。近世のヨーロッパは宗教を巡って争った。20世紀後半の世界は資本主義と社会主義に引き裂かれた。今後もこうした対立軸は変化し続けるだろう。

 20世紀の政治的対立軸は19世紀の対立軸とは違うし、21世紀の対立軸とも違う。2020年代になり、世界ではいよいよ20世紀的な対立軸が姿を消し、 21世紀型の対立軸が姿を表してきた。19世紀の政治的対立軸は保守主義と自由主義だったが、20世紀になると資本主義と社会主義になり、21世紀はリベラルと右派ポピュリズムになりつつある。今回はこうした対立軸の変化について論じたいと思う。

二大政党制はなぜ生まれるのか

 多くの国で政治的対立は2つの勢力によって争われる。二大政党制が公式に行われている国もあれば、いくつかの政党が組んで二大勢力となっている国もある。いずれにせよ政治的争いというのは2つの勢力によって争われることが多い。二度の世界大戦も冷戦も陣営は2つだった。「2」という数字にはなぜ政治的必然性があるのだろうか。

 政治学にはデュヴェルジェの法則というものがある。N人の候補が当選する選挙ではN+1人の候補によって選挙が争われるという法則だ。理由は簡単だ。絶対に落選する候補に投票しても無意味だからだ。例えば3人の枠がある選挙区を仮定しよう。5番人気以下の候補者は落選する可能性が高いので投票しても死票になる。政治的影響力を行使したかったら当落ギリギリの3番人気か4番人気の候補に投票するべきなのだ。

 政権を獲得できる政党が1つとすると、法則に基づき政党は2つになる。3番手以下の政党に投票しても絶対に当選しないため、二大政党のうち自分と政策的考えが近い候補に投票した方が政治的影響力を行使できるからだ。票割れをするくらいなら二大政党に投票するというのが合理的な有権者の行動だ。議会選挙は連立交渉が可能なのでこの限りではないが、直接選挙の大統領制は二大勢力で戦われることが多い。

19世紀の対立軸と20世紀の対立軸

 政治的対立軸は国によってまちまちなので、一概に言うことはできない。しかし、その時代のメジャーな政治的対立軸というのは存在する。二大勢力のうち、片方はエリート政党でもう片方はカウンター政党であることがほとんどだ。大抵の場合、官僚と軍人は前者に好意的で、都市労働者と知識人は後者に好意的である。テロリストは大半がカウンター政党の側だ。

 19世紀の政治的対立軸は保守主義と自由主義で行われた。前者はエリート政党であり、経済左派・文化右派だった。後者はカウンター政党であり、経済右派・文化左派だ。19世紀のイギリスは保守党と自由党の二大勢力によって争われた。フランス革命や1848年革命も保守主義と自由主義の対立だ。いずれも貴族や聖職者を中心とする旧態依然とした封建制社会のエリートと、都市のブルジョワ層を中心とする新興階級の間で起こった対立である。アメリカでも奴隷制を維持する民主党と奴隷制に反対する共和党の間で対立が発せし、南北戦争が勃発した。

 しかし、19世紀の終盤からこの対立軸は徐々に崩れ始める。嚆矢となったのは1871年のパリ・コミューンだ。ここに来て社会主義者という新たな勢力が生まれた。20世紀序盤にかけて社会主義運動はますます勢力を増し、ついには1917年のロシア革命に繋がった。20世紀の終わり頃まで、世界は資本主義と社会主義に二分されていた。

 20世紀の対立軸は資本主義と社会主義の対立だ。前者はエリート政党であり、経済右派・文化左派だ。後者はカウンター政党であり、経済左派・文化左派だ。マルクス主義が宗教や君主を激しく攻撃したため、資本主義を擁護する勢力は文化右派の立場を取った。

 19世紀のテロリストは大抵が自由主義を掲げていたのだが、20世紀に入ると社会主義を掲げるようになった。イギリスの政党制は第一次世界大戦後に保守党と労働党の二大政党制に再編され、自由党は忘れられた。アメリカも小さな政府を掲げる共和党と大きな政府を掲げる民主党が対立するようになった。両者の掲げる思想は19世紀とは様相を異にしており、今度は共和党の方がエリート政党となっていた。欧州大陸では右派勢力がキリスト教勢力を取り込み、宗教系の保守政党が強かった。

21世紀の対立軸

 この構図が崩れ始めたのが1979年のイラン革命だ。1789年のフランス革命で自由主義革命が始まり、1871年のパリ・コミューンで社会主義革命が起こったのと同じだ。ホメイニはパリで革命運動を行い、皇帝の亡命と共に帰還した。右派ポピュリスト革命の原型となった事件である。

 これ以降、イスラム世界では原理主義がブームとなる。イランは米ソ両方に反対し、モスクワ五輪とロス五輪の両方をボイコットしている。資本主義でも社会主義でもない「第3勢力」としてのイスラム主義に世界は衝撃を受けた。イスラム世界は特殊な地域と認識されることが多いが、実はこの動きは21世紀の対立軸の萌芽だったようだ。

 現代では忘れられているのだが、1970年代まで中東のテロリストは世俗主義の社会主義者が多かった。ファタハやPFLPといった組織はソ連にシンパシーを持ち、しばしば日本赤軍やドイツ赤軍と協力関係にあった。1980年代にソ連の凋落が明らかになると、中東の不満分子は別の拠り所を求めるようになった。アルカイダやISISといった過激な勢力に加盟するものもいる。パレスチナでは社会主義のファタハはすっかり牙を抜かれ、イスラム原理主義のハマスが抵抗運動の主役となった。

 対テロ戦争が活発だった2000年代はイスラム原理主義はイスラム教に固有の暴力性が由来で、近代文明とは和解不能な異常集団と思われていた。しかし、彼らをポスト冷戦期に生まれた右派ポピュリストと考えればそこまで不思議な存在ではない。アルカイダやISISは単なる極右テロリストであり、イスラム世界に限らずどの文化圏でも発生しうる輩だ。彼らは世俗主義を掲げる欧米よりの体制エリートと激しい対立をしている。

 より穏健な勢力もある。エジプトでは軍部がカウンター政党のムスリム同胞団を弾圧している。軍部はナセル主義の流れをくむ欧米志向のリベラル政権で、イスラム主義に与すつもりはない。イランは右派ポピュリストのイスラム主義政権が独裁統治を行っており、リベラル勢力は沈黙を強いられている。

 続いてこの構図が明白となったのは東欧だ。ソ連崩壊後の東欧では社会主義が輝きを失っていた。アメリカの資本主義・民主主義が国家を発展させる唯一の方策という価値観が共産党エリートの間でも浸透していた。社会主義を掲げる政党はあっという間に衰退し、党官僚は西側寄りの自由主義者へと鞍替えした。

 代わって不満の受け皿となったのは右派ポピュリストだ。彼らは西側寄りのリベラルエリートに対する対抗馬として民族主義を掲げた。ポーランドの「法と正義」やハンガリーのフィデスはこうした政党の代表格だ。彼らは民族主義や伝統的な価値観を標榜しつつ、労働者を保護する政策を打ち出す。ユーゴスラビアは各共和国の指導者が一斉に民族主義に傾いたため、悲惨な内戦が勃発した。

 こうした動きの原因には社会主義の失墜により20世紀的な対立軸が見捨てられたことだ。リベラルエリートと右派ポピュリストという対立軸は21世紀の政治の中で顕著な傾向となる。エリート政党の前者は経済右派・文化左派であり、カウンター政党の後者は経済左派・文化右派だ。20世紀のテロリストは極左が多かったが、21世紀のテロリストは極右が多い。イスラム世界に目立つが、ウクライナのアゾフ連隊などどの地域にも発生しうる。

 2010年代になると21世紀的対立軸は他の地域でも見られるようになった。インドでは建国以来、国民会議派が与党の座にあり、社会主義政策を実行していた。インド人は独立の英雄のネルー王朝に永遠に感謝しており、他の政治体制は考えられないようだった。しかし、2010年代になるとこの構図は変わる。国民会議派は下野し、右派ポピュリストのモディが長期政権を構築した。モディはイスラム教徒に対する暴動を黙認する等の批判があるが、今のところ政権基盤は盤石だ。国民は伝統的エリートのネルー家に飽きてしまったようだ。

 2020年代のアメリカでも対立軸の転換が見られる。2016年のトランプ当選以降、アメリカ共和党は変わってしまった。20世紀の共和党は自由主義を愛する資産家や自営業者の党だったが、トランプ派が主導権を握るに連れ右派ポピュリストの党という性質が強まっている。対する民主党もいつの間にかエリート政党に成り果てていた。インドと同様に、社会正義を語る伝統的エリート政党と庶民を引き付ける右派ポピュリスト政党という構図が生まれつつある。

 右派ポピュリストが躍進している国といえばトルコを忘れてはいけない。20世紀のトルコはイスラム世界から距離を起き、世俗主義政策を協力に推し進めていた。20世紀トルコの二大政党制はケマルの流れをくむ経済左派・文化左派の共和人民党と、エリートの一部が離反して作った経済右派・文化右派の民主党を始めとする野党勢力だった。しかし、20世紀の終わり頃から宗教政党が躍進し、公正発展党のエルドアンは20年も政権を取り続けている。現在のトルコは西側志向の伝統的世俗主義エリートと庶民派のエルドアン政権の間で対立が続いている。

 イスラエルも21世紀型の対立軸が目立つ。イスラエルは伝統的に世俗主義の労働党が政権を取っていた国だ。しかし、21世紀になってから右派ポピュリストのリクード勢力を伸ばし、政権を独占している。地政学的理由により両者共に強い親米路線だが、リクードの政策はハマスとそこまで変わらなくなっている。アラブ世界でイスラム主義が伸長するのに合わせてイスラエルでも右派ポピュリスト政権が勢力を拡大するのは興味深い。

 西欧でも近年は右派ポピュリスト政党の躍進が見られる。ドイツのADFやフランスの国民戦線などだ。これらの政党は二大政党と考えるには弱いが、反移民の機運に乗じて伸長する可能性は大いにある。

当てはまらない国

 政治的対立軸は国によっても大きく違うので、当然当てはまらない国も多い。

 例えばラテンアメリカは現在でも経済右派と経済左派の対立が最大の政治的対立軸だ。ブラジル・メキシコ・アルゼンチンの政治は右派エリート政党と左派ポピュリズム政党が交互に政権を取っている。左派にとってはキューバは憧れの的であり、福祉国家を目指しては経済が破綻するという現象を繰り返している。「21世紀の社会主義」を標榜し、GDPが半分以下になったベネズエラは極端な例だ。一方で右派政権は一昔前まで軍事政権が多く、残忍な弾圧を繰り返していた。ラテンアメリカの貧富の格差は大きく、問題として残り続けるだろう。

 ラテンアメリカはユーラシアの中心地から遠く離れており、一言でいうと僻地だ。そのためラテンアメリカは世界の潮流から遅れた動きを見せることが多い。二度の世界大戦もラテンアメリカにはほとんど影響を与えなかった。この地域ではキューバ革命まで自由党と保守党が並び立つ19世紀的対立軸が残っており、21世紀になってもユーラシアでは時代遅れになった経済的左右対立がメインである。

 旧ソ連でも21世紀型の対立軸はまだ少ない。ロシアのプーチン政権は元共産党員を中心とした復古主義的な政権だ。右派ポピュリストに近い面もあるが、それよりもソ連風の多民族帝国の方がプーチンの理想に近いだろう。ベラルーシのルカシェンコや中央アジアの権威主義政権も同様だ。国民国家形成の都合上、民族主義を盛り上げることはあっても、基本は共産党OBによるエリート統治であり、旧来の地域秩序を動かすものではない。プーチン政権の崩壊を期待する論者は多いが、後に成立する政権は右派ポピュリストの可能性が高く、むしろ西側にとって危険かもしれない。

 ウクライナは民族主義勢力が強い。ただし、通常の政治軸とはねじれている。中東欧諸国とは逆に、ウクライナの伝統的エリートは親露であり、欧米への接近を志向しているのは右派ポピュリスト政党である。欧米寄りのリベラルエリート勢力は強くない。圧倒的な人気を誇るゼレンスキーはポピュリストではあるが、21世紀型の右派ポピュリスト政権かは微妙である。

 ウクライナと同様にねじれているのはシリアだ。シリアの政権は冷戦時代の左派政権に端を発しており、一貫して反米だ。ただし、価値観としては西側のリベラルに近い。一方の反体制派はアルカイダを始めとしたイスラム主義勢力の影響が強く、西側とは明らかに価値観が異なる。ISISも彼らから派生した一派だ。西側のシリアへの対応が一貫性を欠いた理由はこれだろう。反体制派は熱心なムスリムばかりで、世俗主義者やキリスト教徒は軒並みアサド政権支持だったのだ。西側に親和的な反体制派に武器を供与したものの、シリアの政治スペクトラムでは居場所がないので早期に瓦解してしまった。

 21世紀型の対立軸はおろか、20世紀型の対立軸すら見られないのが日本だ。日本の政治の最大の争点は憲法9条の問題だったと言っても過言ではない。自民党も野党もほとんど経済政策が変わらず、経済的左右軸が存在しなかった。宗教的にいい加減な国民性の影響か、文化右派と文化左派の対立軸も盛り上がらなかった。結果として自民党の一党優位体制が長期に渡って続く、世界的にも奇妙な政治文化が見られる。

 日本に二大政党制は今のところ定着していない。日本は均質性が高く、政治的な価値対立が少なかった。国民の政党に対する評価点はもっぱら政権担当能力であり、こうなると経験豊富な自民党が圧倒的に有利だ。日本はカウンター政党が極めて脆弱な、世界でも珍しい国だったのだ。


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