欧州で次の紛争が起きるのはバルカン半島?

 2022年のロシア軍のウクライナ侵攻は欧州の安全保障戦略に衝撃を与えると同時に、戦争が過去のものであるという認識が間違っていることを示した。今後、欧州で紛争の火種が存在するとすればどの地域だろうか。最近よく挙げられるのがバルカン半島である。この地域は世界で最も悪名高い紛争地帯として常に話題になっていたが、21世紀になってからは大人しい状態が続いていた。

取り残された西バルカン

 第二次世界大戦後の欧州は戦前とは打って変わって平和になった。それまで欧州には多数の国民国家が存在し、お互いを敵視していたが、二度の世界大戦の反省から、フランスとドイツのような仇敵が和解を始めたのだ。冷戦組織から始まったECは東西冷戦後に東に拡大し、東欧諸国も加わった。欧州諸国はNATOとEUの下で繁栄を謳歌している。全ての三カ国が同盟関係にあるため、内部の軍事的緊張は全くないし、外敵からも完全に守られている状況だ。政治体制はすべての国が民主主義で、政情は安定しており、経済的にも概ね豊かだ。

 しかし、そんな欧州の中にもEUに入れずに取り残された国々が存在する。欧州にありながら発展途上国のように貧しい、それが西バルカン諸国だ。具体的にはセルビア・ボスニア・モンテネグロ・アルバニア・マケドニア・コソボの六カ国を指す。

 こちらは欧州の一人あたりGDPを示した図である。西バルカン諸国は欧州にありながら、周囲の国よりひときわ貧しい事がわかる。西欧諸国はもちろん、ロシアやトルコよりも下だ。旧ソ連諸国を除く欧州ではこの六カ国は一人あたりのGDPは最下位の六カ国となる。因みにこの六カ国の次に貧しい国はブルガリア・ルーマニア・ギリシャの東バルカン諸国だ。

 西バルカン諸国はEUへの加盟も認められていない。貧しいからEUに加盟できないというのもあるし、EUに加盟できないから貧しいというのもある。西バルカン諸国は一般的な意味の欧州のイメージからはかけ離れた地域であると考えることができる。もちろん加盟候補国ではあるのだが、ウクライナですら加盟候補国になれることを考えると、あまり意味はなさそうだ。

欧州の孤児、セルビア

 もっともEUだけが全てではない。イギリスやスイスのようにEUに加盟しなくても繁栄している国は存在するし、西側陣営の仲間になることも可能だろう。

 西バルカン諸国は金持ちクラブのEUからは締め出されているが、NATOには加盟している国がある。アルバニア・マケドニア・モンテネグロはNATOに加盟しているため、れっきとした西側諸国であるし、内外の不安もある程度は切り離すことができる。

NATOにもEUにも加盟していないバルカン半島の三カ国は
欧州において「貧困と不安定の飛び地」となっている。

 火種となるのは残りの三カ国、セルビア・コソボ・ボスニアだ。このうち、ボスニアは西側による信託統治のような状態になっていて、コソボは独立の経緯からして西側への依存度が高い。残るはセルビアだ。セルビアは欧州で唯一西側に敵対的な国家であり、欧州で最後の火種となる国家と思われる。セルビアは伝統的にロシアと親しく、反米陣営の国と考えて間違いない。

 欧州統合の機運からすると考えられないが、セルビアは完全な反米の紛争国家だ。1990年代のユーゴ紛争でこの性質が明らかになった。まさか欧州で野蛮な殺し合いが起こるとは誰も考えなかったので、国際社会は驚いたものだ。バルカン半島の紛争は終わってなどいなかったのである。

 この紛争で中心的な役割を果たしたのがセルビア人だ。ユーゴ紛争は基本的にセルビア人VSそれ以外の戦いである。ユーゴスラビアから分離独立しようとしたクロアチア人・スロベニア人・ムスリム人・アルバニア人をセルビア人が食い止めようとして凄惨な戦争が発生した。特にボスニア紛争・クロアチア紛争・コソボ紛争では大勢の血が流され、NATOの軍事介入を招いた。

 自由で安定した欧州の中で唯一の不確定要素がセルビア人であり、紛争が起きるとすれば、セルビア人問題をおいて他にないことは間違いないだろう。

コソボ問題

 セルビア問題が火を吹くとすればコソボ問題だろう。セルビアが西側に敵対的な理由のナンバーワンはこれだ。セルビアはコソボを自国文化にとって重要な土地だと考えており、自国の一部だと思っている。しかし、実際のコソボにはアルバニア人の住民が多く、セルビアにとっては厄介な問題だった。1999年のコソボ紛争で独立を目指すアルバニア人と独立に反対するセルビア人の間で紛争が発生した。西側はコソボ紛争に介入し、セルビアを空爆で脅し、勝手にコソボをセルビアから切り離した。

 この行為に怒ったのはロシアだ。同盟国のセルビアが勝手に襲われ、領土の一部を切り取られて未承認国家が作られた。これは暴挙だと主張した。ロシアがジョージアやウクライナに介入した際もコソボが正当化の根拠として挙げられた。コソボに介入した西側がロシアのウクライナやジョージアに対する介入に意義を唱えるのはおかしいという理屈だ。

 現在もセルビアはコソボの領有権を強く主張している。コソボはアメリカが勝手に奪った領土という認識だ。現地にアルバニア人が多数住んでいることは問題にならないようだ。むしろコソボ紛争の際に現地のセルビア人が民族浄化にあったことを恨んでいる。なんとこんな歌まである。

 サビは「コソボはセルビア〜聞こえるかアルバニア〜」である。凄まじいナショナリズムである。

 コソボは現在でも係争地となっている。コソボ国内のセルビア人は度々アルバニア人から嫌がらせを受けることが多く、両者の衝突に繋がっている。コソボはウクライナを除けば欧州で最も貧しく、これと言って産業はない。コソボを統治しているコソボ解放軍は元々盗賊集団に毛が生えたような人々で、コソボ紛争にNATOが介入してから始めて大人の事情で統治主体として認められた集団だ。

 コソボでは散発的にセルビア人とアルバニア人の衝突が発生しており、度々隣国のセルビアも介入している。セルビアはロシアと親密な関係にあり、もしロシアがセルビアに介入してくることになったらNATOは足場を崩されることになる。NATOの平和維持部隊はコソボでセルビア人の反乱を抑止しているが、どこまで有効かは分からない。

アルバニアの躍進?

バルカン半島の民族はどの集団も一度は暴力的に振る舞ったことがあるし、特定の民族が際立って暴力的でトラブルを起こすということではない。例えば19世紀まで最も好戦的だったモンテネグロ人は20世紀に入ってから驚くほど大人しく、ユーゴ解体の時も最後まで徹底して穏健派だった。

 今まではバルカン半島のトラブルメーカーはセルビアと論じていたが、長期的に見て問題となるのはアルバニアの方かもしれない。コソボ紛争では何もセルビア人だけが暴力を振るっているわけではなく、アルバニア人も同じくらい暴力的な時はあった。

 大アルバニア主義が脅威と成りうるのは、パトロンの国の勢力も関係している。19世紀末から20世紀初頭にかけてはオスマン帝国が衰退し、ロシアが強くなっていた時期だ。この時代に拡張主義的だったのはロシアの支援を受けたブルガリアやセルビアといった清教徒のスラブ系民族だった。ところが20世紀末のユーゴ紛争ではEUの後ろ盾を受けたクロアチア人とスロベニア人が優位に立っていた。

 21世紀に顕著なのはトルコの復活だ。トルコの国力は増す一方でロシアはどんどん勢力を弱めている。こうなると、セルビアは防戦に回る一方で、自己の存在を主張できる立場にはないかもしれない。トルコがバルカン半島で友好関係を結ぶ可能性が高いのは同じイスラム教徒のボスニア人とアルバニア人だ。どちらもセルビア人とは伝統的な宿敵である。もしトルコの強大化でバルカン半島が不安定化するとすれば、アルバニア人は間違いなく主役となるだろう。トルコの後ろ盾を受けたアルバニア人がセルビアを攻撃したり、マケドニアで反乱を起こした時、西側がどのような対処が可能かは分からない。アルバニアもトルコもNATO加盟国だ。従ってNATOはこの問題の決定打にはならないだろう。ロシアがセルビアに介入してきてもNATOは周囲を包囲すればいいが、トルコの場合は対処が難しいだろう。

 トルコは友好国の紛争に介入している。2021年のナゴルノ・カラバフ戦争ではトルコはアゼルバイジャンを全面支援し、アルメニアを打ち負かすことに成功した。ロシアの勢力が衰退するにつれ、バルカン半島でも同じ現象が起きるかもしれない。大アルバニア主義が燃え始めれば、コソボはもちろん、マケドニアやモンテネグロでも紛争が発生する可能性がある。もしかしたらボスニアのムスリム人も触発されるかもしれない。

バルカン半島の安定化

 とはいえバルカン半島は以前に比べれば遥かに安定した状態にある。理由の1つはバルカン半島のうち本当に不安定な西バルカン諸国は、周囲をぐるりとNATO・EUに囲まれているからだ。外部勢力の侵入から守られているし、西側の圧倒的な経済的影響力からは逃れられない。セルビアですらEUの加盟を目指している。

 バルカン諸国は人口が減少しており、これもまた紛争の沈静化に役立っているかもしれない。人口余剰の圧力は土地不足や若者の失業を生み、政情不安の原因となりやすい。この点で人口が急速に減少しているバルカン半島は100年前と比べてかなり平穏となるだろう。ブルガリアやボスニアといった国々の人口減少は世界最悪レベルである。多産と言われたアルバニアですら現在は深刻な少子化が進んでいる。実はバルカン半島は東アジアと並んで最も人口減少が深刻な地域であり、紛争どころではないかもしれない。

 ヨーロッパが大国政治の争点になりにくくなったのも原因だろう。20世紀前半までのヨーロッパは強国が火花を散らす過酷な場所で、バルカン半島は色々な大国の介入を受けた。現在の中東のような状態だ。しかし、現在の欧州は自己主張する大国は殆どないし、NATOとEUの圧倒的なパワーでぬるま湯となっている。わざわざバルカン半島をかき乱したい国は存在しない。唯一トルコは不確定要素となりうる。

 バルカン半島は20世紀に三度の大規模な戦争を経験した。バルカン半島はいつまでも暴力的と言われているが、実際は凄惨な殺し合いを経験した民族はウソのように静まり返ることが多い。ボスニアやセルビアの人々はもしかしたら殺し合いに疲れているのかもしれない。


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