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なぜ医者と大企業は「勝ち組」なのか〜ギルドに入って労働市場から避難しろ!!〜

 学生時代の私は完全なネオリベだった。東大法学部の同級生の中では一般的な考え方だったと思う。ミクロ経済学の教科書を読めば価格統制や独占の非効率性には必ず気付くことになるからだ。ソ連や中国がどのような政策転換を行ったのかも常識として定着していた。私はそうした環境で、ただ素朴にネオリベを信じていた。

 ネオリベを一言で言うのは難しいが、乱暴な説明をしてしまうと「規制は害」ということだ。例えば「イオン」以外のスーパーは認めないという法律があったとしよう。そうすると、イオンは値上げをしたり、接客に手を抜いても商売が成り立ってしまう。イオンよりも良い商品を揃えている事業者がいたとしても、法律の壁に阻まれて、店を出すことができない。こうしてイオンは楽して大儲けすることができる。割を食うのは住民だ。

 こんな具合で規制は経済のインセンティブを歪めて弊害をもたらすので、なければ無いほど良いというのがネオリベである。税や補助金も同様だ。警察や軍隊といった治安関係は特殊な性質から「例外」という扱いとなる。

 ところが、労働市場というものは少なくともネオリベの考え方からは程遠い。典型例が医者・弁護士・会計士といった資格業だ。いくら知識があったとしても資格がない人間は業務ができないので、強力な参入障壁になる。これらの職業の給料が高かったり、再就職がしやすいのは政治的な参入障壁のお陰なのだ。彼らは市場経済に犠牲を強いながら甘い汁を吸っていることになる。しかし、資格制度を無くせという声は聞こえてこない。

 もう一つの参入障壁が労働組合だ。大企業の場合、様々な法規制に保護され、どんなに無能な社員でも不祥事を起こさない限りはクビになることはない。大企業の社員はある種の貴族階級のようなものだ。これまた経済合理性には反しているのだが、色々な理由で現在まで存続している。割りを食っているのは大企業から排除されたブラック企業や非正規の社員だ。こうしたインサイダーを守るための「不当な」参入障壁のことをネオリベ論者の筆頭であるミルトン・フリードマンは「ギルド」と呼んだ。

 資格業と並んで勝ち組と言えるのは特にストックビジネスで食っている大企業だ。例えばM不動産という会社があったとしよう。この企業は都内に莫大な不動産を持っていて、何もしなくても莫大な収益を産んでいる。いわば会社がFIREできる状態だ。このような企業に入ってしまえば、労働組合のお陰で社員は楽して高い給料がもらえる。M不動産の立場からすれば非正規と同じ給料で社員を扱き使っても問題ないはずだが、実際は労働組合のせいで不可能だ。理論的には儲かっている会社も儲かっていない会社も同一労働同一賃金が成り立つはずだが、それを妨げているのが労働組合なのである。 しかし、労働法を廃止しろという声は聞こえてこない。

 やや理論的な話になってしまったが、労働市場には通常の市場原理がほとんど成り立っていないので、「勝ち組」になりたければとにかく「ギルド」に入れということになる。多くの若者が必死に受験戦争と就活を頑張るのは利権のベールの内側に入るためなのだ。幸福な人生を送るにはいかに自分を一般労働市場から切り離すかが鍵である。一般労働市場は例えるならば30代後半の婚活市場のようなもので、勝ち組の多くはすでに婚活市場から離脱して子供とピクニックをしている。

 ギルドと一般労働市場のギャップの存在は良く知られている。例えば50代の転職の悲惨な現状がそうだ。大手企業の部長として2000万の給料をもらっている人間が、一般労働市場に出ると年収300万の介護職しか見つからなかたりする。市場では年収300万の価値しかない人間が、大企業では高い給料と尊敬を勝ち得ている。なんという落差だろうか。

 資格業も同様だ。子育てで職を離れた女医が再就職できるのはギルドのお陰だ。これが会社員だったらまず不可能である。東大⇒興銀というルートを辿った優秀な女性がM字カーブのお陰で専業主婦を余儀なくされているという話はよく聞く。理由はギルドに入っていないからだ。残念ながら一度レールを外れてしまうと人生のセーブデータが消えてしまうことになる。

 大変皮肉なことには違いないが、高学歴エリートが豊かな暮らしをできるのは、何らかの手段でギルドの中に入り、一般労働市場から自分を切り離すことに成功したからである。一般労働市場で生きていこうと思えば一部の優秀な人を除けばせいぜい年収400万とか500万が関の山だろう。しかも年齢と同時に給料は下がっていく。副業で身を立てることの難しさを考えればよく分かる。よく自分の市場価値がどうのこうのと言っている人がいるが、そもそも市場に参加している時点で負け組なのだ。

 良く勝ち組の例として挙げられる中小企業の社長は自由市場の成功者として捉えられるかもしれない。しかし、見方を変えればギルドとも言える。なぜなら彼らはオーナーだからだ。オーナーは「所有権」というある種のギルドで保護されているため、プロ経営者のようにクビになることがない。高齢で処理能力の落ちた人であっても引退する必要がないのはギルドのお陰である。オーナー社長とサラリーマン社長の給与格差はこれで説明できる。

 しばしば「ジョブ型雇用」として転職を推奨する人がいるが、彼らは労働市場の本質を履き違えている可能性がある。「ジョブ型雇用」のアメリカでは職種ごとに労組が作られており、職種メンバーシップ制度が成立している。しばしば聞かれる「アメリカで脚本家がストライキを起こしている」という話はこれだ。真のジョブ型雇用の世界は医者や弁護士といった資格業の世界に近く、一般労働市場に参加しているわけではない。日本の転職者が入るギルドは未だに会社単位のメンバーシップ雇用のままである。

 ネオリベとか市場経済の理想に反し、労働市場はほとんど自由市場が機能していない。豊かな暮らしをするために優秀なエリートは参入障壁の内側の世界にこぞって入りたがる。一般労働市場で年収300万の人間がギルドの内部では1000万とか2000万という額を稼いでいる。しかも、彼らのほうが社会的地位は高いのだ。ギルドに入れなかった人間は市場経済の暴力にさらされ、非正規雇用の「負け組」と言われることになる。「花形」とされる人間がこぞって市場から避難している人間で、市場で戦っている人間がどちらかというと残余の存在であることを考えると、ネオリベ的な解釈自体が正しいのかも怪しくなる。

 進撃の巨人という作品がある。この世界では訓練で上位10人に入ると憲兵団に入って王都で暮らす事ができる。巨人を殺す訓練がうまい人間ほど巨人から遠ざかる「特権」を手に入れている。労働市場も同じだ。優秀なエリートは難関資格を取るか、大企業に入社して、労働市場から遠ざかることができる。お陰で彼らは安定した高給を手に入れ、優雅な暮らしをすることができる。資本主義のエリートは資本主義からある意味で遠ざかっている存在という皮肉が成立している。

 なぜこうしたギルドがまかり通っているのだろう。これは日本がおかしいのではなく、世界の先進国で一般に見られる現象で、将来に見直される可能性は殆どない。ネオリベの立場では労働法はギルドを作り出す役割しか果たしていないが、労働法を廃止しろという人はゼロだと思う。この理由は恐らく3つ存在する。

 1つ目は人間は身内に優しい生き物だということである。赤の他人よりも自分の家族を優先するのは不正とはみなされないし、それどころか立派な家族愛だ。格差是正を叫ぶ論者だって世界の格差を是正するために日本の国家予算を全部アフリカの援助に使えと主張する人はいない。ギルドも同じだ。医者は医者の利権を守るし、大企業の社員はお互いの利権を守る。犠牲になるのは見ず知らずのフリーターだが、そんなヤツよりも同僚の方が遥かに親しみが湧くだろう。だからこそ、一緒に協調して働けるのだ。もしギルドが無かったら、会社は手柄の横取りと枕営業で溢れているはずだ。

 2つ目は人間は安定を好む生き物だということだ。以前の記事でも解説したが、人間は損失をとにかく恐れる。上の階層に上昇する願望よりも下の階層に転落する恐怖の方が遥かに大きい。こうなると、流動性の低い身分制社会の方が、自由に上下動する社会よりも幸福度が高いことになる。実際に、カンニング竹山曰く、ギルドの存在しない芸能人はいかに成功しても心が安らかになることはないらしい。

 3つ目として、余裕のある人間は能力も倫理観も高いということが挙げられる。これが実は最大の理由かもしれない。一般常識として、貴族は育ちがよく、教養にあふれる人間だと考えられている。ギルドで守られている人間は貴族のような立場だ。あなたが病院に行くとして、年収300万で解雇に怯えている医者と、年収2000万で慈善活動に関心を持っている医者の、どちらを信頼したいだろうか。ネオリベの考え方によれば前者の方が腕は良いことになるが、到底そうには思えない。

 これらの理由により、日本社会、いや、どの社会でもギルドが偉く、一般労働市場は卑しい。実のところ、一般労働市場はギルドの影響で不当に待遇が下げられているため、無縁仏の集まりのようになっている。大企業はギルドに年収1000万円を払うために契約社員を年収300万でこき使い、しかも両者の働きぶりは同じだったりする。はっきり言おう。この国は身分制社会だ。自由市場で戦うYouTuberとギルドで優遇されている三菱商事の窓際族、どちらが社会で信用されるかというと、後者である。

 こうした事実を踏まえ、私はネオリベであることをやめた。事業者の立場ではともかく、労働者の立場ではネオリベなんか信じてもワープアになるだけである。社会で手厚い給料をもらい、社会的地位が高く、活発な活動を行っている人間は大半がギルドの構成員だ。実業家ですら、ある種のギルドによって莫大な資産を築いている。良い悪いではなく、そういうものなのだ。ネオリベが成り立つのは商品市場や資本市場の話であって、労働市場にはほぼ無関係と考えて良い。

 この国で勝ち組になるには労働市場から一刻も早く離れることだ。勉強を頑張れば難関資格を取得したり、大企業に入ったりして、労働市場から離脱することができる。金融資本や不動産など、資産所得を増やすのも良い。一番ダメなのは市場の暴力にさらされながら賃労働者をやることだ。ネオリベは市場を賛美するが、実際に市場に参加しているのは負け組の集まりである。労働市場にネオリベ思想を当てはめるな、ということは長年の慣習から生み出された経験則だ。皮肉なことに、ハイエクの言う「自生的秩序」は市場原理を否定する方向に進化したのである。

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