見出し画像

ドーパミン型幸福とセロトニン型幸福、そしてADHD

 どうも幸福にはドーパミン型幸福とセロトニン型幸福という分類があるらしい。一言でいうと、前者は興奮を伴うアッパー系の幸福、後者はリラックスを伴うダウナー系の幸福ということのようだ。 

 ドーパミン型幸福はこういった項目だ。
・昇進する
・スポーツで活躍する
・試験に受かる
・異性に恋する
・徹夜でカラオケする
・ゲームにのめり込む
・ライブに行く

 一方のセロトニン型幸福はこういった項目だ。
・寝る
・散歩をする
・温泉に入る
・マッサージを受ける
・野山を散策する
・クラシック音楽を聞く

 ドーパミン型幸福は「楽しい」という表現が使われることが多い。セロトニン型の幸福は一般に言われる「幸福感」だろう。こうして見ると、高校生や大学生の考える幸せはドーパミン型に近く、社会人や老人の考える幸せは後者に近いことが分かる。社会人以降になると「楽しい」よりも「幸福感」という言葉が使われることが多いのは、セロトニン型の方がメインになるからだろう。

 一般にドーパミン型の幸福は長続きせず、要求水準がどんどん上がっていくのでオススメしないということが言われる。ただ、実際はどうなんだろうか。若年期は明らかにドーパミン型幸福が念頭に置かれているように思える。社会人になると次第にセロトニン型を求めるようになるようだ。会社で疲れる⇒飯を食う⇒温泉に入る⇒幸せ!!という人はたぶん、セロトニン型なのだろう。

 見ていると、現役世代の社会人を見ていると、概ね「ドーパミン型の幸福を求めるのは仕事、セロトニン型の幸福を求めるのは私生活」という棲み分けができているようだ。他人の私生活を見て楽しそうとあまり思わないのは、彼らがセロトニン型の幸福を私生活では志向していて、ドーパミンは職場で使い切っているからだろうか。

 ところで、ADHD傾向の知人を考えてみると、ドーパミン型の幸福を追い求める人間ばかりだ。この点はかなり特徴的だと思う。ポーカーにのめり込んだり、朝から晩まで株取引していたり、延々と女遊びを繰り返したり、といったタイプが多い。80歳を過ぎても長話でマウントを取ったり、ドラマにのめりこむ始末だ。ADHDの人間はドーパミンの分泌が不安定という話があるが、何かしらの関係は存在するだろう。ADHDの人間が年齢が増しても子供っぽく見える原因はドーパミン型だからかもしれない。

 私は紛うこと無きADHD人間なのだが、「社会人的な幸せ」に関して今ひとつ共感できないのは、ここが原因かもしれないと思った。noteを書いているこの瞬間も、頭の中ではドーパミンがきっと分泌されている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?