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なぜ「普通の人生」のハードルはここまで上がってしまったのか

 しばしば言われることがある。「なぜ普通の人生はここまで難易度が高いのか」ということだ。ここで言う普通の人生とは大学に行って、就職して、適齢期に結婚して、子供が生まれ、マイホームを購入し、大きな病気をせず、定年まで会社に勤め続けるという人生のことである。別に野球選手になったり大富豪になったりする訳では無い。平凡な人生だ。例えるならばファミリーアニメの家庭にありがちな様子だ。しばしば「野原ひろし」と言われることがある。

 しかし、この人生を実際に行おうとすると難易度は非常に高い。多くの人間は四苦八苦し、何かしらの問題を抱える人がほとんどだ。その理由は何か。昔と比べて求められる水準が上がってしまったのか?筆者はこの問題に対して明確な答えを持っている。

 なぜ普通の人生を送る難易度は高いのか。「普通の人生」が人生のあらゆるリスクを排除した理想状態のことを指すからだ。そのことに気が付かない人間が多すぎるのだ。

 ある程度の年齢から人間はプラスがあることよりも、マイナスが無いことのほうが重要度が高まってくる。例えば健康がそうだ。健康とはこれと行った病気がない状態、すなわちマイナスが無い状態のことだ。若い頃は足が速い人間が評価されるかもしれないが、ある程度の年齢になると、飛び抜けた身体能力よりも病気や障害を抱えていないことの方が重要になる。

 キャリア面もそうだ。若い頃は上昇志向や夢追い人が多いが、結婚して子供を持つようになると、とにかく安定の方が重要になる。起業のような博打よりも、公務員のような安定性が重要なのだ。

「普通の人生」とはこれと言ってトラブルの無い人生のことを指す。実は結構難しい。例えば人類の1%がかかる病気が100個あったとすれば、健康な人間は37%しか存在しなくなってしまう。200個あれば10%強しかいないことになる。人生のトラブルもこれと同じだ。失業するかもしれない。離婚するかもしれない。子供が障害を持っているかもしれない。自分がガンになるかもしれない。地震で家が倒壊するかもしれない。こうしたリスクを全て排除すると考えると、以外に普通の人生は難しいのだ。保険会社があれほど儲かっているのも、リスクを徹底排除した人生がいかに難しいかを表している。

 これといったマイナスが無い状態を考えると、なかなか普通の人生を送るのは難しいだろう。ただ、減点法の競争を勝ち抜いた人間は野球選手や億万長者のように突き抜けた何かがあるわけでは無いので、地味だ。だから彼らの凄さは伝わってこないのだ。

 日本人の半分が達成でき、半分が達成できない目標を考えてみよう。例えば身長170cmとか、大学進学とかだ。これらの一個一個の目標は「普通」であっても、全部クリアすると考えると難しい。10個あれば全てをコンプリートする確率は1024分の1だ。

「普通の人生」は人生におけるリスクが全て排除された理想的な日本人の姿だ。歯が全て残っている60歳男性は「正常」かもしれないが、意外にレアだろう。これと同じである。歯が残っているからと言って特別な何かを得られるわけではないのだが、日本人の中では間違いなく相対的に恵まれているはずだ。多くの人間はどこかでコケるので、「普通の人生」からはちょっとミソが付く。

 成功者であってもマイナスがあることは多い。例えば羽生結弦は離婚したし、松本人志は訴えられた。黒田東彦は息子がヤク中だし、安倍晋三は殺害されている。これらの人物はいずれも強力なプラスを持っているが、マイナスも同時に持っており、減点法という観点では「普通の人生」に及ばないのだ。成功者であっても「普通の人生」を送るのは難しい。ましてや世の中の中間層が普通の人生を送れると思うのは大間違いだ。

 繰り返すが、「普通の人生」とはある種の理想状態であり、完璧に健康な人間と同じだ。20代であれば大きなプラスを求めるかもしれないが、年齢が行くに連れてマイナスの排除の方が重要になってくる。この段階になると人生の目標は「普通の人生」からいかに外れないかだ。もちろん社会的な成功を目指している人間もいるが、彼らにしてもマイナスを抱えて困っているケースは多い。「普通の人生」の難易度は高くて当たり前なのである。

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