見出し画像

軍の崩壊でミャンマー国家がそろそろ滅びるかもしれないという話

 最近、ミャンマーで再び紛争が再燃しているというニュースが入ってきた。ミャンマーでは2021年のクーデター以降、民主派と手を組んだ少数民族による反乱が活発化しており、国軍はここ数週間、次々と敗北しているようだ。ミャンマーの紛争は今に始まったことではなく、非常に長い歴史を持つ。そして、その影響はこの国のあらゆる箇所に及んでいる。

ミャンマーの歴史

 東南アジアの歴史は世界史の中でも比較的地味だ。この地域は文明化に取り残されていた訳では無いが、比較的人口が少なく、20世紀まで不毛のジャングルばかりであった。東南アジアはインドと中国の影響を受け、一部イスラム世界の文化も流入した。近代になるとヨーロッパの植民地支配の歴史を辿った。東南アジアは東アジア・南アジア・中東・ヨーロッパと違い、外部に発信するような強力な文化を持たなかったのが特徴的だ。

 ミャンマーも東南アジアに存在した王政国家の1つだった。いくつかの王朝が興亡したが、コンバウン朝は一時期はタイを征服したこともあった。ビルマ王国は19世紀の後半に大英帝国の侵略を受け、英領インドの一部として編入された。

 ミャンマーには第二次世界大戦の辺りで独立を志向するものが現れる。その中の1人はアウンサン将軍だ。彼は日本軍に最初協力していたが、途中で敗色が濃厚になると裏切り、戦後の独立の礎となった。第二次世界大戦後に脱植民地化の流れを受けてビルマは独立し、立派な独立国となった。

 ところがビルマは苦難の歴史を辿る。ビルマのうち、ビルマ人は人口の半分強を占める。彼らは低地で農耕民族として暮らしている。ところが残りの少数民族はビルマの周辺部をぐるりと囲む山岳地帯に居住しており、常に中央政府とゲリラ戦を繰り広げていた。独立後にビルマは少数民族と内戦状態になり、現在に至るまで国土の70%ほどしか実効支配できていない。

 中央政府の側も苦難が続いた。アウンサン将軍は戦後まもなく暗殺された。文民政府は国内の統治に失敗し、軍のクーデターで転覆する。軍政のリーダーとなったネ・ウィンは「ビルマ式社会主義」と称して鎖国政策を続ける。何度かリーダーの交代はあったが、基本的にこれ以降、ビルマでは軍事政権が続くことになる。

 軍事政権は非常に閉鎖的で、国内からあらゆる外国勢力を追放した。結果的にビルマは孤立し、経済成長は抑制された。冷戦時代のビルマは世界最貧国だった。ただし、この政策にも1つだけ良い面があった。それは東西冷戦に伴う殺し合いを回避できたことである。共産圏と西側の接する朝鮮半島・インドシナ三国・アフガニスタンは悲惨極まりない大殺戮を経験していた。国内が不安定なビルマが巻き込まれたらひとたまりもないだろう。軍事政権はあらゆる大国から距離を置いて鎖国を徹底し、ビルマはカンボジアにならずに済んだ。

民主化運動

 1980年代に入ると東西冷戦は次第に小康状態になり、各国で民主化の動きが生まれた。韓国・台湾・フィリピンといった国で次々と民主化が促進されていった。当然ビルマでも民主化運動が発生する。旗頭となったのはアウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチーだ。軍事政権はアウンサン将軍を「建軍の父」として崇めているので、その娘を担ぎ出したのは効果的だった。軍は一応選挙を行うが、結果が気に入らなかったので無視してアウンサンスーチーを逮捕することにした。これ以降アウンサンスーチーは自宅軟禁状態が続き、国際社会で問題視されるようになる。

 冷戦終結前後になると山岳地帯の少数民族武装組織もミャンマー軍政と和解するようになった。麻薬王のクン・サなどが有名だ。中国やタイといった国に支援された武装勢力は冷戦終結とともに大人しくなった。最大の反政府ゲリラだったビルマ共産党も勢力を失っている。ただし、いくつかの武装勢力は未だに武装解除に応じず、山岳部で独立王国を作っている。

 転機が訪れるのは2011年だ。国際社会の圧力に応じてついにミャンマー軍政が民主化に応じたのだ。テイン・セイン政権下で民主的な諸制度が整備され、2016年にアウンサンスーチーが政権を獲得した。ミャンマーに対する制裁は解除され、この国の経済は凄まじい勢いで成長した。中国やタイといった周辺国と同様にミャンマーも高度経済成長を遂げて豊かになっていくと思われた。

 ところが問題はなくならなかった。ミャンマーは一応民主化はしたが、不完全なままだった。国軍は議会に勝手に議席を割り当てられており、実質的な拒否権を持っていた。国軍の経営する企業はたくさんあり、どれも利権絡みだ。国軍のビジネスは非課税であり、アウンサンスーチーも手がつけられなかった。

 国軍の独断を象徴していたのが2017年頃から話題になったロヒンギャ紛争である。ロヒンギャ族はミャンマーの西端に住むイスラム系の民族だ。見た目はバングラデシュ人に近く、ミャンマーは彼らを不法移民と解釈している。仏教国のミャンマーで彼らは嫌われており、近隣の民族との関係も険悪だった。国軍はロヒンギャ族を万単位で殺して回っており、周辺諸国に難民が流出していた。アウンサンスーチーはこの国軍の独自行動を止めなかった。国軍との関係悪化を恐れたのかもしれない。アウンサンスーチーは厳しい国際的非難を受けることになった。

 ミャンマーの民主化がうまく行っていなかったことは明らかだ。2021年に国軍はクーデターを起こし、アウンサンスーチーは逮捕された。理由は国軍が選挙に負けたからとも、アウンサンスーチーが国軍の利権に手を付けようとしたからとも言われている。これにてミャンマーの短い民主化は終わり、再び以前のような軍政が復活するようになった。軍政に反対する民主派は山岳地帯に逃亡し、武器を持って抵抗した。ミャンマーの内戦は再び激しくなっており、予断を許さない。ミャンマーの軍政は国際的な承認を得ておらず、国連への代表権も停止されている状態だ。

なぜミャンマーは破綻したのか

 なぜこの国は失敗したのだろうか。エジプトやパキスタンなど、軍部が強い影響力を持っている国はあるが、ミャンマーの水準の国は他に無いだろう。国軍が勝手に政治を壟断し、国民を完全に無視しているのだ。

 ミャンマーが国軍に支配され続ける理由は何か。それは皮肉なことに、国軍が弱すぎるからだ。強すぎるからではない。弱すぎるからである。ビルマ族は伝統的にあまり戦いに強い民族ではないと言われる。実際に国軍は中々山岳民族を征服することができない。正規軍にも関わらず、山岳民族の部隊よりも遥かに多くの犠牲を出すことが少なくない。国軍が弱すぎていつまで立っても国内を統一できないので、紛争は建国以来延々と続いている。

ミャンマーには周辺を取り囲むように山岳民族が居住し、常に反乱を起こしている。

 ミャンマーの民主化は非常に難しいだろう。なぜならいくら民主化をしても、この国が紛争状態であるという問題を解決しないからだ。国内に武装勢力が割拠している状態でまともな民主主義を行うことは不可能だ。ミャンマーの貧困状態を考えると尚更である。アウンサンスーチーの政権も結局ロヒンギャ紛争など、問題が噴出した。どのみち民主主義が崩壊することは目に見えていた。不安定な国家と繰り返される軍政の構図はエジプトやパキスタンと良く似ている。この手の国の国軍は文民政府を無能な政治屋として見下しており、自分たちこそが国家を安定させられる唯一の機関として信じて疑わない。そして少なくともエジプトとパキスタンでは民衆も同様のことを思っているのだ。

 ミャンマーの国内紛争は南北朝鮮やパレスチナと同じく長期化した紛争の1つだ。何十年もダラダラと争いが続き、国家の形成は阻害される。互い地政学的に譲れない利益があるので、和解が進むこともない。ミャンマーはこの問題が解決されない限り、安定した繁栄国家になることは難しいだろう。

 ミャンマーの紛争が激化しなかった理由は軍政の孤立主義が挙げられる。ミャンマーの軍政は特定の外国を密な関係を結ぶことを避けてきた。そのため、別の大国の反感を買うことも無かった。西側・中国・インド・タイはミャンマーのどの勢力も本気で支援したことはない。どれも中途半端で、本格的に国家を転覆させようとはしなかった。ある意味で中立政策が奏功したとも言える。カンボジアやウクライナを襲った悲劇を考えると幸運である。

今後のミャンマー

 軍政を復活させたのはいいものの、ミャンマーの見通しは暗い。国軍は相変わらず弱く、少数民族に負け続けている。まだ外国が本格的に介入していないのが救だ。ただし危険要素はある。ミャンマーは中国と隣接しており、米中冷戦が本格化した場合は争点になる可能性が高い。地政学的な争点になった結果、外国勢力に食い荒らされた国は沢山存在する。最近だとシリアとウクライナがそうだ。もしどこかの国が反政府勢力を本格的に支援すれば、国軍は存亡の危機に陥るだろう。

 国軍が打倒されたとなると、その後は完全なカオスになる。1948年以来、ミャンマーの中央政府は何とか生き残ってきた。首都のすぐ近くにまで迫られたことはあるが、追い返している。もし首都が陥落することがあれば、ミャンマーは完全な破綻国家になるだろう。諸勢力が争い、戦国時代が始まる。もはや民主化は問題にされないだろう。どこかの勢力が統一に成功すれば権威主義政権が誕生し、何とか国内の安定を図ろうとする。失敗すればソマリアのように分裂した国家になる。

 ミャンマーはアジア最後のフロンティアとも呼ばれ、成長が期待されていた。実際に2010年代のミャンマーの成長率は世界最高だった。それ故に現在の状況は残念だ。ミャンマーの経済は既にカンボジアに抜かれ、東南アジア最下位だ。周辺の中国・タイ・インド・バングラデシュがどんどん豊かになる中でミャンマーだけが成長に取り残される危険性が高まっている。行き着く先は北朝鮮のような経済の真空地帯だろう。

 ミャンマー人は伝統的に日本と友好的で、同じ仏教国であることもあって日本とは馬が合うようだ。ミャンマー人はそこそこ勤勉で、最貧国ながら国内は食料が豊富だった。ミャンマーは隣接するタイと同じく成長のポテンシャルは十分に存在するのだ。ミャンマーが成長に取り残されたのはひとえに地政学の問題であり、大変運が悪かったと言えるだろう。紛争が沈静化しない限り軍政はなくならないし、経済成長には足かせが付いたままだ。今後のミャンマーがどうなるのか大変注目している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?