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#03 「いらだち」 というエネルギーについて

はろー、はろー。
咲紅乃と申します。

突然ですが、みなさま。
自分に対してムカつくときはありますか?

私は定期的にありまして…。
どのように私がいらいらするのか
何に対していらだつのか
自分自身の怒りの変遷について観察してみました。

ちなみに今まさにいらだっています。

ここで俯瞰できたら尚いいのですが、自分ごとなので
自分を擁護するような表現になると思いますのでどうか
お手柔らかにお願いいたします。



1. ショックな出来事が起こる ▶︎ 脳みそフル回転


まず最初にショックなことがガツン!と来ます。
基本的には人間関係上のコミュニケーションにおいて。

ただ、このガツン、まだ短い人生ですが頻繁にあるわけではありません。
というのも基本的にネガティブ村出身のわたしは誰に言われても大丈夫なようにまるでワクチンを打つかの如く、自分に否定的な言葉を浴びせてきた過去があるので、ある程度耐性はあります。(この慣れはよろしくない)
そういうことでそんなにガツン!とダメージは食いません。


ただ時々、ワクチンを打っていないものが来ると激しくダメージを食います。
そのとき、いろんな捉えた方を思い浮かべます。


もしかしたらこの人は
こう見ていったのかもしれない、
こう伝えたかったのかもしれない
悪気はない、伝え方もその子の個性
前後の文章や言葉を読み直そう、思い出してみよう
自分が見落としているニュアンスがあるかもしれない
自分が未熟なところもあるかも
自分の理解不足があるかも
解釈力が足りないのかも
誤解させてしまうニュアンスがあったかも、
言い方を変えて、
この伝え方はその人に合わせたものになるかな
じゃあ、今度はこういう寄り添い方をしてみよう

などなど…


ショックが降ってきた瞬間、頭が動き出します。
自分を守るためはもちろん正直あるのですが、
正解不正解はコミュニケーションにおいてないので
相手をマイナスに捉えることもしたくないからです。

ひたすらその出来事に対して最大限に頭、言葉、表現
を使います。



2. 受け取れきれずに傷つく


次に自分なりに捉え方等を増やしてみるものの、
どうしても傷ついてしまい、嘆きます。
フラットに見れたらいいのですが、できない時はできません。

そういう時、次に出る行動は「話せる人に話す」こと。
話せない人には大部分を伝えて細かいところは雑に。
話せる人にはある程度話します。

人に話すことで聞いてもらうことで、なんとなく感覚が軽くなります。
と同時に冷静に起きた出来事において整理できることもできます。
また自分の意見ではなく、違う人の脳みそを借りることで傷が癒えたり、
新しい気づきがあったり、なんだかしょうもなく感じて気にならなくなったりすることもあるのです。

ただ、それでもキリがないほど傷が癒えないこともあるのです。



3. 傷のことばかり考えて動けなくなる


そして仕事や趣味、お出かけをしても気分は晴れることなく、
ただただ時間がすぎます。
もうこの状態の時は、時間薬しかないわけです。
けれど、早く抜け出したいので紙に書きまくり、破り捨てたり、
激しめの音楽を爆音で聴いたり、大声で歌ったりします。

そして、寝ます()
美味しいものたくさん食べます()
人間として基本的に必要なことを多めにします。
健康は大事。

一定期間、なんとなくの日々が過ぎます。

4. だんだんイライラし始める


最終的に動けなくなってからなんとくなく過ごしていると、
そもそもなんでこんなことに?と原点回帰します。

そもそも、そういうことに対して自分がショックを受けなければ、
こんなにもこのことに対して考えずにすんだじゃないか。
時間は有限だが?なにしてんだ?
というか自分が言われるような状態じゃなければ回避できたではないか。

そういう自分に対してふつふつと苛立ちが沸き始めます。

自分が傷ついた言葉や気にしていることを
自分の理想の方向で実現していれば
自分が敏感に反応していることに対して
ちゃんと行動して改善していれば
何もなかったわけです。

もちろんそれでも傷つく時は傷つきます。
そんな時は自分で自分を全力で労る。それはそれでいいと思います。
傷ついたことはフル無視しなくていい。自分は傷ついてしまったのだから。
自分は大事にすべき存在です。

でも、できる限り生きている中で傷つきたくないのは本音です。

だからこそ言われる前にやればいい、
もしくは言われても傷つきにくい自分であればいいんですよね。

でもここで声を大にして言いたいのが傷つきやすい自分になるのは
冒頭に言った「ワクチン」ではない方法でなるということ。

自分の罵声を浴びせるのではなく、
自分に「自信」をつけること・身に纏うことで
傷つきにくい自分になるのです。

(少し話はずれますが、これは人に対する妬み・嫉妬にも同じ対処ができると思います。)

ということに改めて気づいて
今の自分の自信の無さに対していらだちが止まらなくなります。
自分の今までの行動力の低さにいらだちが溢れて止まらなくなります。
結局自分のせいではないか。

うじうじしている時間を堪能したか?
じゃあ、やれよ?となるわけです。

そんな自分が嫌で嫌でたまりません。


5. いらだちが頂点になって動ける私


怒りがエネルギーになる、というのはまさしく自分だなぁ、と
今回このnoteを書いて心底思います。

ショックといらだち、どちらも負のエネルギーですが、
そのエネルギーは何よりも大きく私のガソリンとなります。

今回のnoteで自分のいらだちの詳細は記載しておりませんが、
だいたいこのパターンが多いなぁと気づきました。

この怒りは外にぶつけても意味ありません。
起きた事象や、その人は変えることはできません。

ただ、どんなにいらだったとしても
原点回帰して自分と折り合いをつけるか、
自分を変える方向に向かうことはだけできます。

ショックや怒りの出来事に少し長い時間をかけた分、
このエネルギーを爆発的に使うのではなく、
コツコツと自信に繋げるようなアクションに移せるようにしようと
今回は心底思いました。
いつもエネルギー不足になって別の意味で動けなくなるので。

消費でも浪費でもなく、このエネルギーを「投資」にできるよう
自分に対するいらだちの炎を燃やし続け、いろんなクリエイティブや行動に落とし込んでいこうと思います。











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