意識高い系、自己評価高めの成れの果て
職場に存在する意識高い系、自己評価高めのちょっと痛い人。
そんな人のダメパターンは、ちょっと得た知識で全てを理解したと勘違いし、そこに関連した発言や行動が痛い。
さらに最悪なのは、人を見下してしまう言動に繋がってしまうこと。
胸に手を充てて考えると、自分のことだと理解ができた。
変な横文字を使ってみたり、何かの手段だけを主張してみたり‥
(やだやだ)
なんか色々と勉強をすると知らないことだらけだし、何か試してみたくなる。
自分では気がつかず、鼻につく存在になっていた。
何かを知り始めた時は、誰よりも知っているつもりになり、良かれと思って何かを伝える。
それは大概、ただの導入部分を偉そうに話してるだけ。
詳しい人からすると、もの凄く浅い人間として印象付けてしまう。
自分だけが患ってしまった難病だと思っていたら、割と多くの人で陥ることがあるみたいです。
こんな典型的なやつに対しては、すでにひとつのパターンとして名称がありました。
そうそうまさにこんな感じ‥
上の図の「馬鹿の山」に自分がいる時はなかなか気づくことが難しい。
そして自分も含めてここに居る人は結構多い。
▶︎「馬鹿の山」から抜け出せない理由
「馬鹿の山」にいる時の過信は、思わぬ力を発揮することもあるので全てがダメだとは思いません。
ただ、ちゃんと自分を客観視することは必要。
抜け出せなくなっている理由は、自ら望んでいる訳でなく、単純に気がついていないだけ。
なので他人からのフィードバックを受ける機会などを設計していく。
自分で気がつくことも、もちろんあります。
自分ごとですが、仕事で他人から何か教えてもらったり、フィードバックをもらう機会は極端に少なくなりました。
というかほとんどない。
これ、改めて考えてみるとすごいこわい状況だと思いました。
どういうことか??
たぶん、人が老害化していく過程にこの「馬鹿の山」を抜け出せないことも関わっているのではないかと。
▶︎人はなぜ老害化するのか
色々な要因はあると思うので、あくまで主観です。
老害と呼ばれる人は、たぶん自分が老害化していることには気づいていないはず。
(いや、絶対そうだ!)
考えられる要因として、役職が上がったりして誰からも指摘を受けない環境。
そしてそんな人は話しを聞いてもらいやすい環境にもあるため、話したいことを話す。
これまで出会ってきた老害と呼ばれる人達の環境ってどうでしょうか?
なんだか日本病とも言えそうです。
なぜなら日本の配慮や遠慮といった良いとされている部分の裏側には、老害を量産してしまう構造が想像できる。
老害化していかないために、気づきを得る機会を自らが選択していくことが大切。
その上で人からの指摘やフィードバックを受け入れる心の柔軟性、つまらないプライドを捨てて聞く素直さをまずは意識していく。
意識高いのが悪い訳ではないし、自己評価高いのが悪いわけではない。
老害と言われてしまう可能性は誰にだってあるため、自ら気づきを得る取組みを積極的に行なってみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
何かのきっかけになれば幸いです。
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