昔好きだった本が読めない  現実を生きるための鎧を身につけたら鎧の脱ぎ方がわからなくなった


古井由吉の「杳子」が好きだったので、最近寝る前にペラペラ読み返している。
好きだった、と過去形なのはその繊細さに今は胃もたれしそうになっているからかもしれない。

古井由吉は「内向の世代」の1人らしい。

杳子のような解像度で世界を見ていたら、きっと私は働けなくなってしまうんじゃないかなと思った。
鈍感力、みたいなものが必要になるので、意図的なのか自然になのか、心が麻痺するようになった。

「心、だなんて文学的な表現だな」と、少し医学をかじった私が茶々を入れる。
心の病気は結局脳の病気だから、心が麻痺してるんじゃなくて、脳が麻痺しているのだろうか?脳の機能の一部がうまく機能しなくなってる?

医学を学んだら、文学に対してまっさらな気持ちで読めなくなってしまった気がする。
もっと精神医学を学べばうまく文学と融合した読書ができるようになるのだろうか?
精神科医の小説家はたくさんいるし、相性は良いはずだ。

心が麻痺しないままで働くにはどうすればいいのかまだわからない。それは鎧をつけず戦場に飛び込むようなものに感じる。

しばらく考えてみた。
精神医学はまだ付け焼き刃で、私には鎧のようなものなのかもしれない。いずれもっと勉強して、私の血肉となれば、私自身が強くなれる。そうしたら鎧を脱いだまま私は私として世界を感じられるかもしれない。

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