Jokerを5回見に行ったオタクのつぶやき

熱しやすく冷めやすく、映画を映画館で見てしまうとすぐ好きになるちょろ人間です。

ジョーカー公開時にアホみたいに5回映画館に見に行き、時間があったのでオンラインで公開されている映画の台本まで読むまで浸かってしまって勝手に一人で考察していたものを思いつきでこちらにシェアしてみることにしました。
頭が常にごちゃついているのと何年もたって文章を編集しているので映画の内容があいまいなところもあり大変読みにくいただの自己満足文章です。

買った雑誌やオンライン記事のスクリーンショットからの引用があるのでcopyrightに反してしまったらすぐ消すかもしれませんし、度々編集もしたいなと思います。


この映画をアメコミ映画ではなく普通の映画としてみたら病的な社会の被害者になった男がジョーカーとなるまでの現代社会を風刺した作品だけど、何考えているのか全くわからない狂ったあの“Joker”の映画としてみたら全く違う解釈がたくさん生まれてくる。

この映画で大切なのは、誰しも、ただの観客でいることが簡単ではなくなること。ジョーカーに共感を覚える時もあれば、応援する時もあり、逆に悪すべき時もある。そこにも簡単な答えがあるべきではないと思います。今回は観客に挑戦し、そんな役を演じる自分自身にも挑戦したかった。観客としての僕も、自分の期待を満たすために映画を観たいとは思わなくて、自分に挑戦してくれる作品を観たいから。

公式パンフレット: ホアキンフェニックスへの質問
ヒーロー映画を断ってきたのに何故この作品へ参加しようとしたのかという問いに対して。


ジョーカーによる盛大なジョーク

最初にフラッシュバックした頭ずっと打ち付けてた光景と最後の真っ白な病室っぽいシーンが繋がっているとしたら、最後が始まりで最後だけが現実のジョーカーの作るウソ話に観客はずっと付き合わされていたことになる。

ダークナイトと繋がってると考えるのも面白いし、大真面目に話に共感して一人の人間に起こった悲劇として考えるのも面白かったけど、やっぱりジョーカーはただただほんまもんのやべえ奴なだけという方がより恐怖がある。

「アーサーが唯一、心から笑っているシーン」とはどういう意味なのでしょう?ここだけが現実で、他は全部現実ではない...という意味なのでしょうか?そもそも、アーサーが思いついた”ジョーク”とはどんな内容だったのか?カウンセラーが「どんなジョークなの?」と聞いてもアーサーは「君には理解できないよ」と教えてくれません。

ただし、アーサーが笑い出す直前に「銃で撃たれて倒れた両親の前で呆然と立ち尽くすブルース・ウェイン 少年」の映像が一瞬映っています。もしこのシーン自体がアーサーの妄想だとするならば、「俺が騒動を起こしたせいでトーマス・ウェインが殺され、その息子が将来ヒーローになるって...最高に面白いジョークじゃないか!」と想像して笑ったのではないでしょうか?
しかし仮にそうだとすれば、非常に恐ろしい話になります。

なぜなら、「バットマンという存在すらジョーカーの妄想(ジョーク)だった」という意味になるわけですから!すなわち、普通ならあのシーンを見て「バットマンの誕生」を期待するでしょうけど、もしあれが妄想だったら「現実の世界にはヒーローなんていないんだよ!」という真逆のメッセージになってしまうのですよ。アメコミ映画でなんて大胆なことを...(^^;)

https://type-r.hatenablog.com/entry/20191014/joker

普通の人やったら全くの作りおもろ話をするにしてもほんまのことをちょいちょい入れちゃうはず。

だけど全てこういう社会から見放されたとかいうストーリーが自分のバックグラウンドにあったらおもろくね?全てに裏切られた男が自分みたいなやつになったら筋通っておもろいよな

=たぶんダークナイトみたいに特に人殺しに意味はなく単に楽しい面白いからやっている。人は何でもかんでも理由を求めたがるけどジョーカーに理由はない。そのリアルさと怖さ。

ジョーカーが普通の人に理解できて同情されるキャラなわけはないのはない、何癖もあるはず。

理由、過程は特にないもしくはどうでもいい。
ジョーカーはジョーカーである。のに人は何でこんなモンスターが生まれたのか?とか気になるのおもろいよねで観客も巻き込んで面白がってる。彼にとっては助けてくれようとする心理カウンセラーや同情したい人々ももう何もかも遅いしそのジョーカーを使って自分をよく見せようとする偽善さにしか目にいかず滑稽に見えちゃうのかも。

ジョーカーが唯一笑っているシーン

謎めいたアーカム州立病院について、フィリップス監督はほとんど何も明かさない構えだが、ひとつだけ確かなことがあるという。それは、最後にジョークを思いついたアーサーの身体に現れる反応だ。

「あのシーンだけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です。この映画には、いくつかの笑い方が登場します。アーサーの苦しみから生まれる笑い、彼が大勢の一員になろうとするときの偽物の笑いーーこれが僕のお気に入りなんですーー、そして最後にアーカム州立病院の部屋で見せるのが、唯一、彼の心からの笑いなんですよ。」

https://theriver.jp/joker-ending-explained/2/

この最後が唯一笑ってるって発言からはまず、アーサー自体のストーリーが全部ジョーカーが思いついた面白いジョークで、ダークナイトのジョーカーと同じように、自分がなぜこうなったかをわざわざ話を作って聞かせて相手に同情を誘っていたぶるまでが一つのジョークか、世界を悪に陥れた張本人が実は社会が作り出した怪物だったらどう?みたいな。人はその結果に至るまでの理由や過程を知るのがものすごい好きやと思うから、全くの悪人である彼が人間の感情を知ろうとしているのか庶民に合わせてくれているのか納得する嘘話を作ってくれてんの優しい。

ジョーカーが依拠している人間観は「人はそもそも悪である」というもの。そもそもが悪なので、「善であろうとする人」というものは意味がわからず、不気味で、説明されるべき異常な存在である。この異常事態をふつうにしているのが社会(のシステム)であり、社会はじつは幻想に過ぎない。そうした幻想によってしか実現しない善を頼ろうとすることはどこかで無理がくる。ジョーカーはそのような幻想の善を信じて傷つく者を救おうとする。

社会学者・宮台真司《天使が堕天使になる時─ジョーカー誕生譚》

この二次元をぶっこえて「そこの俺の映画を見て泣いて悲壮感に浸ってるお前こんなかわいそう同情話が好きなんやろ」みたいに映画を超えて煽ってきてるような感じ。

たしかにかわいそうな一人の人間っていうより、こっちを弄んで掌で転がしてるやべえ奴のほうがジョーカー像としては腑に落ちるから、アーサーなんて人間は最初からいなかったっていうのも面白いなあ。ジョーカーの時の憎しみこもった顔ってアーサーからは出ないからジョーカーはジョーカーなんやろな。

ジョーカーの過去ジョーク

"My past is multiple choice"
The movie is based on this Joker quote

Youtubeで書かれていたコメント

-ショーカーについては以前からご存知でした
か?-

もちろん。コミックスを読んで育ったので、「ダークナイト」シリーズや「バットマン:キリングジョーク」はよく知っていました。ジョーカーはとても魅力的な存在です。

僕は破壊者のもたらすエネルギーに惹かれるので、彼のオリジン(起源)を描けば面白くなると思い、共同脚本のスコット・シルバーと独自のストーリーを作ることにしました。コミックスのジョーカーには決まったオリジンがなく、それが面白いところなので、自由度は高かったですね。

「キリングジョーク」で、ジョーカーが「自分に過去があるのなら、そこにはいくつもの選択肢があると思いたい」と言うんですが、それを読んで「ああ、ルールも限示もないんだ」と解放されました。とことんやってやろうと思い
ましたね。

Joker公式パンフレット 監督への質問

ダークナイトのジョーカーもなぜ自分が口に傷を負ったかという話に昔お母さんの彼氏に母親殺されて、why so seriousいうて笑え言われて包丁で口やられたとか嘘ついてる。
どうやら漫画を読んでいる人にとってはこの自分の過去について毎回デタラメを言うのは彼の常套手段らしい。


低所得者層の代表、偶像化されたジョーカー

ビジランテ(VIGILANTE)。日本では「私刑人「自警団員」「自警者」などとも訳され、法的根拠なしに悪人を罰する者を指す。警察機構の整備が追いつかなかった西部開拓時代には治安維持に一定の役割を果たしたが、冤罪などの弊害も大きく、現代では犯罪だ。

これはアメリカンコミックスのスーパーヒーロー・ジャンルでは重要な概念である。正体を隠し、自発的に犯罪と戦うスーパーヒーローの多くは、ビジランテと見なされるからだ。違法なビジランテがヒーローとは奇異に思えるかもしれないが、植民地支配に対する武力闘争という違法活動から国家が誕生したアメリカには、法制度やその運用に不備があれば決を残ってでも正義を守るべき、といら価値観の伝統がある。そうしたビジランテの代表格が、暗黒の騎士バットマンだ。

そう、他でもないジョーカーが、バットマンにつきまとうレッテル「ビジランテ」という言葉で呼ばれるのである。何という皮肉!しかしアーサー・フレックはバットマンと違い、「スーパーヒーロー」にはならない。

公式パンフレット 秋友克也(アメコミ翻訳家)

アーサーは暴行を受けた結果、過熱防備として相手を射殺してしまっただけで、戦う意思を持っていなかった。危険を冒して市民を守る覚があったわけでもない。人の幸せを守りたいと思えるほど、自分が幸せになった経験がないためとも言えるだろう。全てが成り行きなのである。
にもかかわらず、富裕層に怒りを向ける低所得層の市民は、「ピエロ姿のビジランテ」を社会格差に対する抵抗の象徴として偶像化する。けれどアーサーはそんな活動をも冷めた目で眺める。彼を殺人に追い込んだビジネスマン達は富裕層だが、最初に不幸の端緒となったストリートギャング達は低所得層だ。彼にとってはどちらであれ、最底辺の自分を食い物にするといら意味では敵なのだ。



この「感情の爆弾」はしかし、悩みや怒りを抱えた多くの人にとって救いになるだろら。激烈な爆風が彼らの苦悩を巻き込んで、次と一緒に吹き飛ばしてくれるはずだから。ヒーローになれなかったビジランデでも、不幸の依り代として興会遊を教うことができる。そうでなければ、「ジョーカー」がこれほど我々を魅了する理由が説明できない。

公式パンフレット 秋友克也(アメコミ翻訳家)

一旦アーサーという男の悲劇として考えると、アーサーは何も変わってなくて銃を持ち出しただけでそれ以降促し、もてはやしたのは周りの人たち。

自分の気持ちでなくて他人からの影響でもみくちゃにされた1人の男。

周りの常にイライラしていて不満を持っているけど行動に移すには誰かが導火線に火をつけてくれなきゃみたいな大多数の人たちにはそれを爆発してくれる誰か1人が必要やって表舞台に立たされた操り人形、自分たちの代わりに顔、看板になってくれるアーサーは好都合だったのかもしれない。

上の引用の言葉をかみ砕いてみるとなんだか、個人で善悪を判断してその人の価値観に基づいて正義を下すものが今までビジランテと呼ばれてきたスーパーヒーローで、低所得層の不満の意見箱として世に知らせしめるジョーカーのほうが他人の意思を組んでいていい人のように思えてくる不思議さ。あるいは時代の変化に伴って価値観が変わってきたのかも。

ジョーカーも周りを取り囲む人もお互いを見ているわけではなく、人は暴動を起こすきっかけ、理由としてジョーカーをいいように使ってるからジョーカーを通したその先にあるものを見てる。ジョーカーも自分のために三人殺したし他の人のことなんか考える余裕もなく周りにチヤホヤされ出してやっと人が自分のこと見るぜって思ってるけど、実は人々はジョーカー、アーサーを見ているわけではないっていうジョーク?結局最初も最後も他の人とは一つ違うところに行っただけ。リッチピーポーが憎かったわけでもないし最初の少年たちはスラム街というかプア系やし。ジョーカーにとっては敵。

youtubeで確か岡田斗司夫さんが、ピエロ軍団はみんな孤独な奴らが集まったから喧嘩が起きたら友達同士だったら止めるけど止めるものもなく大きくなってしまうっていうててそれ以外はんーって思ったけどほんまに全体になった時の責任を取らなくていいみたいなヤンキーが1人では何もできないけど集団では罪軽くなるかもみたいな感じでやっちゃうやつ。こわい社会の不満を反映したジョーカー

このシーンでちらっと思い出したのはフランス革命で先頭をきったジャンヌダルク。言ってるだけで下調べをしてないからもしかしたら頭の中で勝手に作っているけど、彼女はアーサーと違って自分の意思で国を変えたいと思っていたかもしれないけど、どこかで後世の人が彼女を英雄化しただの他人が神格化しだのみたいな話。全くの嘘かも。

最後らへんはworld needs youでよかったねとはなったけどあれがアーサーである必要があったのか?って言われると別に、、って思うしきっかけを起こした人は救急車でぶっかった男。あの人は誰やったんか?

他にも控室でタバコを吸うシーンで煙が顔にかかるカットはジョーカー、アーサーの顔をうやむやにしてて何か、その人物がindividualでなある必要はなく、誰にでも起こりうる出来事だとも取れる。もしくはアーサー自身他人に振り回されて何がしたいのか、自分は何なのかわかってないのかもとも取れる。

Jokerの妄想だったらこの謎の男はアーサーの話にアーサーをたきつける存在として登場したJokerだったのかな。ダークナイトでも似たようなシーンあった気がする




上ではそうなった結果のジョーカーを考察したけど、こちらでは劇中の母親から見て彼の子供時代を想像しどうジョーカーが形成されたかを考察する。

育った環境、母親の異常性

作中:母親の若い頃であろう写真裏にはトマスウェインからと思われる”素敵な笑顔だ”的なメッセージ

写真の真偽は不明、書いてないから真偽はどうにしろあんな精神が衰弱したひとり親の下で育ってしまい、時代も考えて(今もそうなのかもしれないけど)公的な手助けなどが受けれなかったのが本当に不憫すぎる。それと共に、映画を通して社会への不満を言葉でプロテスするよりももっと残酷にリアルすぎるほどリアルに訴えているのかもしれない。あなたたちがこうして今無視している家庭の中で、助けが受けれなかった結果こうして映画のジョーカーのような暴動を起こしたとしてもあなたたちの自業自得ですよと強く諭されているような。

話を戻して、トマスウェインとアーサーの母親は本当に関係があって金持ちで政治家に立候補するぐらいの立場だから都合が悪くて揉み消したのか、心がやみすぎてテレビでよく見る人に勝手に親近感がわいてそにょうなことを脳内でつくりだしてしまったのか。しかしアーサーが写真を眺めるシーンでは写真の裏にはTWというサインとメッセージがあった。

上のシーンの直後アーサーは写真をぐしゃぐしゃっと握りつぶしたが、それは、妄想だけならまだしも自分でTWとメッセージを書き込むほど狂った母親へのイラつきの感情なのか、それともやはり彼も母の子だから僕のお母さんになんてことを、今までの自分と母親の人生はなんだったんだトマスウェインさえ助けてくれていればという怒りだったのか。少しfar-fetchedではあるけど、アーサーのインセル説を信じるとしたら今まで目にしなかった母親の女の部分に腹が立ったのかなんて想像してみたりも。

お花畑の母親
"If he knew how we were living, if he saw this place, it would make him sick".
先ほどアーサーは他人に期待しすぎていると書いたけどこの夢見がちで現実を直視できない母親からきているのかも。子供のころからこの母親の考え方が彼にとって普通だったとしても学校に行っていたのなら外との交流はあったはずだし、冷静には違うと気づいていたけど実際人と触れ合う経験値が少ないため人を相手にしてしまうと期待してしまっていたのかもしれない。

自分の子供にあなたの育ち方はsickだといってしまえる母親
母も社会の被害者ではあるかもしれんけど、アーサー自身はくるしながらもなんとか適応してこれでいいんだと思い込んできたかもしれない暮らしをクソやって否定されて、しかもその状況にしたのは、その環境で育ってこなきゃいけなかった息子はどんな気分なんだろうか。

Happyという名の呪い
確か芸人になるよと母親に行った時の反応だったと思うが "Don’t you have to be funny to be a comedian?" 。子供の夢を応援しましょう教室でもあったら即失格ぐらいのお母さんの言葉がグサグサ刺さる。劇中ではアーサーやジョーカーと呼ばれている彼が母親からHappyと呼ばれていることがわかる。”幸せ”と常に笑っとけみたいな一種の呪いともとれるあだ名付けといてなにも幸せじゃないのに何かの度に幸せ幸せと連呼され続けたら、子供ながらに自分が母親を笑わしてあげなきゃ、幸せにしてあげなきゃと思っちゃうんじゃないかなと。

幻想の父親像

子供ながらに父親を求め続けて精神面が不健康なまま大人になっても父親、もしくは自分を愛してくれる誰かを強く求めるアーサーの心のさみしさ、子供時代に必要な何かが欠けている人みたいな悲壮感が映画中漂っている、ホアキンさんすごい。

物語の中でこんな人生を送ってきたなら人間に失望しているだろうと思うのに、あの母にこの子という感じかアーサーは何度も他人への勝手な期待を抱いては現実を突きつけら激高している。つらいのが最初はきっとあきらめていたのに自分の脳内で起こったことだとしても小さな成功体験をしてしまったおかげで、自分で一人ホーンテッドマンションみたいな状況を作り出し繰り返してしまっていること。

この章の本題のアーサーが求めた父親像の3候補について。
1.トマスウェィン

そんな混乱の渦中でアーサーが見いだしたかすかな希望の糸は、無情にもことごとく断ち切られていく。富豪ウェインの隠し子かもしれないという話は、母の妄想だったことが分かった。それどころか、自分は母と血縁関係を持たない養子で、母の交際相手の虐待によって脳の障害を負った事まで判明した。隣人と恋愛関係を結んだと思っていたのも、幻覚だったと知る。自分は底辺だと思っていた男が、実はそれ以下の存在だったと悟るのだ。たたみかける悲後が際限なく勝らませる「感情の爆発」。その脅威に震撼しない者がいるだろうか!

公式パンフレット 秋友克也(アメコミ翻訳家)

テレビで見ていた自分とは違う世界に住む富豪のトマスウェィンが自分の父親かもと確か手紙を出して、彼の会社に出向き、血を分けているかもしれない自分と違って愛を受けている息子のブルースに会いに家まで会いに行ったみたいな流れだった気がするけど、この行動力と執拗さが恐ろしいのなんの。でも自分の価値などないと生きていた彼が見出してしまった自分の人生を変えるかもしれないまぶしすぎる希望の糸に何をしてでもすがらなきゃいけないぎりぎりの心情だったのかもしれない。

2.マレーフランクリン

幼少期から父親がいない生活で育って、普通に学校に通って他人との違いに気づいて父親を渇望してきたなら、テレビの有名人に父親ってこんなかなと妄想するのはありえるような気がする。テレビで見ているだけなのに有名人ってすごく身近で親近感が勝手にわいてくるし、さらにアーサーの性格も相まって勝手にいつも自分を肯定してくれる優しい人枠になっていた。(自分を肯定してくれるというのは彼が知るマーレ―は自分の頭の中で作り出した幻影だから自分に肯定しかしない)

ロバートデニーロとの共演はいかがでしたか?

初めて「タクシードライバー」(76/監督:マーティン・スコセッシ)を観た14、15歳の頃、僕はロバートに憧れていました。彼に聞きたいことはたくさんありましたが、共演シーンの撮影は4日間ぶっ続けで、すごく大切な場面だから役に集中しなければいけないし、そんな時間はなかったですね。ただ、ロバートとのシーンを撮っていて、ロバート演じるマレーを、僕の演じるアーサーが生涯ずっと見続けてきたことが分かりました。というのは、子供の頃、僕の母はテレビ局で働いていて、僕もロバートに会っていたのを思い出したんですよ。当時の衝撃が蘇ってきて、「ああ、これこそアーサーに起きていることか」と。そこで、マレーをじっと見つめながら彼の話を聞きました。それがジョーカーにとっていかに愉快なことかが分かって、やっとそのシーンを演じられたんです。

公式パンフレット:ホアキンフェニックスへの質問

アーサーがマレーに会うところまでこれた自分の実力に嬉しさと誇らしさがあるけれど、急に現実のTVスターではない血の通った本物のもちろん自分のことなんて知らないマーレーを突きつけられたことで、彼だけは自分を知ってくれているというメンタルを支えていた最後の糸だったから余計に想像できないくらいどん底に落とされた悲しい気分になったんじゃないかな。

3.ピエロの同僚、ランダル

少し父親像というには無理があるかもしれないけど、ランダルのセリフである「you know you’re my boy(父親が子供に愛を持っていうような言葉)」が完全にアーサーに引いていた人の言葉にしては胡散臭すぎて。

ランダルはアーサーに対して俺はお前のことわかってるからな見たいな感じで銃を渡してたけど、理由が全く分からない。明らかにやばいやつに銃渡したら何しでかすかわからんのに。それか職場にいるコブやったから何か起こされる前に銃を所持しているって警察にチクろうとしていたのか?それか彼だけはアーサーに対して絶対にこいつはいつか何かしでかす奴だと本能で危機を感じていたから、自己保身として俺だけはお前の理解者やからな。間違っても俺は攻撃するなよと媚を売っていたのかもしれない。

あるいは、全てがジョーカーの作り話だというのならやはりジョーカーは心のどこかで常に他人からの父性、愛を求めていて、最悪な職場でも一人自分の理解者がいた思い込むことで自分で自分の心理セラピーを行っていたのかも。



マレーショー出演から見るアーサーの自己愛

人に見下され続けて何かできたためしがないアーサーが自分が初めて人を見返せるものが物理的に他人に勝つサツ人だったのか。誰か自分はこれだけやっているぞ認めてくれという承認欲求?

ここでホアキンは「性格類型」という言葉を使っているものの、フィリップス監督と共同脚本のスコット・シルバー、ホアキンの3人は、アーサーの内面について多くを話し合うことはしなかったとのこと。ただし、監督は「アーサーは自己愛が強い」ということだけは明らかにしている。
「それが僕たちの唯一同意したことです。それ以外に、彼がどんな精神状態で、どんなものを抱えていたのか、どんなことに苦しんでいたのかは分かりません。けれども、僕は自己愛について考えていました。
彼は自殺したい、だけどそれは人前がいい……こうした考えを実行に移すのと同じように、(行動には)何らかの意味があるべきだということです。」

https://theriver.jp/joker-climax-decision/2/

この自己愛がすごいというのは、誰にも振り向いてもらえない。母親でさえもトマスウェインのことばっかりで自分に向いてくれない。自分の想像の中だけでも、ソフィーに愛され、ランダルも認めてくれていると自分で自分の心療セラピーをしている感じからすごく納得。子供のうちに愛をしっかりともらって成長していたらこんなことにはならなかったんだろうけど、誰にも愛されない自分をどこか第三者目線で見て自分が愛してあげなきゃ、自分はすごいと自己主張しなきゃみたいなことをどうにか聞いてもらおうと拡声器で叫んでいるような感じがする。

米Colliderロにフィリップス監督が語ったところによると、アーサーは土壇場で心変わりし、自殺するのではなく、マレーを殺害することを選んだのだという。アーサーは生放送中に自殺するつもりでいたものの、「あの瞬間に考えが変わった」というのだ。アーサーを演じたホアキン・フェニックスは、その理由をこう語っている。
「そういう、ある特定の性格類型だったからだ、とも言えます。認められることを求めていて、自滅的ではあるけれども、自分の死は意味のあるものにしたいという人物なんです。アーサーは自分の日記に、“この人生よりも意味のある死を望む”と書いています。あのシーンについては、早い段階で話し合ったのを覚えていますよ。(アーサーのような人物は)自殺しようとする時に、できるだけ大勢の観客を求めるだろうと。なぜなら、ある意味で、彼らは自分が望む実感を得たいと考えるからです。認められる感覚を求めているんですよ。」

https://theriver.jp/joker-climax-decision/2/

マレーショー行く前に考えてたノックノックジョークは自分が自殺するっていうほんまにI just hope my death makes more cents than my lifeというセリフにつながってるのかな。自分の死がmake sense(意味を成す、有意義)とmake cents(金になる、稼げる)になればいい、誰も自分を求めていないのならテレビ上でこうしたら芸人らしく人を楽しませれるでしょうみたいな皮肉?

make fun of meしたお前らに、みたいな観客の前で自分を殺したらきっと印象に残るし忘れられなくなってこれで自分をもう見て見ぬふり、素通りしていくやつはもういない。気の弱くみえるアーサーでも自己愛自己主張がとても大きいのは長年心の底にしまっていた願望だったからかな。そして大勢の人の前、さらにマレーの前でやったのは彼なら止めてくれるかもしれないという最後の希望、心の叫びだったかもしれない。

余談)一番最初に頭に指ピストルのジェスチャーはあそこでアーサーから完全にジョーカーになった(アーサーが死んでジョーカーがのっとった)的な意味してるのかなと考えたりもした。

Murray Franklin’s Unrealisticness

この映画の中で分からなかったのが、なぜマレーを撃ったのかということ。これの答えになるかはさておきYouTubeの考察で、”人気商売のショーホストがわざわざカメラの前でmake fun of peopleして自分の信頼を失うようなリスクを負うのか正直疑わしい。現にエレンさんとかレイトナイトショーとかのホストは徹底的にいかに自分がhow good they areを見せている。見た目からこの道4-50年はやっていますみたいなプロのマレーフランクリンがわざわざ自分から嫌われに行くか?全部妄想なんじゃないのか”みたいなことを書いていた人がいて、もしこのシーンも全部ジョーカーの妄想だったら、途中で話に飽きてこいつうるせえから物語に必要もうないしってあっさり消したような。

もしくはもっと面白い仮説として、例えばジョーカーがいる現実の世界にもマレーフランクリンがいたとして、ジョーカーが彼を煩わしいと思っていたのなら自分のストーリーの中だけでも鬱憤を晴らしてたりしてなど想像してみたりもした。

マレーフランクリンショーでのジョーカーの顔はアーサーの顔じゃなく憎しみに囚われたすごい顔をしてた。自分のギャグと自分を蔑ろにされてプライドが折れ、自分が尊敬していた人物像が実は自分の中で作り上げちゃったただの虚構でしかないの悟って殺したっていう理由はわかった。けどあれはアーサーの顔じゃなくてジョーカーの顔やったからほんまにもしかしたらマレーみたいな話はあったんかな?最初から揶揄われてると気付いていたのにそれをマレーへの尊敬でなんとか隠していたけど、それが爆発したorアーサーであればあんなことはせずtimidなまま終わっていたのに、あそこでストーリーをmade upしてるジョーカーが移った?アーサーでは言えないことをジョーカー視点で言えるようになった?

自分の妄想の中ではずっと優しく接してくれて自分を裏切らなかった人、他の人とは違うんだと思ってたマレーが、アーサーを軽蔑する他と同じ反応を示したから、絶望?逆ギレ?でもあの感じはそんな複雑な気持ちの変化があったのかな?急に爆発したように見えた。
あそこらへんの狂気の中に”アーサー”がいなくてアーサーであってジョーカーなのがあまりわからん。監督とホアキンさんはここでジョーカーになった!って言うポイントはなくじわじわと浸食して行ったのだと思いますみたいな言うてたけど、途中からアーサーっていうidentityいなくない?そもそもアーサーっていう自は弱すぎてなかった?怒りコントロール出来なくて耐えられんくてアーサーがじょーかーにスイッチーングみたいな感じにも見えるけど、なんかただの多人格でおさめたくないような

何度も繰り返されてたthat’s life
アーサーが社会の生きづらさを話す中、おそらく富裕層で困っていないマレーは、「まあねいろいろあるけど乗り越えましょうねー我慢しましょうね」みたいな当たり障りのない返事ばかり、変化が必要だとも思っていないし求めてもいない。自分の絶対的な味方であるかっこいいfigureであったはずのマーレ―も現実で会うと、自分を肯定してくれもしないしなんだか他人に忖度しててかっこわりーと思っていたかも。


インセル説とソフィーについて

インセルこの言葉を知ったのは、確かこの映画を見てすぐに考察をあさっていたらでてきた、”冒頭で少年たちにアーサーがボコられているシーンでパートナーがいるわけでもないのに自分の股間だけは絶対に死守している感じがインセルっぽい”というようなコメントを見た時だったと思う。

ここ数年、アメリカで話題になっている「インセル」と呼ばれる男性たちをご存じだろうか。
インセルとは「インボランタリー・セリベイト」の略語で、「不本意な禁欲主義者」を意味する。自分の容貌を醜いと自覚している異性愛の男性たちで、女性達から蔑視されているせいで恋人ができないと信じている。
女性への憎悪を募らせて、過激な行動に出るインセルも社会問題になっている。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/incels-looksmaxing-obsession_jp_5c5bee2ce4b0e3ab95b42e25
一時アメリカでインセルが起こす殺人事件が話題になっていた

電車で三人殺した後の駅の階段/ホームでのダンスから自分の想像ではあったけど、同じアパートに住む隣人のソフィーちゃんのところに行ったから、上の自己愛のパートで触れた暴力でgaining masculinity(?)自分に男としての自信が芽生え、自信が芽生える度にもちろん女性との触れ合いなんてできないから消化するために踊ってるのかなあと。

・ストーカー心理
ソフィーにのめり込んでいったのは、社会からも親からも仕事場からも面白い自分というのを受け入れてもらえない中、笑いかけて自分のジョークに笑ってくれた(おそらく廊下で二人しかおらず白人男性自分は黒人女性で何されるかわからないから身を守るための愛想笑い)してくれた唯一の女性に”受け入れてくれた”と妄想に拍車がかかって盛大な勘違いをしてしまった。

・パトカーの音
ソフィーの部屋に行ったあとパトカーのサイレンが聞こえたので、もしかしたらソフィーが自分に気持ちを向けてくれて男女の仲になった妄想をしていただけで、現実ではアーサーがソフィーの家に押し入って、もちろん恋人でも何でもないソフィーから「いったい何なんですか、警察呼びますよ」とでも言われて激昂してソフィーも子供も手にかけっちゃったんじゃないかと恐ろしい最悪の事態が想像できてしまう。

・個人的な余談)白人インセルと有色人種女性
あと映画作品としてpeople of colorを入れなきゃいけない風潮があるのはもちろんだけど、時代背景からしてまだ有色人種の地位は低く、社会での地位が低いアーサーでも白人男としてイケるだろみたいなところがあったようにも思える。しかしソフィーからしたらその時代に相当社会から抑圧されてか下げない自分と同じアパートに住んでいる男なんて子連れの彼女がどれだけ怖かったか。
個人的な経験だけど、イギリスに滞在していた際に何度かこの人絶対こっちがアジアの女やから声かけてるなということが数回あった。その人たちに共通していたのが、背が低かったり髪が薄かったり、話がかみ合わなかったり冗談が通じなかったり典型的な現地の女性(ヨーロッパ人女性)に相手にされない人が多かった気がする。だからアーサーももしかしたらソフィーがドタイプだったのかもしれないけど、インセルなんだとしたら女を記号としてしかとらえていなかったとしたら、この人なら自分でも白人男という社会の地位は高いから相手にしてくれるだろうという唯一強く出れる女性だったのかもしれない。


🦸この映画でのブルースくんはバットマンなのか

トマスウェインに拘っているわけではなく、もしこれで復讐劇が始まって少年がバットマンになって悪の自分を倒す人気者になるという話なんかあったら面白くない?みたいな発想からまたこれも勝手に思い出を捏造してるだけかも。

あのブルースからバットマンが生まれるのか?

・アーサーとブルースの年齢差
アーサーは後にバットマンと戦うジョーカーではなく、アーサーに触発され暴動を起こした市民たちの中にジョーカーとなるものがいるとか

・ピエロ軍団の中に第二のジョーカー?
シリアルキラーに憧れる模倣犯のように、昔の記事を引っ張り出してきてアーサーを崇拝するものが出てくるとか?おそらく映画の中の話はアーサーの作り話だから、自分がライバルである子供のバットマンに会ってたら面白いよね?というジョーカーなりの笑い話かもなど考察が捗る。

父親を失った子供自分と一緒の悲劇を作り出したのがおもしろい?あのブルースくんあんま感情がなかったのが気になる点だったけど、jokerの妄想だったとしたら自分も笑顔しかしてこなかったけど感情を知ったことがないから子供の感情が分からなくて表情がなかったんかも。

バットマンの話もジョーカーのオモロイジョークやったと考えたら一人のまじサイコパスがほんまに現実でいろいろ犯罪やらかしてヒーローなんていないからどうにもできない現実すぎる現実世界味が増してきて怖い。

余談)アーサーもブルースにとっての父親像だったかも?
飛躍ではあるけど父親がいなかったアーサーがマーレーフランクリンに幻想の父親像を抱いているように、厳格であまり子供に構ってくれない父親と正反対の笑わしてくれる”ジョーカー”に幻想を抱くブルース少年という構図がなんとなく想像できてしまうのも少し怖いなと思った。


最後に章にするまでもないこまごました考察

  • 物語の中でジョーカーの作り話の証拠かなと思ったシーン

ジョーカーが引き起こした暴動でピエロだらけになる電車の応援に向かう警察官たち

これも警官たちがピエロの軍団と警察官が電車の中でって連絡きたらアーサーってわからんくてもピエロのメイクしてるやつを見過ごすのようわからん。this scene was way too cinematographically cool, beautifulだった。現実じゃない、ジョーカーのナルシズムが少し垣間見えるのか?

面白いなと思った他人の考察。
・YouTubeでのコメント:アーサーが使ってた銃は六発しか弾が装填できないはずなのに最後階段でウォール街の男たちを撃った際7、8発と銃の音が聞こえた。

他人による時計の時間(11時11分)に関しての考察:旧約聖書エレミヤ書11:11「それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは彼らに聞かない。」
無理やりつなげてみたら、自分が嫌う偽善者、社会の偽善性に罪を与えるジョーカーなんて。

  • 階段の隠喩

アーサーとしては階段を上るばかり、ジョーカーでは階段を降りるシーン何かある?ただ単に位置関係?

階段を毎日上り下りしなきゃいけないというシーンで隠喩的に彼がどれだけlower incomeなのかみたいなことも暗喩されているのかな?ここはパラサイトにもあった逃げるのに階段をずっと降りて行ってるシーンとも被るから、階段を下ること=視覚的に主人公の社会的な立場の低さを表しているのかも。

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