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イジメの芽を育てないよう、まずは私が好かれようー我が子が笑われ…の後日談ー

障害児の親にとって、我が子がいじめられないか、バカにされないかは本当に心配ですよね。それに、障害のある我が子への理解をどうすれば促せるのか、悩みますよね。

こんにちは、かーこです。自閉症・重度知的障害の長男とともに、療育園に週5日通園しています。

本投稿では、わが子を健常児に笑われてショックで泣いてしまった私が、「積極的に話そう」という決意を実践した話、そしてわが子を受け入れてもらうために、まずは私が好かれることが大切と気づいた話です。

「我が子が笑われ…」の後日談ですが、単体でも読めるように書きます。

<↑の概要>
わが子が健常児たちに笑われたのですが、私はショックで何もできませんでした。周囲の慰めと励ましにより立ち直り、これからは長男のことを積極的に周囲に話していこうと決意しました。

園長との面談

わが子が笑われたのは、"保育園交流"の出来事でした。障害児の親子と療育園の先生が、普通の保育園のクラスに混ざって一日を過ごします。月に2回行われ、笑われた日から2週間後が、次の交流日でした。

数日前から憂鬱で、正直行きたくありませんでした。しかし、この子を理解してもらうために、行きました。

交流先の園長とクラス担任の先生は、療育園の先生から今回のこと(障害児が園児たちに笑われて親がショックを受けたこと)を聞いています。

なので、交流に行ったら何か一言あと思っていたのですが、何もありませんでした。

このままでは来た意味がない、私から園長との面談を願い出ました

まずは息子が笑われたことを、なるべく感情は入れずに客観的な事実だけを話しました。

そして、以下の通り伝えました。

・園児たちに悪気がないことは分かっている。園児ではなく、それを止めずに笑っていた先生がショックだった。

・長男の顔を見れば、困っているときの奇声である(喜びの奇声ではない)ことは分かる。保育士として子どもの顔を確認してほしかった

「奇声を出す子をみんなで笑った」という経験を園児にさせた(大人が止めなかった)ことを後悔している。今は悪気はなくても、こういった経験の積み重ねが、いずれ「イジメの芽」になると思う

実際に話す時は、途中で気持ちが高ぶり、少し、怒りを口調に表してしまいました。

「保育士なら、子どもの顔を見ていてほしかったです」「私から面談を願い出なければこの場が設けられなかったことも、どうかと思います」という言葉は、語調を強くして言ってしまいました。

園長もイラっとした様子でした。大人同士の話し合いなので、もっと冷静になりたかったです。

先生からの謝罪

そのさらに1週間後も交流でした。笑われた日から2度目です。休みたい気持ちを抑えて行きました。

すると、交流クラスの担任の先生から一言、謝罪がありました。

「園長からお母さんの思いを聞きました。イジメの芽という話は、そうだと思います。申し訳なかったです。言っていただいてありがとうございます。」

園長は私の思いを先生に伝えてくれていました。先生が、こうして謝ってくれる人で、とホッとしました。

無邪気で可愛い園児たち

園児たちは、息子の奇声を真似したこと・笑ったことについて、注意は受けていません。その場では大人は何も言わなかったのに、後から怒るというのは違うと思うので、私もそれがいいと思います。

笑われた後の交流でも、園児たちは「〇〇くーん」と息子を歓迎してくれてました。ある男の子は、給食の前に息子の椅子を持ってきてくれました。「ありがとう!嬉しいなぁ、助かったよ」と私が言うと、得意そうに微笑んで、可愛かったです

そして給食の配膳中。また息子が待ちきれずにイライラして奇声を出しました。一番に真似をして笑いだしたのは、さっき椅子を出してくれた子でした。「ああ、やっぱり悪気は全くないんだ」そう思いました。

しかし、このまま黙っていると、またあの日のように「困っている変な子を、みんなで真似して大笑い」となってしまいます。おせっかいな話ですが、この子たちにそんな経験をさせたくありません。

今回は言うことができました。

「この子はご飯が待ちきれなくて困っているんだよ、笑うんじゃなくて、もうすぐだよって言ってあげてほしいな」

すると、笑うのをピタッとやめて、「もうすぐだよ」「大丈夫ー?」と言ってくれました。ほんとうに素直で、可愛い子たちです。

結局、息子は今回も配膳を最後まで待つことができず、激しい癇癪に発展する前に、先に食べることにしました。

でも、子どもたちはそれをずるいと指摘することもなく、「よかったねー」「食べるの速っ!」と笑って待っていました。いい子たちです。

もちろん、これで解決ではありません。今回私が説明できたのは、同じテーブルの子たち数人だけです。

他の場面でも息子の変な行動が真似され・笑われていたのですが、距離もあったし、動き回る息子を見ながらなので、そちらは何もしませんでした。

ただ、親があまりにも目くじら立てて過敏に反応してしまうと、逆に息子が腫れもの扱いで孤立していまいます。「イジメの芽」を摘み取るか、受け流すかは、雰囲気を見極めたいと思います。

「話そう」は、おおむね成功

「話そう」という私の決意と実践は、おおむね成功したと思います。

交流クラスの先生から謝ってもらうことができ、保育士さんへの信頼感を保つことができました。
また、園児たちに話すことで、笑うのをやめて適切な行動に導くことができました。

褒められたい園児たち

初めて交流に行った日から感じていたのですが、園児たちはなにかと大人(親)と話したがります。「見て見て!」と片足立ちを見せてくれたり、壁の絵を見ていると「それ書いたの私だよ~」と教えてくれたり。

そこで思いきり褒めたり感謝すると喜び、その後も私に話かけてくれます。それを見た他の子も近づいてきます。

みんな褒められたいのです。園児25人に対してクラスの先生は1~2人。先生は全員に目が届かないから、大人に注目され、褒められることに飢えているのでしょう。

まずは私が好かれよう

今回、私が息子のことを「この子は困っているんだよ、笑うよりも〇〇してあげてね」とお願いした時に、すんなりとそうしてもらえたのは、私が良い印象を持ってもらえていたのかなと思います。

つまり、私の話を聞いてもらうには、まずは私が子どもたちの話を聞き、愛情をもって接することが大切だと感じました。

例えば、怖い顔で「うちの子をイジメるんじゃないわよ!」と監視する大人に子供たちは近づきません。そんな大人がそばにいる息子にも近づきません。

それに比べて、優しそうで、近づくと注目してくれる、何かすると褒めてくれる大人には近づきます。さらに、私に褒められたくて、息子に親切にしてくれます。

そして、私が息子の気持ちを説明したときも耳を傾けてくれます。「今この子は〇〇って気持ちで〇〇してるんだよ。」と。

息子のことを理解してもらうには、まずは私がこの子達に注目し、話を聞き、褒めること、つまりは愛することが大切だと感じました。

もちろん、これはまだ子どもたちが幼くて、障害者への侮蔑や悪意の気持ちが無いから出来ることです。もっと大きくなった子ども相手には通用しないと思います。

でも、こうやって幼い頃に障害のあるお友達を毎日見ていた子どもたちは、成長しても障害児をイジメにくいと思うのです。

「ちょっと変わったお友達がクラスにいた。変な行動もしてたけど、まぁそんな子もいるよね。」と。

草の根活動みたいな話ですが、私はこれからも、子どもたちに愛情を持って接し、息子のことを話していこうと思います。

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