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言語化しないことの意味

今日は11時間寝たので、とても頭が冴えております。今日は各地で雪が降っているので、皆さん体調管理に努めていきましょう⛄
今日はここ数日頭の中で考えていることについて書きたいと思います。

はじめに

自分の思考や感情を言葉にすることは誰しも日常的に行っていることだと思います。私は語彙が豊富な人や文章構成力が高い人、言葉巧みに聞き手を誘導しその気にさせる人、そういった「すごい人」を目の当たりにした時、いつも心の中で「あー、すごいな。自分にはそこまでできないな」と圧倒され何だか腰が引けてしまいます。

しかしその反面「語彙も話し方もすごいのだけど、”何か”が不足している気がする。逆に私は言葉にすることは苦手だけど、その”何か”の欠片を持っている気がする…」と思うのです。

では言語化することのメリット・デメリット、且つ言語化しないことのメリット・デメリットとはいったい何でしょうか。私なりに考えてみました。

言語化すること

★メリット:
自分の思考や感情を相手と共有することが出来る
自分の思考や感情を客観的に捉えることが出来る
★デメリット:
どうしても話し手と受け手に解像度の差が生まれてしまう
言語の陳腐化が起きてしまう

言語化しないこと

★メリット:
自分の思考や感情を自分の中だけに留めておくことが可能
★デメリット:
自分の思考や感情を相手に伝えることは難しい
他者から誤解される可能性が高まる
※これらはあくまで個人の考えです。

私は言語化すること(表現すること)について興味があります。ただ言語化は苦手です。でも相手に「伝えたい。」「伝われ!」という思いは強いです。だからテレパシーでもあればいいのに…とふと思うことが結構あります(笑) でもないのが現実。
言語化が苦手な私がこれをいうと「言い訳しているだけ」「開き直りじゃないか」と言われるかもしれませんが、私は言語化しないことの意味はあると思います。あえて言語化しないというか。言語化するのももったいないというか。

言葉にしきれないもの

ご飯を食べた後、映画を観た後、遠足や旅行に行った後、いつも私たちは感想を求められます。学生時代、何かしら行事が終わると毎回のように感想文や反省文を書かされましたね(笑) 
感じたことや考えていることを外面に出すことが当たり前の世界で、それをしないと「何も感じなかったの?思わなかったの?」と心配されたり、”恥ずかしがり屋さん”や”不思議な子”と周囲から”そういったラベル”を貼られたりしました。(この話はまた別の機会に出来たらと思います。)

感情や思考にラベルを付ける。それは別に良いと思います。つけることで自分について客観的に見ることが出来るので、、でも

言葉にしきれないものってあるじゃないですか。
・応援していた野球チームが優勝した試合直後の心境
・久々に食べた母の手料理の味
・大好きだった恋人との別れ など
言葉にしようと思えばできるけど、してしまったら、もったいないという感覚。だからあえてしない。まだ自分の中にとっておく、みたいな。
皆さんにとっての”言葉にしきれないもの”ってどんなものでしょうか?

感覚優位な私だから思うことかもしれませんが、
私は未だに自分の感覚(感情、思考、感じるもの全て)が分かりません。
自分が自分を分からない…というか、”未知で無限”
こんな言葉が今のところは当てはまるでしょうか。

自分の感覚(自分から見える世界)があり、それに当てはまる、しっくりくる言葉を探していく作業。
常に頭によぎる無数の言葉たちを眺めては「あれでもない、これでもない。どこだどこだ…」とひたすらに探し続けるようなイメージです。
あ。ドラえもんが四次元ポケットからひたすらその状況に合う道具を探しているようなイメージに近いかもしれません(笑)
いつも感じたり考える度にそれを行っているからまあ疲れちゃうんですけど、できるだけ近いものじゃないと、自分の外に出したくないなと思うんです。(なぜでしょうか。これもまた今度じっくり考えたいですね。)

どんどん話が脱線してしまうので、最初に戻ります。
冒頭にお話しした「語彙も話し方もすごいのだけど、”何か”が不足している気がする。逆に私は言葉にすることは苦手だけど、その”何か”の欠片を持っている気がする…」 この何か。
皆さんならこれに何とラベルを付けますか?

私が言いたいこと

つらつら書いてきましたが、私が言いたいことは、
言語化することだけが全てじゃない。と思うのです。
”言語化することの意味”があるのなら、”言語化しないことの意味”もあっていいと思うんです。
”言語化することの主張”がこんなに世の中に溢れているのなら、”言語化しないことの主張”も同等に扱われていいものだと思うのです。

また相手に伝える方法は他にも沢山あります。
色彩、絵画、写真、音楽、ダンス、光、味、匂い、触覚、etc.
さまざまです。

最後に

言語化に興味を持ちながら、
自ら語彙や話し方を独自で学びながら、
あえて言語化しないことの意味やその可能性について考える。一見矛盾しているし、結局何がしたいかと問い詰められそうで怖いですが、私はすごく価値のあることだと思うのです。

今日はこの辺で終わりたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
ご気軽にコメントして頂けるととても嬉しいです。
あえて言語化しなくても構いません。。