「サイケをかけておくれ、サイケを」というおばあちゃんになりたい①


と、常日頃思っている。
これを思ったのが2018年なので6年ぐらい前だけど
そこからその気持ちは変わっていない。

私は音楽には詳しく無いけど、
でも大好きで、この気持ちでずっといられたら、
と思っている。

でもサイケは20代女が聴くにはちょっとクセがある。
どこから私の嗜好がサイケへ向いたのか…。
人がサイケへのめり込むまでの記録として書き留めてみる。

小学校
自作MIX CDのセンスを自慢したり、オススメ CDの貸し借りが盛んに行われており、小学校の昼休みにはみんなで教室のラジカセに順番に CDを入れて流行りの歌を歌っていた。

たまに当時話題になった心霊CDを入れて「ギャー!!!」って叫んでいたが、あれは結局ホンモノだったのか?「おかーさーん」って聞こえるやつ。

女子はジャニーズ一強時代。もしかしたらEXILEもいたかも。でも私の周りは嵐 KAT-TUN NEWS Hey!Say!7 にキャーキャーしており、私も例に漏れず嵐にキャーキャーしていた。
ニノ担。待ち受けにしファンクラブにも入っていた。

ちなみに今でもこの頃の嵐は聴いている。この2000年代のジャニーズの楽曲たちのPOPS?ジャズ?煌びやかだけどマイナーな感じが好き。詳しくないからこれが合ってるのか知らんけど。詳しい人いたら解説してほしい。


中学校
ここで私の中で嵐の音楽性がズレてきてあまり推せなくなった。顔が良くても、バラエティが面白くても、曲が好みとは違くなると推せなくなった。これが初めての推しとの別れだった。

私は当時塾に通っており、その友達から中2の時にもたらされた異文化がRADWIMPSだった。
我が家では親の好みで日頃レッチリやストーンズが流れていたが、日本のバンドで興味を持ったのはこれが初めてだった。

クルクルホイールのiPodが全曲嵐から全曲RADWIMPSに変わった。

そして、信者へ。

今はRADもいろんなメディアに出ているが、当時メディアに出る事が珍しかったため、ラジオや雑誌のメディア露出があると必ずチェックし拝んだ。

そんな中、ある日school of lockというラジオで週一コーナーを担当すると決まったことで、SOLの存在を知る。
今も音楽が好きな10代は聴いているだろう。大人になった今でも「リスナーだった?!」って話で盛り上がることがよくある。

この出会いが私にとって革命だった。

10代の多感な時期の悩みに寄り添い、学校で満たされない趣味の繋がりや踏み込んで話せないこともここでならみんなが話せた。素晴らしい番組だ。
私もラジオの前でのこの時間を大切にしていた。私の携帯はパケホではなかったので、自分で書き込みはできなかったが、みんなのリアルタイムの盛り上がりはとても楽しかった。
この番組は音楽に力を入れており有名な閃光ライオットという10代バンドの甲子園を主催していたりする。
この閃光ライオットに出ている人たちや、コーナー内でのバンドマンたちのバンド語りで""バンド""に大きな憧れを膨らませていく。

ちなみに中学校では硬式テニス部と演劇部と美術部を兼部というアホムーブをしていた。
普通にアウトすぎる。
特に美術部の先生には気に入られていたが、「高校に入ったら全部やりません。私はバンドをやる!」と言い放ち少し寂しい顔をさせてしまった。


と、中学校まで書いて結構文字数がいってしまった。
まだまだサイケに辿り着く気配がない。
でも懐かしい思い出をこうして書き留めることが
私は楽しいので、私の自己満で続けさせてください。
ラジカセのこととか久しぶりに思い出した。

また②で。

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