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14農業六次産業化(業態変化が必要)

上記画像は、農業六次産業化で漬物製造事業を起業する為に準備を進める、私が請け負った指導先の某JA組織に、私の所有する什器を輸送する為に
某JA軽トラを京都に乗り帰り、復路は、私の指示した製造実技教習の実践の為に、無人航送で新日本海フェリー船内に送り込んだ時の画像である。樽の中には重石が入っていて嵩は低いが、重量は積載量限度をはるかに超えている。京都市内から敦賀港まで運転に怖い思いをした。この後の指導には、私も自所有の軽トラに原料・道具を積み自走(片道約900kmの距離)を一般道(国道主体)で向かい、農産物出荷場で自炊・寝泊りをして指導をさせていただいた。自所有の軽トラは現地での利便に都合がよく、地域の方々が集う、掛け流し温泉で癒されるのが嬉しかった。
さて、連続して、毎日投稿を続けているが、流石に疲れてくるのを実感しているが、弾みと言うか、ヤケクソと言うか、好き勝手に記述して良いのなら、いくらでも記述する内容が有るものだと、自身で驚いしまう。
この頁でも、先回に続いて六次産業化に付いて述べる事にする。
そもそも、この六次産業という根本は事業規模は小規模ながらも、古来よりの農業者の姿なのではないか?と思う時が有る。
この頁では、私の思考だけが中心となる記述をする事になる。よって、気を悪くしないでください。

《農作物生産だけでは無い、農家の生産活動》
昔ながらの生活を行っている、農業者世帯も有るのではないであろうか?
昔からの農産物生産に加えて、家伝的に、その加工品を自己消費の為に製造したりする事である。味噌・醤油等は言うに及ばず、養蚕等もその範疇に入るように思う。農繁期は農産物生産に没頭する時期ではあるが、反面、農閑期には、それら自己消費品や特産品の製造仕事が主となっていたようだ。
現に、私の先祖や今でも親族は、京都市北区上賀茂特産のすぐき漬の生産を行い、直売と漬物企業に卸売りを行っている。京都市左京区大原の寂光院近所の友人に於いても、名産品の生しば漬(ナスを大原産の赤紫蘇で漬け込んみ発酵させた無添加の漬物)の生産を行い、納品先の問屋のブランドでパッケージされて、人気商品となっている。
既に、農家では六次産業化を意識するまでもなく、六次産業化の礎たる形態は存在していたと言えると思う。が、農家では当たり前の事だと意識をせずに、平然と通過する年中行事であっただけで、その産物が自己消費外で収入を得る可能性に気付いていなかっただけなのではないであろうか。それ等を掘り起こし、共同事業にすれば、相当の力を発揮できるように思う時が多い。又、各地方でその産品に触れた時に感動をする時も多くある。そんな素晴らしい感動モノの加工品を六次産業化して事業体にして、営業力を付けて世に広める事が、六次産業化をあれこれ思考するよりも、手っ取り早い方法なのではないかと思う。

着色料を使用せず、等級外のナスを切って強圧で漬け込み、発酵によって酸度phが下がり酸性が進む事によって大原産の赤紫蘇は独特の鮮やかな赤色を発色して製品全体を染めてその赤紫蘇の風味と共に何とも言えない食欲をそそる酸味風味を与え、芳香を放つ。
品質表示は、【ナス・赤紫蘇・食塩】とだけ。即ち、無添加食品。

《農作物を各農家が直売する事象》
私の先祖や親族の話が中心になって恐縮ではあるが、その先祖や親族は、【振り売り】という販売方法を代々行っていたし、現在も行っている。
夏野菜を収穫する時期に朝収穫した農産物を、京都市内の定位置数か所の街角で、毎度、販売をするのである。昔は、荷車に積んで商売を行っていたようであるが、現在では、軽トラに積んで遠くまで出向いて商売をしているようである。そこで、購入する固定客も存在するようだ。世帯のご婦人方が行っているのが主で、その間、お父さん方は畑で生産物の管理作業を行っている。だいたいが、午前中でその商売は終了して、帰宅し日中の日差しを避ける時間帯は昼寝休息が各世帯の常のようだ。
で、夕方から翌日の準備となる。
各地で朝市が存在するのも、各農家の直売の手段でもあろう。
最近では、到る所で地場野菜の直売を見る事ができるようになった。
道端の小屋やパラソル下で、無人販売所等。私なら盗難の被害に遭わないかと、ヒヤヒヤしてしまう。
亡き父親は、「ベニヤ板1枚とその上に並べる商品が有れば、商売をする気が有れば事業スタートの店舗ができる。」が口癖であった。画像や映像で見る事が有った、先の大戦で敗戦後の無法な闇市を想像してよかろう。

六次産業プランナーとしての指導先で、歴史ある小さな朝市を見学に行った。毎日開催ではなく、日曜日開催。雰囲気は常連さんで賑わい老人が主体の交流の場と化していた。
販売品目は知らない農産物だらけ。調理法が不明で購入はできなかった。

《昔の農家の姿を深く思考し、現代化する事》
小規模営農を集合して規模拡大を図り、農業事業の安定化と収入増加を目指す等という論調や動きが*有ったし、有る。(*消えては、現れる=ヤヤコシイし、そのうちどうでもよくなる論調として表現した。)

日本の代表的な干拓地で広大な面積で欧米農業を習い、大戦後の食糧不足を解消しようとして、日本第2の広さを持つ八郎潟を干拓して、農家1世帯当たりの大農地を確保し、そこに入植をした方々が居る。しかし、国の急激な農業政策(減反政策)の施行により、経営は大打撃を受ける。
希望を持ち入植した方々の失望は涙ものである。

日本の代表的な干拓地で広大な面積で欧米農業を習い、大戦後の食糧不足を解消しようとして、日本第2の広さを持つ八郎潟を干拓して農地を確保し、そこに入植をした方々が居る。実際を見に行った。干拓地内を走る基幹道路はひたすらまっすぐ平坦で、その中の圃場規模の大きさを実感できる。
しかし、入植した後の農業者の労力や置かれた立場は知れば知る程、悲惨である。大規模農業の弱点が、そもそも、農業に汗をして、ドロドロで辛い経験の無い者達が、ネクタイと革靴の机上のA4紙で決めた数字合わせだけの国策を急激変化させて、八郎潟の入植者は、見捨てられるに近いモノであった事が認識できる。私が集約大規模営農が、現代~将来に適当とは言えない理由の一つである。汗と泥の臭いの無い将来予測した国策は、信用できないのである。よく出没する、学識経験者すら疑わしい(笑)(学識の経験であっても、実際の経験者ではないのでは?そんな奴等の意見が参考になっている。)
そもそも、当時の時代背景を学習し認識すれば、食糧増産は必要であったかも知れないが、機械化されて大規模集団的農業の恩恵を受けつつ、豊かな欧米的生活を夢見て入植したものの、土質ドロドロの圃場が苦労して改良ができて、やっと生産が軌道に乗りだした頃には、米増産は必要では無くなった。国民の食の欧米化が進んだからだ。国民は米を食わなくなった。
で、米は減反政策へ舵をきり、全国で生産調整を行う。米作りに夢を託した入植者さん達の怒りを通り越した感情を知る事が出来よう。
私は、農業経営は、【やってやるぞ!精神所持農業者個人単立】で、効率を第一に実践し、販売を他に任せない小規模営農で良いと思う。丁寧に農産物を作り、丁寧に販売する。そして、加工品を商品化して様々な販売チャンネルで自己の全ての生産物を自信を持って販売する。
物流機能は今ではだれでも手軽に利用できるので、通販は有効なリピート固定客を作る事もできるように思う。
注意する事は、急激に事業拡大行ってはいけない。拡大は簡単であるが継続は難しい。即ち、動きが重たい。機動性に富み、軽く、こじんまりとした、昔ながらの行為を外に向けて改良した商品販売を、10年間継続を努力してみれば良い。そこで、利益が増えているようなら継続をすれば良いし、無駄な事を感じれば廃業で良いと思う。
私は、精肉は業務品を扱う店舗から通販で1か月分を月初に必要分のまとめ買いをしている。冷凍技術と個人宅配便の技術が進んだ現代に於いて、冷凍輸入品であろうが、産地ブランドであろうがは気にしないで、美味しいモノが、安く・確実に欲しいから、この店舗のリピーターである。

見出しから話題が少し変化しました。
ごめんなさい。あしからず。
では。

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