エッセイスト

私は自分の書く文章がどんなジャンルになるのか?
と考えた。日記でもなく、小説でもない。
何気なく、エッセイと検索した所、私の書く文章が説明されている内容に合っている気がした。
そうか、私の書くものはエッセイと呼べるのかもしれないと思った。
私がnoteを始めるときに思ったこと。
それは、日々の感じたことや思ったことをここに書き残していこうと思った。
それは、私が一番書きやすく、心地よく、好きな書き方だ。
テーマを決めずに、心のまま、思いのままに書いていく。
それは今もずっと始めたときから、変わっていないこと。
逆に言うと、私は小説家にはなれないのだと思う。
書店で売っているような、あの分量のお話しなどは到底書けそうにないから。
小説家の方たちは凄いなぁと書店に行く度に思う。

そういえば、私が昔から手に取る本は言葉集だったり、エッセイだったっけ。

だからという訳でもないけれど、自分が書きたいもの書いているものも、どうやら、エッセイと呼んでもよいものみたいだ。

noteの醍醐味を考えた。
それは、やっぱり、書いただけで終わらないこと。
私の書いたものを読んでくださる方がいること。
もっと言えば、それにスキをつけてくださる方たちがいること。
それが何より嬉しい。

それから、もう少し調べてみようとググってみた。
エッセイストとはどんな人なのだろうか??

エッセイストとは

エッセイストとは、著者の人生経験を通じて得た価値観や日々思うことを、文章として発表する人を指します。「随筆家」と呼ばれることもありますが、現代ではエッセイストと呼ばれるのが一般的でしょう。 エッセイストは文筆家のひとつのカタチです。つまり、原稿を執筆することが主な仕事です。裏を返せば、エッセイを書いて発表している人は、すべて「エッセイスト」と名乗れることになります。
タレントや経営者などの著名人が本業のかたわら、みずからの体験や思想を執筆しエッセイストとしても活動しているケースもあるのです。
エッセイは、決まった形式があるわけではなく、感じたことや考えたことなどを自由に書くことができるもの。専業エッセイストに限定しなければ、幅がとても広いのがエッセイストといえるでしょう。

語彙力・表現力

多くの人に感銘を与えるエッセイを書くには、豊かな語彙力や表現力が必要です。語彙力といっても、難解な言葉や専門用語をたくさん知っていることが重要なわけではありません。むしろ、すっと人の心に染み込むような洗練された表現や、世の中の人が常日頃から感じていたことにマッチした名称をつけるようなチカラが求められるでしょう。 また、読者の心に刺さる表現を選んで文章をつづることも重要な能力です。エッセイの多くは長編ではなく、短い文章の中にさまざまな思いが凝縮されています。短時間で読める文章の中にも、印象に残る表現を盛り込むチカラが欠かせないのですね。

感受性と共感力

誰もがなんとなく気にしていた現象や物、また言語化しづらい時代の空気を、エッセイストは敏感に感じ取り、独自の切り口で言葉にします。優れたエッセイは、そんなエッセイストならではの感性や文体で構成されています。つまり、鋭い感受性が求められる仕事なのです。もちろんそのためには、日頃から社会情勢や流行に対してアンテナを高く立てておくことも必要となるでしょう。 もちろん、鋭い感受性が必要といっても、ちょっと共感できないぐらい独特すぎる感性では、マニア以外の多くの読者には受け入れられないかも。「それ、あるある!」と多くの人に思ってもらえる絶妙な感覚がエッセイスト自身に備わっていれば、著作はヒットする可能性が高いでしょう。 共感を呼ぶ文章を書くため、人の気持ちに寄り添える共感力もエッセイストに必要なのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜調べた中で、人の気持ちに寄り添えるという言葉がありました。
私がいつも大切にしていることです。
まだまだ、エッセイストと呼ばせていただくには、おこがましくて、敷居が高いのですが、
いつか、エッセイストと呼ばせていただける日が来たらいいなと思っています。
未来のエッセイストは、これからも、心に響くような言葉を紡いでいけたらいいなと思っています。



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