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プログレッシブ歩き遍路・2002年 ② 徳島

5月5日

朝5時に近所の小学校の花壇前で待ち合わせる。
旅に出る興奮で朝の空気がうまい。

先に着いたのでエコーで一服する。
しばらくすると呑気な顔した友人Sが歩いてくる。

とりあえずまた缶コーヒーとエコーでしばらく落ち着き、写ルンですで出発前の2人を写真に撮った。
俺は天然パーマの金髪で、友人Sは直毛の剛毛なので石川五右衛門みたいになっていた。

バスで駅まで向かい、電車で舞子まで移動するが、シートが気持ちよくて2人とも寝てしまい、ドアが閉まる直前に慌てて飛び降りた。

高速バスではほぼ寝てしまっていたが、徳島に入る瞬間の大塚製薬のポカリスエットの看板がすごく印象に残った。

そして1番霊山寺には鳴門で降りるのだけれど、それを知らずに徳島で良いやろうと適当に決めて徳島で降りる。
それから道路の標識などの情報をもとに考えると、霊山寺まで10キロ以上あると気づき、鳴門で降りたら近かったんやと嘆きながら爆笑する。

諦めの気持ちで晴天の中初めてゆっくりと四国を歩く。
海を挟んだ向かい側の兵庫県で18年間生まれ育ったけども、ここ徳島でも同じように18年間育った人がいて全く俺の知らない無関係なところでたくさんの出来事や思い出を持っているんだろうなあとなんとも言えない不思議な気持ちになる。
知らない場所の住宅や道路、電柱や草むらなど全てに心ときめく。

途中何度も休憩しエコーで一息ついた。
1番札所にも着いていないのに軟弱な俺の足にはもう水が溜まった豆ができてしまった。
それでも昼前には霊山寺に辿り着けた。もう88箇所終わったくらいの達成感だったけどやっとここから始まる。




* 



霊山寺についてから近くの店ですぐに遍路用品を揃えた。
白衣に金剛杖、輪袈裟、菅笠、同行二人と書いた鞄に般若心経、納め札、納経帳。
そしてめっちゃ頼りになる地図と遍路の心得みたいなのが書かれた二冊抱き合わせの本(高かった)。
金剛杖のカバーと輪袈裟はお互いの鞄に合わせて、俺はオレンジで友人Sは青にした。

買い物を終えると、なんと友人Sの残金は800円しかないと知る。
俺も二万くらいしかないし銀行にもあんまり入っていない。
まあええかなんとかなるやろうと考えることをやめそのままうどんを食べた。

店のおっちゃんが出発前にポラロイドで写真を撮ってくれた。

新品で揃えた綺麗な格好のまま霊山寺に行き、慣れない般若心経を唱え300円で納経。
納経が300円かける88箇所で26000円、それを2人で5万強。
これは2人合わせて20800円しか持ってない俺らには絶望やなあと笑えてくる。

豆がめっちゃ痛くなってきたので靴下を2枚履いて歩くことにする。

難なく2番極楽寺に着き納経を済ませ、エコー休憩する。
そこで同じお遍路のおばさんがサイダーをお接待してくれた。
お接待というのが初めてだったので感動する。
おばさんは占い師の卵らしく、師匠とお遍路に来ているということだった。
師匠と呼ばれるおじいさんは離れた木陰で座って休んでいた。
おばさんが手相を見てくれて、あなたには樹木希林みたいな女の人が合っているよ、若いのに悩みが多すぎると言われた。

それからおばさんの師匠に見てもらいましょうと言われ師匠に挨拶すると、師匠は目も合わせずに
「君らは人相が悪いからあんまり話したくないんや」
と言う。

はあなんじゃいこの爺さんは ボケか、と思う。

しかしなぜかおばさんは師匠を説得し俺らを見るように言う。
そして師匠は俺に、君はお金がたまらないから金のある女と付き合え。25歳が転機や。と言う。
友人Sも色々言われ、おばさんと師匠は去っていった。

師匠の無礼さ加減に遍路っていろんな人がいてすごい!と感動。

その後3番金泉寺に着くも5時を過ぎていたので納経は諦め、ほか弁で弁当を買い野球グランドみたいなところで食べる。

缶コーヒーとエコーでまったりしたあと寝る場所を探す。
いまいち野宿に向いた場所がなく、大麻と書かれた神社の駐車場で寝ることにする。

体は疲れとてもグロッキーで寝袋に入るとすぐに寝てしまった。
しかし夜中車の出入りがしょっちゅうあるのと、思った以上に寒く何度も目を覚ました。


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