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いじめられっ子

小生の親は八幡という町で八百屋を営んでいました。この八幡という町は、八幡製鉄の町。友達の親はほとんどが、この製鉄の関係。
社宅に住み、昭和40年代前半ではそれほど贅沢ができない環境だったのです。
それがユニフォームですからね、「八百屋のお前が?」もう妬みですよ。
当時ユニフォームをそろえると3000円ぐらいかかったと思います、グラブと同じぐらいするんですよ。
親父からしてみれば、サラリーマンと違い、月に2回のお休み、それも夫婦共働きの八百屋ですからね。子どもと遊ぶ時間も取れないし、恥をかかないようにという気持ちから、ユニフォームを買ってくれたのだと思います。
それから、草野球にも誘われなくなりました。確かそのユニフォームを着て野球をやったのは、一回きりだったと思います。あとは弟と二人でキャッチボールをやる時だけ・・・。親に申し訳なかったですね。
そんなことがあってから、今度は学校でもいじめられるようになりました。友達から、「八百屋のケンちゃん」と名前で呼ばれなくなり、もう勉強どころではありません。
特にU君にはやられました。お金こそ要求されなかったけど、言うことをきかないと殴る蹴る、いつも掃除用のほうきを持っていて、お尻はアザだらけでした。
学校にいる間は、彼の奴隷でした。親にも言えず、友達も見て見ぬふり辛かったですね。体は、自分のほうが大きいのですが、喧嘩する勇気もなく、ただただ耐える毎日でしたね。
そんなイジメもいつしか、先生に知れ、U君の親にも知れることになり、U君とは仲直りしたのですが、あまりにもU君の態度が急変したので驚きましたが・・・。
余談ですが、U君はこのイジメの件で、父親に一晩中電柱にくくりつけられたまま朝を迎えたそうです。昔は骨のある教育があったんですね。
この小学3年の時のことは、今でも鮮明に心に焼き付いています。

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