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おばあちゃんは88歳で本を書き始めた。

小さい頃から本が大好きだったおばあちゃん。
とにかく活字を読むのが好きだった。
でも歳を重ねていくうちに、大好きだった本も目が疲れるから読めなくなっていた。

そんなおばあちゃんが、88歳で本を書くと言い始めた。

なにか物語が思い浮かんだわけではなく、
自分のことを書いて残しておきたい、という想いからだった。


原稿用紙に震える手で書き始め、
最後の方はもう字が書けなくなってしまったので
おばあちゃんが喋る内容を家族が聞いてメモを取っていくやり方に変わった。

おばあちゃんには「戦争体験」という大変な日々があったから
忘れてしまわないうちに書いておきたいと思ったらしい。

なんやかんやありつつも、おばあちゃんの本は無事に完成した。
身近な人にだけ配るということで、20冊くらい作った。

表紙には学生の頃のアイドルみたいな可愛いおばあちゃんが笑っている。
おばあちゃんは、歳をとっても本当にずっと可愛かった。


92歳で亡くなったおばあちゃん。

私は、普段ほとんど本を読まない人間だったので
おばあちゃんの完成した本も、ろくに読まなかった。
なんて優しくない孫なんだろう、と亡くなってからすごく後悔した。
もっとあの時、一緒に本を開きながら
「これってどういうこと?」とか「こんなことがあったんやね」とか
もっともっとお話ができたはずなのに。


不思議なことに
「ほとんど本を読まない人間」の私が
おばあちゃんが亡くなってから急に「本が読みたい」と思うようになり
いろんな本を買いたくなって、自然と本が家に集まってきた。


まるでおばあちゃんが乗り移ったかのように
おばあちゃんの「本読みたい」気持ちを受け継いだかのように

1〜2週間に一度は図書館に通うようになり、今では本を読む時間が大好きになった。
今までの自分からは想像もできない変化だった。

本を好きになったせいなのか、
亡くなってからやっとその本のありがたみがわかって余計に後悔した。
もっともっと聞きたいことがあった。
けどもうおばあちゃんはいない。


でも、普通は「自分史」なんて書かない人がほとんどだ。
自分のことを残さないまま亡くなる人が多い。
ごくごく平凡な一般人なんて、誰かからインタビューを受けることもきっとない。


だからこそ、自分で残してくれてて本当にラッキーだった。
残された家族はその本を開くことでおばあちゃんの思いを知ることができる。
見たこともない小さなおばあちゃんの姿を想像することができる。

「私なんか別に大したこともやってきてないし書くことないわ〜」
という人であっても、
自分にしか体験できない人生があって、それだけで唯一無二。

みんなに自分史を書いて欲しい。と今では勝手にそう思っている。

だから父にも母にも言った。
「わざわざ言うほどのことじゃないけど覚えてることってあるやろ?
小さい時こんなんよく食べてた、とか、
どんな服着てた、とか
どんな間取りの家やった、とか
お隣に住んでる人はどんな人やった、とか
なにが好きやった、とか」

もうほんとになんでも良くて。
箇条書きでもなんでも良くて。
なんでもいいから残してて欲しいなと思った。

なんなら私がこれからどんどん家族にインタビューしていこうかなと思った。
家族なのに知らないことってきっとまだまだいっぱいある。

おばあちゃんが本を書いて、そして亡くなって
一人一人の人生の尊さをより一層感じるようになった。

それは自分に対しても。
だから、大したことないことでも残したいなぁと思った。
むしろ日々の些細なことこそ残したいなって。

この人生は私にしか体験できない。
それってすごいことなんだよなってちょっと胸を張れた。

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