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あらゆるものに愛を注いで声をかける。縄文の日本人

朝、鳥の声が聞こえたら
わざわざベランダに出て
「おはよう」と言いにいく私。

近くにすずめの巣があるっぽい。
いつも2羽一緒にいる。

イソヒヨドリもよく飛んでくる。
鳴き声が美しくてだいすき。


メスは地味な色だけど、
オスは青とオレンジがとてもきれいで
朝日を浴びながら鳴いてるのを見ると
幸せな気持ちになる。

ツバメや、セキレイもよく来てたなぁ。


おばあちゃんは「野鳥の会」に入って
森に野鳥の観察に行くほど
鳥が大好きで、とても詳しかった。

生前はよく鳥の話を聞かせてもらった。

おばあちゃんが亡くなってから
おばあちゃんが使っていた双眼鏡を
形見として私がいただいた。

今ではベランダからの野鳥観察を
毎日の密かな楽しみにしている。

私は鳥やノラネコを見かけたら
すぐに話しかけるタイプだけど

縄文のころの日本人は
ありとあらゆる全ての動物、植物、自然にも
声をかけていた。

という話を最近聞いた。


花や、雨粒、風なんかにも
「おはよう。調子はどうかな?」
なんて具合に声をかけて
すべてを愛していた。

すべてのものに愛を注いでいた。らしい。

それは逆に
すべてのものから愛されていて
守られていた。
ということ。


こちらから心を開き、愛をもって接する。

そうされたらきっと誰でも嬉しい。
「言葉」を喋れないからといって
意識がないわけではない。

鳥や猫、だけじゃなく

花にも
雨にも
風にも

意識があるのだとしたら
きっとなにかは伝わる。と思ってる。


私はそこまで意識をして
すべてのものに愛情を注ぐ、ということは
できていない。

でも、素敵な話だなと思ったので
そんなことを少し意識してみようかなと思った。


私は畑で野菜を育てているので
野菜たちにはしょっちゅう声をかけている。

そんな感じで、
もっと自然とも仲良くなりたい。

楽しい変化があるといいな。

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