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何があったか言いましょうか(何回目?)

こんにちは、おーちゃん柔です。

この話はnoteでは、本当に何回も何回も書いています。前のアカウントから引き継げなかった私ですが、何回書いても消化できないのです。それはたぶん考え方を変えなければいけないということのサインでもあると考えるのですが。

初めての障がい者雇用は、当時の主治医の提案でした。その時は、初めての障がい者雇用に私としては前向きに捉えていました。ただ紹介された支援施設が最大で2カ月しか居られず、その短期間で障害者雇用へ行くためのカウンセリングやら、精神保健福祉手帳を作ったり、具体的にどの企業に行くのかまでを決めなければいけないというとても忙しない期間でした。

障がい者の立ち位置について

みなさんはこの問題をどのように捉えるでしょうか。その施設で言われたあるひとつの私が愕然としたことは、就職先が清掃か事務か軽作業しかないと言われたことだったりするのですが、それは裏を返せば、一般の(とか言いたくないんですけど)方々が、『そのくらいなら「障がい者でも」できるだろう』と考えているのではないかと考える訳です。

この時点で、もうマウントを取られているんです。(私の中では)可能性を削がれているということです。

最初で最後の障がい者雇用

その会社を決めたのは、職安の職員でした。職安の職員が決めた提案に私がイエスマンになる形で決まったというのが概ね正しいところかと思っています。

その会社では、方針として障がい者は障がい者で固めて業務に就かせ、その上に一人の上司がつきました。その会社も設立からまだ数年ということで、平均年齢が30代と若く、若い人の意見が簡単に通りやすい、外部の人から見ると一見ホワイトっぽく見えるという側面を持った会社だったのです。

ここまでの問題点
①障がい者は障がい者で固めること(他者目線でマウントをとられやすい)
②責任者が一人(情報共有できない)
③いわゆるノリ的な意見が通ってしまう(実際に障害者雇用を始めたのも「ノリ的な意見」の可能性)

①私は、障がい者だけで固めるのではなくて、一般雇用の中に置くのが適当かと思っています。
②責任者が一人だけなので、情報共有する先が存在しないという点でもうアウトだと思います。
③現に私ともう一人の同期が、その会社にとって「初めての『障がい者』」となり、行き当たりばったりな面が多々目に見えたこと。さらに、1年後くらいになってようやく責任者(上司)が専門的な研修を受けだすということがあり、その前までは、ハチャメチャ(休憩中や時間外に無給で研修をしたり)だったということなどが挙げられます。

予想は現実となった

私が3年目に入るか入らないかの時に、耳を疑いましたが、上司が双極性障害になり2カ月間の異例の上司不在という状態に立たされることになったのです。

上司が不在ということになり、情報共有する先が存在していなかったということで、社内でも彼が、いつもどんな仕事をして、何をしていたのか誰もが何も把握できなかったのです。耳を疑うかもしれませんが、現実の話です。

「上司が双極性障害になった」この事も、おかしな情報共有の仕方が取られました。もともとが「障がい者でかためられた部署」ですから、客観的に物事を観れない(注:一般の方々は客観的に物事を観れると言いたいのではありません)、偏った考えを持ちやすいと言い換えてもいいかも知れません。そのおかしな情報共有とは、上司の上司より、同僚の一人に情報を流され、その同僚から、私や他の同僚へと伝言ゲームがスタートする形になったということです。

時間を取れば、全員を集めて話をするということもできたはずではないかということを私は言いたいのです。この一件だけを取っても、時は2021年という時代でしたが、日本における精神疾患への考え方がものすごく遅れていると考えさせられた事柄でもあります。上司不在の状態で伝言ゲームが開催された訳ですから収拾のつかない状態になったのは言うまでもありません。

四番目の問題点

上司不在の状態で収拾のつかない状態になったのですから、いろいろを沸き起こる問題が解決できないまま放置され、様々な問題が引き起こされたのは言うまでもなく、その一つが『報連相の放置』でした。まるで話を聞く姿勢がなっていなかったと私は捉えており今なお深い心の傷のようになっています。

復帰した元上司

普通に考えて双極性障害になった人が二カ月で復帰するというのはあり得ないと私は考えます。少なくとも半年~年単位の休職が必要かと、私のみならず界隈の人たちは口を揃えると思うのですが、それも入社の際「ホワイトっぽく見えていた」所が良くない方向へと向いてしまったことの一つだと思うのです。障がい者が何かを分かっていない現場(障がい者雇用の責任者を一人だけにしたこと)と、「出社するという本人の意思を尊重した会社(ノリ的な意見が通ってしまう”風通しの良い?”社風)」です。それはもう少し引いてみると障がい者の責任を一人に押し付けた結果だとも捉えることができると思っています。

さらに休んだことを謝らない元上司の姿勢も、かなり私の中に根深い傷となってしまったのでした。確かに、常識というものは存在しないのだけれども、収拾のつかない状態にしてしまった責任をうやむやにするかのような行動にも見えて、とても怒りの感情が強く出てしまっていたのを覚えています。

ほかにもまだまだこの二カ月はいろいろなことがあり、書ききれないくらいですが、思い出すたびに腸が煮えくり返る思いになるのは事実なんです。



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