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自ら課したマルチタスクと他者から課せられたマルチタスク

こんにちは。今回はこの違いについて考えてみたいと思います。応用というか、言い方を変えると「自ら進んでやる仕事と、誰かに言われてやらされる仕事」などとも置き換えることができると思います。

自ら課したマルチタスク

これは、それぞれのタスクの中にその人の思いが詰まっています。その人の意思が入っているということです。だからこそ、継続するにあたって放棄するということが少なくなるのだと私は考えます。そう言ったタスクを複数組む場合、自分にできるかどうかということを「自分と相談する」ということができます。自分の中で、この位だったら体調も崩さずにできるよね💡と、ほぼ想定内のリスクも含めた見当をつけやすいんです。だからこそ継続することができるのだと考えます。それでは、自分ではない他者から課されたマルチタスクはどうでしょうか。

他者から課されたマルチタスク

こちらは、最初、課された本人は全体像が見えないことが多いと考えます。リスクもどんなリスクがあるのか分からないので、すぐに不安になりやすいです。この時、分からない事が出てきたら質問できる場合とそうでない場合があり、そうでない場合にその人にかかるストレスは相当なものだと考えられると思います。これが複数になれば、ストレスの数も増える訳ですから、健康によくありません。自発的に課すマルチタスクと比較する時、大体見当がついているリスクと、どういうリスクがあるのか、その大きさなどがまるで分からないような状態と、あなたはどちらがいいですか?どちらを取りますか?

という話なんです。

よく雇われは不自由だ。という人がいたりしますが、それは私が思う所としては、収入のところだけに意識が向きすぎてしまっている状態なんじゃないかな?と思うわけです。

「これをやるのは嫌だけど、その収入を得るには我慢や忍耐が必要なんだ」という考えをいつも抱いて仕事をしている人のことです。

では、どうすればストレスフリーで働くということができるのでしょうか。

これは私の意見なので、他にもいろいろな考え方があるのだということを前もって提示させて頂いた上でお話します。実は、収入というところはあなたに決める権利はないという考え方です。そうなってくると、あなたが重きを置くところは、自ずと「仕事の質」になってはこないでしょうか。

求人広告に出ていた収入を得るために嫌々やる仕事と、自分と収入を切り離して、仕事そのものの質を追い求める姿勢と、どちらがストレスフリーでしょうか。

仕事はお金を得る為の手段ではありません。仕事=お金❗と考えてしまうと心がどんどん疲弊していってしまいませんか?

それよりも、あなたが今やっている仕事は、社会にどんないいことがあるのか、考えてやった方が良くないでしょうか。

会社があなたに給料を支払うも支払わないも会社が決めることで、あなたが決めることではありません。給料が安くて不満ならば、あなたがそこまでの仕事しかしていないということの表れなのではないかと思うのです。

いかがでしたか?

今回のお話は、仕事に向き合う時の姿勢についてのお話でした。お読み頂きましてありがとうございました。


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