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短編小説 「前世」

小説を書いてみました。誤字があったり拙い表現もあるかと思いますが読んでもらえると嬉しいです。

前世

 

オレンジ色の夕日がとても綺麗な夏の終わりだった。ザーンセスカンスの海は夕日を反射して風車の羽を照らしていた。こんなにも美しいのにエレケはどこに行ってしまったのだろうか。ふと近くの桟橋の方を見やると、そこにはいつも彼女が使っていたトートバックだけがポツリと置かれていた。なぜだろう。それは彼女がいつも大切に持ち歩いていたもので、こんなところに置きっぱなしにするなんて考えられなかった。僕はトートバックを拾い上げると中身を見た。そこには彼女がいつも使っていた絵を描くための筆や画用紙などの一式と一通の手紙が入っていた。

 

エリアへ

 

 絵を描くこと。それが私の生きがいであり、使命であり、全てだった。心の中に浮かんだ姿、形、感情。筆を手に取れば空白が段々と埋められていき、気づけばそれらがキャンパスに現れた。周りはそれを才能と呼び、私もこれは神様からの贈り物だと思った。あなたはいつも私の描いた絵を褒めてくれたし、この部分が良い、この色使いが好きだと絵を見ながら楽しそうに語ってくれた。

でもあの日からキャンパスには何も現れなくなった。心の中にあったものはまるで泡のように現れては消え、どこか遠くに行ってしまった。あの風車も、運河の船も、アムステルダムの石畳も何もかも私の心から消えてしまった。心に穴が空いたようだった。

神様なんていなかった。私の生きがいは、使命はもういない。いなくなったんだ。

 

 僕は悔やんだ。絵を描くのをやめた彼女にそんな時もあるよと声をかけただけで、俗に言うスランプかと高をくくっていた。海の上のオレンジは沈んでいき、手元は既に闇に包まれつつあった。彼女はもう帰ってこない気がした。このまま永遠に、地平線から出てこない気がした。

 

僕はギターケースを背負い、いくつかの機材が入ったバッグを持ってユトレヒト行きの列車に乗った。席について外を眺めていると、前の方に座っている女性に目が留まった。どこか悲しそうな視線を外に向けている様子はエレケを彷彿とさせた。

三年前のあの日、結局エレケは帰ってこなかった。、彼女が帰ってくるんじゃないかと時々あの桟橋付近を散歩したりした。僕は心に空いた穴を埋めようとした。毎日、毎日、カーテンの隙間から日差しが差し込む小さな書斎で僕は詩を描いた。そんな僕の様子を見て、父は町の小さな教会で開かれる演奏会に出ないかと提案した。あまり乗り気ではなかったが、心の穴を通り抜けて行き場を無くした詩をせめて成仏させてやろうと思った。

世間の人は僕の詩を評価した。素晴らしい旋律だ、あなたの詩に救われた、メロディが好きだ、才能がある。こいつらは馬鹿なのかと思った。こんな詩に何の価値がある??こんな音楽で心が動かされるものか!

そんな事を毒づきながらも僕は詩を作り続けていた。気がつけば音楽家?そんな呼ばれ方をすることも増えた。気がつけばその女性はいなくなっていた。駅に着くと、またたいそうな荷物を持って今日の打ち合わせへと向かった。ユトレヒトでのコンサートに招待され、主催者側とその詳細を詰める予定があったからだ。

僕は不思議だった。心の中で思ったこと、浮かんだ情景。それらを表現しただけだった。音楽で名声を得たい訳でもなかったし、金儲けをしたい訳でもなかった。ただあの日失ったものを埋めるように、何かに突き動かされていた。だが、それはエレケと同じだったのかもしれない。神様からの贈り物が絵ではなく音楽だっただけなのだろうか。そしていつか自分も詩が書けなくなるのだろうか。

 打ち合わせの帰り道にぼんやりそんなことを考えながら町を歩いていた。空はすこし明るさを失い、広場の時計を見るともう七時過ぎだった。適当なレストランに入って少し腹を満たそうと思った。日が沈んで行くのを見たかった僕は、そのテラス席に腰掛けた。食後の珈琲をすすりながらまた詩のことを考えていると、一人の女性に声をかけられた。彼女はとなりの席に着くと、淡々と話し始めた。

 昔、自分は小説を書いていた。誰に教わった訳でもなかったが、小さい頃から空想するのが好きで、学校の作文の授業を皮切りに気づけば物語を書くことに没頭した。親がおらず

祖父母は愛情をもって育ててくれたが、自分は何かが欠けている気がしていた。小説を書くことはその何かを埋めてくれるように思えた。だがいつの間にか、空想することが苦痛に思うようになった。まるで小説を書くことが義務のように頭を悩ませる。そんなことは今まで無かったのに。ある日町であなたの演奏を聴いた。本当に偶然だったが、その詩がとても心に引っかかった。あなたをどこかで見たことがあるような気がする。

 僕は彼女の話をゆっくりと呑み込んだ。彼女の話し方や仕草はどこかで見たことがあるような気がした。そして珈琲を飲み終え、あたりがすっかり暗くなっていた。彼女は自分が書いたという小説を渡してくれた。もし良かったら読んでくれと言い残して、彼女は店を後にした。

 帰りの列車であの小説を開いた。本というよりは冊子と言うべきような粗末な作りだった。表紙には前世と書いてあった。

 

 前世

 もしも神様がいたとしたら、私は何を望むだろうか。私はきっともう一度あの人に会いたいと思う。ザーンセスカンスで出会ったあの人に。

 

もしも前世があったなら、きっとあの人と一緒だっただろう。もう一度あの人のために絵を描きたい。一度でいいから、使命ではなく、才能ではなく、私のためではなく、あの人のために絵を描きたい。

 

 数ページ読み終えた私は、確信した。

エレケ。君だったのか。

 

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