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頭の中に

今回上演する別役実は、不条理劇の作家である。
ギリシャ悲劇からずっと描かれてきた
この世界の、はたまた人間自身の不条理性
つまり合理的でなく不毛な局面を描き出す
天才である。

演劇人にはとても人気があり
でも一般にはあまり広まらないことから
「お金にならない体質」などとご自身を
揶揄されている映像が残っていた。

晩年のインタビューでは
「平常心と戯曲は対極にある。
でも平常心で戯曲を書くということを
目指してみたい」と仰っていた。
また、「超越的なもの」について尋ねられ
「神が間違っている時もやはり
人間が間違っている。
間違っていることを確かめるために
超越的な存在は必要である」と話されていた。

平常心という言葉も
間違っていることを確かめるという言葉も
わたしが若い時はじめて読んで
なんて優しい戯曲だろうと思った
その人格のそのままで、涙が出た。

悲劇ではなく、喜劇(ナンセンス)こそが
真の正道なのだと別役実は言う。
日本の演劇空間は
(歌舞伎でもなんでも)水平方向に広がる。
だから電信柱を建てて
垂直というものを観客に想起させる。
垂直感覚とは、日本人には捉えづらい感覚なのだそうだ。

舞台装置が、昆虫の脚のスケッチのようでありたいというのも興味深い。
それひとつでは何かはわからない、全体の一部。
でもそれが精密である限り、何となく全体を想像出来てしまうものだと。

別役作品は、小市民を描いているとよく言われる。揶揄している、批判していると言われたこともよくあるそうだ。
別役実自身はむしろ、小市民こそが日本の実体であると述べている。
そこには下級武士の精神があると。
きまじめ、愚直、融通がきかない、勤勉。
戦後、そういった小市民の精神が崩壊した。
そしてそれと同時に、家庭が崩壊した。
そこからは、日本は空洞化したのだと
表現している。

戦後、恨み・辛みをガソリンにして
孤独であることも強さに出来た日本人は
高度経済成長によって、恨み・辛みを忘れ
孤独であることは関係ではなく
ただの点になってしまった。

だから、別役実は「関係」を描くことにしたのだという。
別役作品の主人公は「関係」そのものだというのだ。
男A、女Bのような役名の表記はそこに由来する。

不条理劇だからといって、内省的に自閉的になるなと別役実は書いている。
演劇とは
「外へ向かって、はなやかに」発されるものだと。

矛盾に満ちた、だからこそ深く染み入る
別役実の言葉たちが
今わたしの頭にはいっぱいで
ただ幸せだ。

覚えたい。自分のものにしたい。
そう思わせる台詞たち。
切なく、けなげで、凶暴で。

ああ。演劇においては肉体だけでなく
脳もこんなに満たされるのか。
そんなことを久しぶりに思う。

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