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笑って笑って

ずっとのれんに腕押しならぬ
のれんに頭突き状態だった。
母の死を乗り越えられる方法を
ずっと模索しジタバタと奮闘していた。

はた、と気づいたのだ。
この作業をわたしは知っている、と。

芝居の核の部分
人物の造形の根幹や
ラストシーンで内に秘める感情の芯
それを掴むときと同じだ、ということに。

わたしの場合
それが完成するためのキーワードがあった。
どんな脚本でもどんな役柄でも
同じキーワードだった。

それは「笑い」だ。
どっとウケる爆笑という意味での笑い
それも笑いだけれども
笑いには実に様々の種類がある。

冷笑・苦笑・微笑
泣き笑い・照れ笑い、作り笑い…

この人はどんなことに笑い
そして、その笑顔はどんな顔なのか。
それがわたしの
役作りの核になることが多かった。

何故数多ある感情の中の
「笑い」がキーワードだったのか
理由はわからない。
でも気づいたらそうだった。

今、母のことに向き合って
色々試しても乗り越えられず
整理がつかず
そのときに気づいた。

「笑い」がないのだ、ということに。
だから、いつまでも整理されない。
悲しみに溺れ、自分を責め
理性的になれない。
理性がなければ、笑いはないのだ。

そして、笑いのない場所に
救いはない。
残酷なようだが、事実だ。

わたしは救われたい。
馬鹿げた発言だけれど、本当だ。
いつまでも、この暗闇に座っているわけにはいかない。
母が一番、そんなこと望んでいない。

這ってもしがみついても
わたしは元気になりたい。
しかも、完全に元通りにならなくてはならない。
そうでなければ、母は報われない。

それならば、助けを求めるべきは
「笑い」なのだ。

天国にいる母は今、わたしの
どんな行動になら笑えるだろうか。

わたしはこのカオスの中で
完全に足をとられて
頑張らなくても
かなり情けない状態である。
心もコントロール出来ない。

それをまず、ちゃんと
優しく笑ってあげることだ。
あーあ、全く何やってるのかなって。

そこからしか、始まらない。
己を理性的に
きちんと俯瞰で見ることからしか
芝居は始まらない。

ずっと、本気の芝居はやっていなかった。
休業してもう長い。

まさかプライベートで
こんなことをする日が来るとは
思わなかった。

本気の芝居をするときと
全く同じように
集中してみよう。

今、必要なこと。
くだらない冗談。楽しみな予定。
小さなパーティー。
良い音楽。おしゃれ。
遠出して全てを忘れること。

楽しいことをして、楽しくなると
涙が出て、止まらなくなる。
それでいい。
涙が出るから、楽しいことを
避けていては駄目だ。

涙が出て、あーあと思って
仕方なく笑って
その「笑い」が
今のわたしの役の芯になるだろう。

その微かな笑いは 
いつか驚くほどわたしを
強い人間にしてくれるだろう。

笑って笑って
どんなことも。
愛して開いて
無理をせずに。

楽しみな明日を、作ってゆく。

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