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エッジ

運動嫌いのわたしが
好きになったスポーツはふたつある。
ひとつはスキー、ひとつは弓道だ。

いま芝居の稽古をしていて
何かにそっくりだと感じる。

子どもの頃
雪山で父にスキーを習ったとき
その感覚と一緒なのだ。

カーブを曲がるとき
直前でエッジを利かせても駄目だ。
それは良いターンにならない。
その前のカーブを曲がり終えると同時に
もう屈み込みはじめる。
そうとは気づかれないほど浅く
でも玄人目には確かに
達人ほど早くエッジを利かせはじめる。

これは全く、芝居にそっくりだ。
メインとなる、大きな感情の爆発があるなら
そのずーっと前
もういっそ芝居が始まる前から
そのピークに向かって
エッジを研いでいく。
屈んで屈んで。
忍者のように。
この後ピークがあるとは
決して気づかれないように。

深く潜り
突然海面に現れた、クジラのように。
堂々と。
悠々と。

弓道にも似たことがある。
弓道には的があり、的に矢を当てることが
究極的な目的なのだけれど。
だけれども。

良い型に乗っ取って
精神を鎮め
己の驕りを捨て、迷いを捨て
矢を引絞るときには
無心であれ。
それが弓道である。

肝心の矢を射る瞬間は
的を忘れよ、と
先生は言った。
なんて面白いんだろうとわたしは思った。

真空。
芝居も、スキーも、弓道も
キメるときには
自分自身以外の何かに
この身を明け渡している。

はたして、そこには
一体誰が座っているのだろうか。
それは永遠の謎である。

その謎の人物に
訪問してもらいたくて
わたしはまた
席を用意している。

いらっしゃい。
待っていたよ。
もうひとりのわたし。
あるいは、もうひとりのあなた。

無意識と意識の狭間で
一瞬
もう一度あなたに会いたい。

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