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アムリタ(慈雨)

「あなたはとても遠く、こんなにも近い。
いつもまなざしを感じられる。
私は、封筒に私の夢を入れて、
そして私の言葉は七日感、空を飛ぶだろう。
彼の岸から、あなたを呼んでいます。
呼んでいます。送ります。極東からの愛を。
私のハートに羽根をつけて。」

人生を生きる瞬間の恩寵、輝きに満ちた天気雨の慈雨。
それは記憶とか未来とかではなく、遺伝子の見る遠い夢のようなものだ。
右から左へ、あの時からここへ。流れる水のように、ふんだんに、使えば使うほどつきることのない甘い酸素。
空中から苦もなく宝石を取り出すという伝説の聖者のように、私はその取り出し方が確かにこの体のなかにそなわっていることを、いつでも感じていた。

吉本ばなな『アムリタ』より


心が立ち止まりたいとうったえている時は
『アムリタ』を読む。
恵みの雨。遺伝子の見る夢。つきることのない酸素。
その取り出し方は体にそなわっていること。
それをいつでも感じているということ。

何かがわかりそうになる。
いつもここで。

キーは私たちなのだ。
相手側ではないし、映像でもない。
キーは脳と体、心と魂なのだ。

死ぬのは簡単だ。絶望するのも。
でも違う。
違うことが、わたしたちの遺伝子の地図なはずだ。
吸えば吸うほど甘い酸素は、頬を濡らす天気雨は、一体何を伝えようとしているのか。

わたしは知っている。
何故この雨が降っているのかを。
頬を濡らしているのは、雨だけでなく
涙や汗でもあったことを。

わたしは知っている。
それは何のために流されたものだったのかを。
そのために何を失い、何を賭け
何を得ようとしてもがいたのかを。

わたしは知っている。
握手した手のぬくもり、あの人の泣き顔
響いていた笑い声。
それが永遠に続く夢であることを。

わたしは知っている。
どんなに辛くても、美しいものを生み出した人間には、さらに美しいものを生み出すという枷が与えられるということを。

甘い人生に微笑んで。
ステップを踏みはじめるのだ。
音楽は骨の奥で鳴っている。
歌っても演じてもかまわない。人生は舞台だ。

無傷でいたいと望むなら、そうあれる。
どん底で不気味なほど笑いたいというのであれば、それもありだ。

完璧でなければならない。
ショーはいつでも。

雨に濡れたわたしは
再び板の上に立つ。

それは純粋に、おもしろいからだ。


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