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戦争という名の娘、追憶という名の弟

何が真実なのかわからない台本だ。
確実だ、これだけは確実だということは何もない。
でも確実なものがなければ、芝居に芯がなくなる。
範囲としての断定でもいい。断定出来なければ、芝居は打てない。

男は、少女を買ったことがあるのか。
それは疑惑に過ぎず、願望がうっすらとあっただけ。
あるいは、まるで無実なのか。
無実だとして、それでも尚時代性として
少女に糾弾される理由が彼にはあるのか。

その妻はどこまで男を疑い
どこまで信じているのか。
死んだ娘は何故夜中にいつも走り出していたのか。
何が娘を駆り立てていたのか。

訪問する女は
夫婦の実の娘だと心底信じているのか
それともはっきりと嘘をついているのか。
その嘘は生きていくためのものか
自身のトラウマを癒すためのものか。

何もかもが不確定だ。
すべてが混乱し、不十分で、正解がない。
不条理、そのものだ。

どちらの場合の芝居も作らなければならない。
どちらに振り子が振れても
身動きがとれるように。
そのうちにわかってくるはずだ。
どちらなのか、が。
それは演じるものにしかわからない答えだ。

戦争という名の娘
追憶という名の息子。

欺瞞という名の妻
懺悔という名の男。

そこには記号だけがある。
コードネームとセンテンス
そうであるかもしれない可能性と
どうせ不確定な事象に
爆発する生の感情と。

リアルでなければならない。
不条理であればあるほど。
そうでなければならない状況に
自分を追い込むことで。
見えてくるものがある。

本当に面白い脚本だ。

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