見出し画像

母のこと

どうしてなのか、わからないのだ。
演劇をやることのどこに
母の死を乗り越えられる理由があったのか。
わからないままだ。

勿論哀しくないわけではない。
思い出すことも沢山ある。
でも公演の前と後では全く変わってしまった。
自分自身の心が。
それがはっきりとわかる。

何かを排出し
生まれ変わる。
そのような感覚が少しあったように思う。
古い皮膚が剥がれ落ちて
新しい桃色の薄い皮膚が張ってくるように。

わたしは母と共に生きてきた。
お互いに、他にもっとすることはないのかとか
それは依存だとか
親離れ子離れ出来ていないとか
揶揄する人もあった。

若い頃は、母から離れてもやっていける自分を
証明するために東京に出た
そんな部分もあった。

でも結局
母は沢山いる友人と、美しい自然を捨てて
後から東京について来てくれたし
わたしは親の死に目に会えないであろう
プロの俳優の仕事を
いい年齢で辞める判断をした。
母が老いた時、苦しむ時
俳優をやっていたくなかった。

依存。
そんな言葉で区切ってしまえば
確かにそうだと思う。
でも途中から
わたしは依存を恐れなかったし
母もそうだったと思う。

ガンになってから
母はわたしに甘えたし
わがままも言った。
わたしには、他の人に言うように
ありがとうなんて言わなかった。

それでいいのだ。
我々は共依存を生きていたのだから。
我々はまさに、一心同体であった。
ケンカもし、ぶつかり合いもした。
でもどんな親子よりも
いつもどんな時も
語り合い続けた。

母はもういない。
それはわたしは半身を失って
これから生きていくということに
他ならないのだ。

例えばいつか夫と別れる日が来れば
互いに同じように
半身を喪失するだろう。

ひとはひとりで生きていない。
まさに、である。

わたしが今回、演劇を通してしたことは
半身を己とする
かたわの体がわたしであると
認識するための
儀式のようなものであったと思うのだ。

体は半分しかないから、ペラペラだ。
心は寂しがっているから、風が吹いている。
それでも、それが新しいわたしだ。
それは、母がわたしに与えたものなのだ。

だから、この小さくなった半身で
生きてゆく。
小さくても寂しくても
いやだからこそ
新しく、強くなるのだ。

強くなる。
明るくなる。
伸びていく。
決して折れずに。

それが、共に闘ってくれた母に
わたしが出来ることだ。

それが、わたしの
俳優としての矜持にもなっていくだろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?