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会いたい人がいる

私もレベルが上がったせいなのか、過去にお世話になった人に会いたいと思うようになってきた。
特に会いたいのが「恩師」だ。


私の恩師の共通点

  • 女性

  • 20代(当時)

  • 既に教職を退いている

というものだ。

小学校の恩師

今の年齢は還暦を少し過ぎた頃だと思う。
私が結婚するときに唯一招待状を送ったものの、当時離島勤務(記憶が曖昧だ)で出席はかなわなかった。
小さいときから、優しく接する人には依存する傾向が強くて…。
まだまだHSPとかそんな概念がなかった時代。
今思うと反省するべき点はたくさんある。
けど気付かなかったんだからどうしようもない。
あと、恩師の旦那さん。実は弟の恩師に当たります。これはこれですごいことですけど。

中学校の恩師

多分…旦那と同世代かと思う(旦那は今年還暦)。
今まで出会った「先生」という肩書きがついた人の中では異質の人だった。
離島から本土に戻ってきた人で(最初で最後)、
教科書を授業で使わない。
学年主任の先生から嫌われてた?のかわからないけど、クラスの授業をボイコットされたり、文化祭でのクラスの振る舞いで職員会議に吊し上げられたり。と、ドラマになりそうなことを味わせてくれた。
私が公立高校落ちてめっちゃ泣いたときに傍で慰めてくれたのも彼女だった。
それから数年後に意外な場所で再会する。
高校卒業後地元企業(本当は違うんですがグレーな表現にしときます)に就職した私の最初の勤務先はバスで乗換込みで往復1時間半かかるところだった。
ある日いつものバスに乗ったら、いきなり声をかけられた。私の働くエリアの中学校に異動になった彼女だった。
マシンガンのように喋ってきてかなり引きました。
これがきっかけで時々乗るバスを変えるようになったり、座席を変えるようにしたら話しかけることはなくなった。
それから20年近く経った春のある日の地方紙に教職員の人事異動の名簿が載るのですが、それで退職することを知ることに。
なんで退職したかはわからない。
両親が定年を機に隣県に移住してから実家も隣県に変わった。生まれ育った地域には足を運んでいないし、同窓会があったとしても参加する気はほぼない。Facebookやってないから知る由もない。
まぁ何かしらのきっかけで会えれば。とは思いますけど…。まぁ生きてますよ。私。

高校の恩師

高校は私学の女子高。
私学なので公立校みたいに先生方の異動はない。
公立の学校を定年退職した先生が講師として赴任。教師になりたての先生が赴任することが殆ど。
彼女との出会いは、2年生の春。クラス担任ではなかったけど、国語と国語表現の担当の先生として。
第一印象は「めっちゃ清楚そう」
2年の時は授業で週1しか会わなかったけど、3年になったらまさかの担任確定。どんな人だか読めなかった。で、知ったことは
「怒らせるとヤバい人」だった。
怒ったことは本当に数えるほどしかなかったけど、教師になって2年目にまさか卒業生を送り出す身分になるとは思わなかったはず。
私は高校時代はほぼ図書委員をやっていたので、担任よりかは図書室の図書館司書の方との繋がりが強かったので、その方との思い出も。
その方きっかけで今につながる読書家になったし、好きな作家さんの1人である森絵都さんを教えてもらったりした。
放送大学に入学するため証明書を取るために10年以上ぶりに高校に足を運んだ。が、その先生の消息とか聞くこともなかったけど、結婚して教職辞めて新しい人生を送ってるんだろうなぁ~と思ってる。
恩師ではないけど、SNSとここで名乗っている名前で私を呼ぶ先生がいた。
その先生は今も働いていることがたまたま観ていた地元ローカル番組で発見した。今は進路指導の担当になっていた。
もしその先生に会えるのなら、

通信制大学を卒業した卒業生もいます(私は社会人からですけど)。現役にも働きながら学べる通信制大学への進学ルートがあることを伝えたい。

私の人生に関わってくれた、
先生と呼ばれた皆さまが、
今でもこの世界で人生を楽しんでいることを
ただ願うばかり。

とりあえず私も生きてます。



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