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母からのプレゼント 

昨年10月、唯一の家族である母が旅立った。

17年前に父を亡くし、母と二人で暮らしていた。父が亡くなった後は、父のことを色々考えたことがなかったが、母のことは事あるごと、思い出す。母との17年間はそれだけ密だったということだ。

17年前、父が亡くなって、葬儀や手続き、そして四十九日を終え、ようやくホッとしたも束の間、母の様子の変化に気付いた。
伝言が伝わっていなかっり、出来事を忘れていたりすることが出てきた。
後に初期の認知症とわかるのだが、このときの戸惑いは、経験した人しかわからないだろう。
だから、最初は、この「忘れ」に対して、母とたびたび喧嘩をした。
母も75歳だったので、まだまだ体は元気で、怒るパワーもあった。

しかし、度重なるこのような「忘れ」、不可解な言動に対し、ある日、それを受け入れている自分に気付いた。何があったからではない、ある日、ふと、それが受け入れられたのだ。

それから、母の認知症による行為に対し、病気だからと寛容になった。

しかし、本当は受け入れていなかった、いや、理解してあげていなかったと思う。

母は認知症だからと、母の可能性を勝手に決め、色々なことを制限していたと。
だから、出来たことが出来なくなり、母の人生の楽しみを奪ってしまったのではないかと。

誰だって好きで病気になるのではない、なってしまったのだ。
なった本人が一番不安に思い、苦悩していたに違いない。
今になって思う。長年連れ添って、病気の父のお世話をし、支えをなくした母が病んでしまったのも当然だ。
私が仕事に行っている間、家で一人でいるのは、寂しかっただろう。
そのときもっと、母に寄り添ってあげていれば、病気を発症しなかった。

母が亡くなって、ようやく母のことがわかりかけてきた気がする。
そして、私は如何にワガママで自分勝手で思いやりのない人間だと。

母から命の他に、沢山のプレゼントを貰っていたことに、やっと気が付いた。
これから、一つ一つ、綴っていきたいと思う。

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