華道しかり 茶道しかり 「道」がつくもの それぞれに定形があるが 単なるデザインや形だけではない 「季節」やそれに伴う人間の「心」を含めて ある意味 完成形である 最近では現代アート的な生け花もあるが 基本思想は引算の美しさ Less is more More is less 近代建築の巨匠 ミース・ファン・デル・ローエの言葉 分野が違えど 同じだ 医療もそうありたい
薪能で「羽衣」を観た 自然の中で無心になる こういう時間も大切だ 普段は忙しさに流されて 雑な時間を過ごしがち 丁寧に生きなければと反省
株式会社Four Hの打合せ兼食事。 生き物やっぱ肉だな。特に頭を使ったあと。 Four Hもステップアップ。いつまでも同じではいけない。アジャイルに変革し続けなければ。 ビジネスも医療も臨床試験も。変革と、 やっぱ肉だな。
食べ物でも 仕事でも 何でも 旬というものがある。 流行りとも違う。 旬を逃すと 本当に 美味しくなくなり 本当に 価値がなくなる。 人にも 人の人生にも 旬があって 今が僕の旬だといいと願う。 そう言えば 昔占いで 「大器晩成」だと 言われた。 いつが晩なのか。 今が晩なのか。 まだ晩は先なのか。
新型コロナの感染症分類が5類になった。この3年間は学会や研究会やセミナーなどでの講演が中止になったりWEB開催になったりして聴講者を目の前にしての講演はほとんどなかった。 コロナ禍以降初めて完全対面の講演をした。人の存在をリアルに感じることの価値を改めて認識。大事なのだなあ。
エピフォンCASINOを出してみた。VOXの小さなアンプに繋げてoverdrivesにして控えめにRockを弾いてみた。70年代の懐かしい音。 さあ明日から頭を切り替えて始動。今週、来週は講演週間だ。頑張ろう!
最近の流行語だ。事実に基づく議論や数字による正確な理解というようなことを指す。 しかし「心地良さ」は果たして事実や数字によるファクトとして議論したり理解したりするかとができるだろうか。むしろファクトフルネスだけでなくハートフルネスというべきか。 近くに行きつけのビストロがあることもおそらくハートフルネスなのだろう。
数日前の夜に隠れ家にて。人生には隠れ家が必要だと言っていたら隠れ家だらけになってしまった。 それはそれでおかしなことになる。人生にはバランスも 大事なようだ。
充電日と決めてPCを開かず仕事をせず過ごすことにした。さてどこに行くか。 日帰り温泉に来てみた。混んでいないであろう、あまり有名ではないところ。 天然温泉。黒みがかった琥珀の湯だ。東京の湯はこの手のアルカリ塩泉が多い。体も心もほぐれていく幸せ。
桃、林檎、トマトのお酒。これが日本酒だというのだ。桃をひと口。なんと桃のいい香りが広がるではないか。トマトにいたってはマルゲリータの味だ。不思議な感覚。もはやワインやビールや日本酒や、そんな分類もカテゴリーも不要だ。美味しければそれで良いのだ。 でも本当にこれでいいのか?
都心での仕事中心の生活はどうにも疲れる。年齢の影響もあるだろう。若い頃は職場からできるだけ近いところに住みたいた思っていた。家から歩いて行けるところに洒落たBarやBistroなども欲しかった。 コロナ禍もあって「ニ拠点生活」等という言葉を聞くようになった。それまでは特別に恵まれた人のための生活様式だと思っていたが、近年ではそうでもないらしい。何しろ僕の親しい友人がこの「ニ拠点生活」を始めた。ごく普通の男だ。特別に恵まれているようには見えない。 ニ拠点は、都心と田舎。これ
ふと思い立って日曜日の朝、東京駅から三島に向かい、老舗鰻屋で鰻重を食べてきました。富士山も綺麗に見え、幸せ。
今年の干支兎のピンバッチを買った。アドバイザーをしている会社の所属部署の名前はReal & Virtual Transformation(RAViX)、マークは兎だ。おまけに、僕は兎年、年男だ。 というわけで兎のピンバッチを買った。勝負ジャケットの衿に着けた。脱兎のごとく、跳ねるか、翔けるか、逃げるか。
8oz。220g。 ステーキを食べた。人間は肉食であることを思い知らされる。身体に良くないことは、医者なので、わかる。それでも無性に肉が、ステーキが、食べたくなるときがある。 実験的に偏った食事を与えたマウスは、自由に食べる環境におくと、足りないものを食べるという。結局は食べたいものを食べるのが一番健康なのだ。 医者の言うことか。
桜の花もだいぶ散った。今日は午後からは友人と最後の花見。これからは新緑が綺麗な季節になる。 時間が経つのは早い。世の中の歳を重ねた人が言う通りだ。
食堂という名のビストロ。でも食堂といえばナポリタンでしょ。梅酒と合わせてみた。少しばかりスパイスの効いたナポリタンに梅酒のとろっとした甘みが。 合う。