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平和と芸術《#シロクマ文芸部》

「平和とは何か、深く考えさせられる作品だな」
「そうです……ね」

来月号で「秋だ! ゲージュツだ!」という巻頭記事を予定していた編集長と私は、ピカソの晩年の作品だという絵皿を前に思わずうなり声をあげた。

夏休みには子供向けの陶芸体験なども開催されているアトリエの裏口から案内されたテーブルの上には「1948年にコートダジュールの工房で制作されたもので、祖父が現地で購入しました」と説明を受けた一枚の絵皿が無造作に置かれている。

その絵皿には、数字の羅列が書かれているだけに見えた。
編集長に「深く考えさせられる」と言われて本当は「そうですか? どこが?」と聞き返したかったのに、後ろにいるアトリエの人に何も分からない女だと思われたくなくてつい「そうですね」と言ってしまった。
どうやって「平和」を読み取ったのだろう。
私はそっと編集長の横顔を覗き見た。

ピカソと言えば「変な絵を描く人」という認識しかない。
山道を運転中、ピカソは8歳のころから天才的な画力があったこと、三次元的なものを二次元に落とし込んだ手法を発展させたこと、世界大戦後には何百点もの陶芸を制作したことなど、編集長から多大なレクチャーを受けたけど、「君はそんなことも知らんのか。常識だろ」と鼻で笑われ、地方のフリーペーパーなのだから芸術や音楽より地元のランチに詳しくなれって入社時に言ってたのになと思いながら山道をひたすら運転してきたので、それ以上の内容は頭に残ってない。

そういえばピカソの「ゲルニカ」は反戦がテーマだった気がする。「鳩」のイラストのような作品も見たことがある。この数字の羅列も、じーっと見つめていると平和の象徴の鳩が飛び立っていくように……見えなくもな……くもない? うーん。

「さすが編集長、造詣が深いですね。では、この数字の意味も?」
アトリエの三代目と言っていた男性が編集長に向かって静かに問いかける。
「うむ。193……742……6。これは、あれだな」
「はい。お察しの通り。1937年4月26日はゲルニカ爆撃の日です」
男性は少し俯いて沈んだ表情を見せ、編集長は「やはり」と満足げに顎をさすった。

その数字が日付を表していたことすら、私にはさっぱり分からなかった。やっぱり芸術は難しいわ。
「じゃあ、最後の赤で書かれた12という数字は何ですか?」
私が質問すると、編集長は「うむ。それは……」と暫く考え込む。

「この数字は、ここから繋がっていると考えられます」
青年が絵皿のあちこちを指さしながら説明を始める。

「1945年8月15日が何の日だか、ご存知ですよね。終戦が決まっていたその日、0時8分から2時15分にかけて群馬県伊勢崎市が、0時23分から1時39分にかけて埼玉県熊谷市が、B29の空襲を受けて多くの被害者を出しています。この黄色い数字は13ではなくアルファベットのBです。そしてその部隊が帰路に着く途中で余剰爆弾を神奈川県小田原市で投棄したと見られています」
「余剰……。えっ。余った爆弾を投げ捨てたのですか?」
「真相は分かりません。ですが、それにより12人の命が奪われました」
男性が静かに「12」の意味を告げると、編集長が手をポンと打った。
「なるほど。この赤い文字は、最後の犠牲者の数だったか。何かの終わりを意味するものだとは分かっていたが」

12人。
絵皿の上部にはスペイン戦争の日付が示され、世界中で何千万もの人が亡くなった第二次世界大戦の、小田原の12人という数字をわざわざ最後に選んだ意図が私にはピンとこなかった。

ピカソって日本に詳しかったのかしら。ゴッホは日本が好きだったって聞いたことあるけど。

「平和の象徴を表す数字として、相応しくないと思っていますか?」
優し気で真っすぐな瞳を向けられ、私は「あ、えっと」と小首をかしげてあいまいな笑みを浮かべた。

「ゲルニカの絵についてピカソは『牡牛は牡牛、馬は馬。鑑賞者は見たいように見ればいい』と言っていました。これもただの数字の羅列に過ぎません。ですが、12というまとまりで考えてはいけないのです。あちこちに1という数字が散りばめられています。確かに生きていた一人一人の方たちが、なぜ犠牲にならなければいけなかったのでしょう」
青年は眉根を寄せ、拳を軽く握りしめた。

「これが真の芸術だな」
編集長は深く頷きながら話し始めた。
「芸術とは、悲しいかな平和だけの世界では生まれないものだ。もがき苦しみ、平和と救いを求めて生まれるのが芸術作品なのだ。うむ。この数字の意味を我々は胸に――」
編集長が結論づけるようとしたとき、乱暴にドアを開ける音が響いた。

「コウ! そろそろお客様が見えるは――」
驚いて顔を上げると、あごひげを生やしたデニムシャツの年配の男性がドアを開けたまま大声で言った。
「ああっ! すでにいらしてたんですね。失礼しました。なんだよ、コウ。早く教えてよ」
コウと呼ばれた男性は一歩後ろに下がり、デニムの男性が編集長に向かって笑顔で言う。
「ささ、あちらの展示室へどうぞ。そんな子供の絵付け体験の皿なんて見てないで、自慢のリトグラフを見てくださいよ。ピカソは1枚だけですけどね、他にも若手の作品がいくつか。さぁ」
笑顔の男性が手招きをすると編集長は「うむ。うむ」とバツが悪そうに頬をさすりながら部屋を後にする。

「子供の……絵付け体験?」
ドアがパタンと閉じたと同時に私が振り返って訊ねると、コウという男性は「す……すみませ……」と肩を震わせていた。
「あの……」
「ぷッ。ぶぶーッ」
ついに堪えきれなくなったように噴き出した彼を見て、私は「ひ、ひどいですね」と息を吐くように言った。
「あっ。すみません! ひどいです、ほんと」
必死で笑いを抑えようと頬があがりさがりする彼を見ていたら、今度は私が噴き出してしまった。
「違いますよ。ひどいのはうちの編集長、ほんと酷い知ったかぶりでしたね。ふふ」
私がそう言うと彼はホッとしたのか、大きく顔を崩して笑い出した。
私が「うむ。真の芸術だ」と編集長の真似をすると、彼は手を叩いて笑う。二人して「うむ。うむ」と言いながらお腹を抱えて笑い合っていると、パタパタと可愛らしい足音が廊下で響き、その音はそのまま部屋の中へ飛び込んできた。

「おじちゃん! ボクのおさら焼けた?」

幼稚園児だろうか。シャツや手を色んな色の絵の具で染めた子供が、彼に飛びついて言った。

「うん。見てごらん。すごくイイ色になった」
慣れた感じで子供を抱き上げ、テーブルの上の絵皿を見せる。
きゃっきゃと笑う子供に「これ、キミが書いたの?」と聞くと、「うん、そだよ。ター君が書いたエンシューリツ!」と自慢げに叫んだ。

「へぇ! すごいね。ター君はゲージュツ家だ」
目を見開いて思い切り褒めると、ター君は「エヘヘ」と両手でピースを作って私の前に伸ばす。
私も真似してピースサインを作り、ター君とコウさんに微笑みを返す。

平和と芸術は、共存できるのだ。うむ。うむ。
私たちは、笑い合った。
いつまでも。
いつまでも。

※トップ画像はフォトギャラリーの中で一番イメージに近い Ouma さんの作品を選びました。本文の絵皿とは関係ありません。

※参考サイト


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