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命綱のようなもの

今日は、午後から仕事だったのですが、朝、味噌汁を作っていたら、台所で倒れてしまいました。
熱も少しあって、風邪っぽくもあり、花粉症も酷いし、貧血もあったのかな。
なので、仕事は休みました。

先週末、新しい利用者さんが入居されて、「帰りたい」の一点張りだったので、その後どんな感じなのかも気になっていたし、三ヶ月も休職していたから、働けることが本当に嬉しいです。
でも、身体がなかなかついていかなくて、もどかしい気持ちもあります。
身体が辛い時は、休むしかないですね。

今は、グループホームに勤めているけど、その前は、病院でした。
入院生活というのは、なかなか大変なものです。
五年ぐらい働いたので、様々な患者さんと出会いました。
オペラ歌手だった人、美智子様のハンドバッグを作った鞄職人の人、刺青が全身に入った人、八百屋さんだった人、タクシーの運転手だった人、銀行員だった人、、、。
普段の生活では出会わない人たちでした。
あの短い期間だけ、いろんなことを話しました。

私は、キリスト教の神様を信じているので、一人ひとりの人生って尊いなぁと思います。
生まれてから、誰一人として同じ人生はなくて、みんなオリジナルなんです。
誰かの人生に触れる時、その人も神様から愛されていることを覚えます。
本人が、そのことに、まだ気づいてなかったとしても。

私は、神様と出会う前は、自分の人生をつまらないもののように思ってました。
虫みたいに生きて、いつか死んでいくんだろうなぁと思ってました。
だから、大切に生きる気持ちもあまりなくて、楽しいことを求めて、何となく生きてました。
そういう生き方は、一瞬一瞬は楽しいけど、わりと虚しかったし、いつも埋まらない心の穴を、なるべく見ないようにしてました。

人間には、錨ような繋ぎ止めるものが必要で、それがないとどこまでも流されてしまいます。
自分が傷ついたり、間違っていたとしても、それが何なの?って感じです。
神様は錨のような存在で、いつも私を気にかけてくださってます。
神様から愛されてることが分かると、つまらない人生が面白くなってくるのでした。
神様と私を繋ぐロープ。
辛い時は、ロープを強く握り締めます。
溺れそうになっても、何度も助けられれました。



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