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怒る犠牲地主

コラム『あまのじゃく』1957/9/19 発行
文化新聞  No. 2675


中途半端な農地解放

    主幹 吉 田 金 八 

 『農地解放でタダ同然で没収された農地を補償せよ』と叫ぶ全国農地犠牲者決起大会が東京で行われ、農林省にデモをかけた挙句、一課を叩きのめし、警備中隊が出動してようやく鎮圧したことが報じられている。
 かつては巨大な農耕地を持ち、小作料で楽な生活ができた大地主から、一夜にして転落した人たちが、働くには腕がなく、財産収入では食っていけない。それもこれも農地改革が悪いんだと、窮鼠猫を噛むの類で、デモや吊るし上げは無産党の不貞の輩の専売の如くに蔑んでいた行動を、今度は昔の長袖階級が勇敢にやってのけたことは面白いと言っては悪いかもしれないが、興味のあるニュースと言えよう。
 これは衣食足って礼節を知りで、どんなにもったい振ったとこで、人間は食えなくなれば、どんなことでもやるという事を如実に示しただけで『本間さんには及びもないが、せめてなりたや殿様に』という酒田候以上に権勢を誇った本間大地主は、今どうなっているか知れないが、いずれは切実の面影がないことは想像され、これにつながる不労地主が、毎年幾棟もの米倉が一杯になるほど小作米の上がった何百町から何十町歩の小作地を一夜にして失ったのだから、その後の窮乏ぶりは推して知るべしである。
 農地改革は一片の政令で神武以保証されていた土地の私有が制限没収にあったもので、日本における開闢以来の革命というべきもので、占領軍の支持後援があったればこそ、アッという間にやり遂げられたが、これを現在程度に自由民権が認められている時勢には、論議百出、幾つもの内閣が変わり、そのたびごとに大選挙を戦っても、なかなか容易には実現できなかったであろう大問題である。
 農地改革については。 賛否両意見があろう。特に利害対立するかつての小作米で遊んで食えた側と自分で作った米が食えない小作人であったものが適当に田畑を配分されて、自作農になることが出来た側とでは、とても調整は難しい相反する説を唱えるであろう。
 これを第三者の一般から見れば決して農地改革は無理でも不自然でもなく、斯くあることが理想的な農村の仕組みであろうと、自分の腹が痛まないからでもあるが、これを支持する意見の方が多い。
 しかし、例えば国会で法律化したとはいえ、過去の社会制度で一夜づくりの法律で買い上げといっても、無償に近い対価で没収することは、これは完全な私有財産の否定である。
 私有財産を制限したり、或る種のものに限って否定することは、社会主義の社会でも全体主義の社会でもあり得ることで、日本でも戦争及び戦争経済から平常にかえる際にも、いろんな形で行われ、多くの人がその混乱の体験を持っている通りである。 現在の日本は決して、社会主義の国でもなければ全体主義の国でもない。民主資本主義の国で、儲ける人はどんどん儲けて、どんなにでも財産を蓄えることも自由であり、税金こそ累進的に取られるとはいえ、50億儲けて40億税金を取られても、10億の贅沢は国家の保護の下で自由に行える国柄である。
 堤西武会長が日本中の土地を買い占めて、その地価の値上がりで大儲けをすることも、大別荘を経営し、地代の上りでやたらと肥え太ることも自由であるのが現状である。こうした現状を考え合わせれば、農地改革は社会主義の前進のためにやったのか、 全体主義への移行の目的のためだったのか、はたまた食料増産のためか(これはちょっとおかしい)知らないが、ずいぶんと中途半端な、国民の極めて一部の人にのみ犠牲と特権を与えたのみで、一局部の地ならしは終わったが、全面積に対してはかえって高低を加えたような結果に止まっていることは不可解である。
 どうせやるなら山林の解放、全世帯に一定限度の家を建てる場所の分与、一定限度以上の土地の所有制限、それでなければ全国土を国有にして、利用者から占用税を取るくらいの土地制度全般の大改革を行うべきである。
 それをしないで農地改革のみで打ち切って、高みの見物では旧地主連の怒るのも無理はない。
 一反何百円の公債で没収された地所が農民の手に渡り、工場敷地とか住宅とかに坪何千円、反当り何十万円もの高値で取引されるのを見て、指を加えていなければならぬ旧地主が農林省に押しかけて、八百長に怒った競輪ファンの如き狂態を示すことも、私は全く無理はないと思う。
 『途中でやめたら病気になる』のはあればかりではない。 


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。

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