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本来の姿に還る

コラム『あまのじゃく』1955/5/7 発行
文化新聞  No. 1788


新しい同志との邂逅に感謝!

    主幹 吉 田 金 八 

 何といっても肩の張った1ヶ月であった。
 記者は元々県会議員になる事よりも、全国一の立派な地方紙の社長になることを名誉であり、働きがいのある仕事だと思っている位だから、 望んで県会議員になろうとした訳ではない。
 ただ、選挙の度ごとに保守党が幅をきかせ、常に金権候補が勝利を納める事にムラムラと謀反気が湧いて、市長選、県議選と2度の渦中に巻き込まれてしまった。
 巻き込まれたと言っても進んではまり込んだわけである。
 選挙といえば普通、町村議員でも5万から10万、市長、県議ともなれば30万から150万、国会選ならば150万から1500万円位消える事は常識となっているが、記者の場合、新聞社と選挙は同じ営業課内の様なものだから、選挙のお膳立ては平時揃っている様なもので、サァと言えばサァで、 自動車でもビラ、マイクなど、何でも手製で間に合うから、意志の赴くまますぐ行動に移ってしまう事になる。
 記者は今度の県議選も、市長選の時と同様、身軽に、気楽に欲しいままな選挙を打つつもりでいた。
 世間では、この前の市長選の時の記者の運動態度を、世間をバカにしていたかのごとく取り沙汰して、色々と批難めいた批評をしているが、その事に対してはこっちの方もに言い分がある。
 記者は自分の名誉や意欲のために市長になりたい、県議になりたいのではないから、誰も頭を下げてお願い申してまで投票して貰いたくない。
 役に立つ、気に入ったと思う人だけが投票してくれれば良い訳で、果たして記者が役に立つ人間と認めてくれる選挙民が居るか居らぬか、気に入って代表にしようとする人が居るのかどうか、試みるための選挙が何で悪いのかと言いたくなる。
 商人がお客の好みを満たすために、色々と数多く品物を並べることが、不誠実冷やかし的と見られるであろうか。むしろ悪い品を良いと言い、顧客の欲しがらない品物を「ぜひぜひ」と進める事の方がどれほど不親切であり、馬鹿にしている事になるのではないか。
 記者は今度の県議選も、万一革新派から一人の立候補者もなかった場合は、 市長選の時と同様な考えと行動で戦ってみようと思っていた。
 ところが、形勢は思いがけぬことになり、左右両社から応援するという申し入れを受けた。
 そんなものは断って、前回同様、気ままな選挙をやれと一部の風変わりな読者は言うかも知れないが、そんな訳にはいかない。
 『士は己を知る者のためには死す』という言葉もあり、頼まれれば越後から米つきに来るたとえもある。
 本来、ゲジゲジ虫のように社会から嫌われる田舎新聞の記者、ゆすりたかりで時折は警察に放り込まれる輩の少なくない地方紙の社長が普通なのに、天下の公党である両派社会党と労働組合協議会が公式に推薦、応援しようと申し出てきたのだから、これは有難いとお受けするのは当然である。
 お受けした以上は自分勝手に気ままな選挙は失礼だ。
 私は今度は人間魚雷戦法と称してオートバイで携帯マイクを持って縦横無尽の奇襲演説をやってみたいと考えていたが、それらの一切を引っ込めて、ありふれた公式戦術に縛られた。
 どこにも、そこにもお願いに行けと言われたが、これはどうにも行きたくないので、隣組と各労組の職場、その他には市内でせいぜい10軒ほど顔出しをした程度で、余りは事を構えて胡麻化してしまった。
 ヒゲを剃ってネクタイつけて、シャツも国防色のではなく、ホワイトシャツをと、周囲の注文は中々うるさく、ひげ剃りだけは丁度アメリカ製の自動カミソリを20円で手に入れたので、毎日シャボンいらずでスースーやったが、シャツなどは女房がタンスの底から出してきたのはカラーカフスが別物のやつで、最近の肥満ぶりにサイズが合わず、結局平常用のアメリカの古手で押し通してしまった。
 一番つらかったのは駅前でペコペコする事だったが、これも言いなりに十分勤めたつもりである。 労組の幹部や同志の人たちは全く本気でやってくれ、その奉仕精神や犠牲的な態度は記者として、我儘を言う隙を与えないほどに純情なもので、敗戦の後ではいろいろと批判もあったが、記者は終始愉快な選挙戦を戦うことができた。
 ただ、毎朝6時から夜9時までの街頭演説は、常に気を張っていなければならないだけに実に疲れるもので、夕方になるとゲッソリして、眼がくぼんで來るが判るほどであった。
 だいたい順調に進んで、町の人気も盛り上がって来た事は刻々情報が伝えられ、事務所の空気は全く明るかった。
 最後の晩である。今夜の広小路の立会い演説さえ、うまくいけば言うところはないと言う事になった。今夜はどうせ小林、遠藤、両派が口を揃えて市川攻撃をやるであろうから、こちらは逆にその点にはあまり触れない方が良いという参謀の意見だった。 と同時に市長選の時のように『お願いしますとは、口が裂けても頼まない』などと脱線気味になっては困る、とくどいほど注意を受けて会場に乗り込んだ。記者は選挙中どこでも思いつきのままにしゃべっており、草稿を用意してもその通りにいかないので、いつも出たとこ勝負である。
 攻撃すべき相手を叩けない演説ほど難しいものはない。『市川さんが何も出来なかったのは、市川さんが無能なばかりでなく、県の赤字財政にも原因する』などとなってしまって、そこへ『その通り』などと市川派から声でもかかったとなると、もう演説は崩れてしまう。それでも寺西市議の機転のメモが回ってきて、『時間が切れたから、次の順番に』と繕って、第1回はどうやらボロを出しかけたが無事に終わった。
 第2回目は小林令息に対する暴言、野次を引用して、これは大向の拍手満点での大成功に終わる事が出来、しかも最終回なので、千数百名の聴衆の拍手歓声に送られて、人気スターか凱旋将軍のように華やかに引上げてきた。
 『吉田候補ただいま凱旋いたしました』と細心でおごらない太田佳助責任者が事務所前でアナウンスするほど意気揚々たる投票日前夜の演説成果であった。
 翌日の投票、翌々日の開票、「何おか言わんや」と言った次第、同志世間も意外な開票結果に驚いた。
 ただ、候補者である記者は、当初から市長選と同じ戦いすら敢行するつもりでいたのだから、落選も得票が意外に少なかったことも何ら悔やむ材料にはならない。むしろ数多くの新しい同志の真心に接することが出来た事は幸福であった。
 1ヶ月ほどの我慢のできない、窮屈な毎日も、記者の人生修行に何らかの役立つものがあったであろう。
 ようやく肩のコリもほぐれて、自分の体になった様な気がする。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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