また、脳にだまされるところだった 脳はどうやら、私が不幸だと落ち着くようだ 私がろくな人間ではないという証明を 上手に拾って集めてくれる 私がいかに不幸かという事実だけを 目に入れるようにしてくれる ご親切に 身体が弱っていると その罠にまんまとハマる 私は今日も変わらず、不幸です いま与えられているものだけで十分 笑顔を作ってみる これが幸せなのか 私の人生はこんなもの あ、どこかで安心している でも、もう結構 だまされないぞ 私が不幸で居ていいはずないじゃない
いろいろ思うようにいかない 焦りと、絶望の沼で動けなくなる 生きていくことが苦しい 死ぬ勇気はないけれど もう生きていたくない と絶望の沼に脚を取られ、もがくとき。 それこそ人間の元々の姿なんだと、私の師は言った。 絶望するのは、希望があったから。 だからこそ、それが絶たれたことに絶望するのだ。 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」 (エリ、エリ、レマ、サバクタニ) (新約聖書「マタイによる福音書」27章46節) イエス・キリストは十字架上で死の
痛みを排除するのではなく受け入れた時、全てが動き始めるのです。 痛みからの伝言×ライフコーチ 船越 信栄 ふなこし のぶえ 家族に宗教的な背景をもつ家に生まれる。 自らも宗教の道で生きていこうと決意する。 様々な経験を通してある時、疑問を持ち始め、 外の世界へと旅へ出ることを決意する。 支えが全てなくなることで、 一時的に生活が危ぶまれ、 身体にも支障をきたすようになる。 それでも自身の直感を信じ、進んだ先で、 カイロプラクターの山口純子氏と出会う