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20231112 「歩く」ということ

今日はすごく良い日だった。今日もよく歩いた。
15時くらいに起きて、なんだか喫茶店でラッキーストライクを吸いたいと思って、今出川通りを西に歩き、静香まで行った。
音楽を聴きながら、歩いていたんだけど、悲しくなって涙が出た。
その曲は、数ヶ月前に人に教えて貰った曲で、当時は良さがあまり分からなかったんだけど、なぜだか凄くよく聞こえて、感動した。
もっと早く分かってたら良かったのになぁ。と思ったけど、もっと早く分かった所で何が変わるんだろう。

静香は17時に閉まるのに、俺が着いた時は16時45分くらいだった。
だから、やっぱり違う喫茶店に行こうと思い、千本通りを南下し、三条会商店街のてらまちに入った。
向かって右側、1階のテーブル席に座り、Twitterで流れてきた数学の問題を考えてた。

正多面体の色塗り問題で、円順列を使う典型問題。正四面体、正六面体と順調に解いたけど、正八面体で少し詰まってしまった。
1面を固定し、その対面を塗って、回転できることに気づいたけど、単純に7✖️5!にしてもいいのか分からなくなって、悩んだ。
本屋の学参コーナーに行けば分かるだろうと思い、店を出て河原町の丸善に向かった。
店を出る際、外国人の店主が不安気に「美味しかった?」と聞いてきたので、「美味しかった」と答えた。多分、俺は不味そうな顔をしてたんだと思う。
実際、抹茶粉のかかったモンブランは美味しかったし、コーヒーもタバコに合いそうだなと思った(店内は禁煙だった)

歩いてる間、問題を考えようとしていたんだけど、全く、考えようとしない自分がいる事に気づいて、「なんで自分は数学をしないんだろう?数学を考えるってどういうことだろう?」って考えてた。
自分より数学が出来る人が沢山いて、絶望を感じていて、やる気がないんかな?とか思った。

でも、例えば、何かを考えている時、1秒前の自分よりも今の自分の方が考えが進んでいる。
そして、その1秒間に無限の自分が存在していて(∵実数の連続性)そいつらは今の俺より微小だけど馬鹿だし、未来の1秒間に無限に存在する自分は自分より賢いんだから、他人と比べる必要はないし、俺の問題は、そこにあるなと思った。
そして、それが明るい事なのか、暗いことなのか分からなくなった。それで、これ以上考えるのは止めようと思った。俺は馬鹿だから。

烏丸通りの手前、1年前に行ったラーメン屋が近いなと思った。けど、そこは違う店になっていた。
1年前に行った時のことを思い出した。
1年前に一緒に行った人が「この店は脱税をしていると思う」と言っていて、何故そう思うのか聞いたんだけど、教えてくれなかった。そんな店は潰れて当然だよなと思いながら、寒いので歩調を早める。
でも、思い出がなくなったみたいで、少し寂しかった。

丸善に行く前に、買うかどうか3週間前から悩んでいる帽子を見ようと思って古着屋に行った。この帽子は黄色くて、紫の文字でluckyと書かれている。ラッキーストライカーの俺からしたら、すごく欲しいと思ってて、しかも俺によく似合う。
それで店で少し悩んでお金が無いのにクレジットカードで買ってしまった。素敵だし、よく似合っているので、後悔はない。店でタグをとってもらい直ぐに被った。

その後、丸善で高校数学の参考書を読んだけど、自分の問題が載ってない。
確か、自分が中学の時に使っていた参考書にその問題が載っていた気がしたので、見てみると載っていた。
読む直前に答えを出してみたのだけど、間違えていた。
俺は、中学生より数学ができないんだなと思った。
俺は馬鹿だな〜。2をかけるべきだと気づかなかった。もう少し考えるべきだった。

その後、寺山修司の短歌を見ていた。すごく素敵だった。隣で立ち読みしている女の子がいて、少し気が散ったけど、でも感動した。特に寺山修司が10代の時の短歌が良いと思った。
短歌の本が置いてある棚の横に、キャッチャーインザライが置いてあり、20代後半くらいのショートカットの女性が立ち読みしていた。
キャッチャーインザライ!1番好きな本です。
俺はその人がどんな感想を持っているのか気になって、寺山修司そっちのけでチラチラと女性を見ていた。
彼女は明らかにつまらなさそうで、首を傾げて1分くらいで立ち去った。
そうか〜、好きくないか。まあ、白水社の野崎訳は文体が嫌と言う人も居るし、20代後半で読む本じゃないよな。もっと若いうちに読むべきだよな。でも、わかって欲しかった気もする。
内容も平易だし絶望する必要のないことになぜか絶望してる厨二病みたいな話だしなあ。
でも、わかって欲しい気がする。
その女性を呼び止めて、少し話したかったけど、そんなことしたらキモいかなと思って、やめた。

寺山修司の「青少年のための自殺学入門」を買い、店を出て、家に向かって歩いた。
まあ、確かに本、人 、曲、その他全ての物と出会うタイミングって重要だよな。
でも、そのベストなタイミングって誰しもあるはずなんだよね。分かる時が必ずあるんだよな、過去か今か未来か知らんけど。

俺が今日聞いて泣いてしまった音楽のタイミングは今だったし、彼女があの本を読むには少し遅いし、中学生にやった参考書も当時ではタイミングが早くてベストなタイミングは今だったかもだし、静香に行くのには遅かったが、てらまちに行くのには今日がベストだった。潰れたラーメン屋は1年前のあの時がベストだったし、今ではもう行けない。この帽子を買ったのも今日がきっとベストだった。或いは、いつかもっと良さが分かる時がきっと来る。

そんなこと思って歩いてて、なんとなく、ホールデン(ライ麦の主人公)みたいに帽子を逆さまに被ろうとおもった。
でも、自分がキャッチャーになるのにはもう遅いし、自分が誰かに捕まえてもらうにも遅いな。もう俺はライ麦畑から、落ちたよな。と思って、やめた。

その後、人との縁を考えていた。
遅いと感じる縁と、早いと感じる縁と、ベストに感じる縁。
どれも大切だけど、下らない。
自分からしてみれば、すごく自分勝手だけど、人との縁というのは、船を固定するロープみたいに思える。
邪魔くさく感じるし、いつか切って俺は1人で海に出なくちゃいけない。シンプルに言うと死にたい。

まあ、それも全てタイミングの問題だよなとか言って、自分の下司な考えと行動を正当化してみる。
実際、自分が悪いことくらい分かってる。
でも、根源的に何が原因なんだろうと考えると、(いや、考えなくても知っているし、俺には分かるんだよな、実際は。でも、俺以外には分かってないのかもしれない。あの丸善の女性みたいに!)良い原因が思いつかなくて嫌になる。
そんな事を思って、家に帰った。

服を洗濯して、チルドの焼売を食べた。
この記事を書き終えたら、今日は終わり。
今日もいい日だった。毎日、明日が嫌だ。もうやめたい。でも、人と会う約束がある。それは楽しみだし、まあ、徐行で行こうよ。どこまでも。

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