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胸糞悪いトゥルーマン・ショーには俺が居なかった

先日トゥルーマン・ショーという映画をみた。
ざっくりとしたあらすじは以下のツイッターの通りだ。
https://twitter.com/ranpan21/status/1610915385527922688

結論から言うと、俺はこの映画の誰にも共感することができなかった。
俺の感じた胸糞悪い気持ちを話してくれる登場人物はついぞ出現せずに映画が幕を閉じてしまった。
残ったのは苛立ちを感じて、人に嫌な映画だったと話始めるだめな人間だった。

この胸糞悪くなった原因と獲得してしまった感情について書いていく。

トゥルーマン・ショーには大き分けて5つの立場が存在する。
①トゥルーマン
②トゥルーマン・ショーに登場するトゥルーマンではないキャスト達
③演出側
④元キャストでトゥルーマンを好きな女
⑤トゥルーマン・ショーを見る好意的な人たち

トゥルーマンは用意された舞台を本物の世界だと信じていたが、段々と世界に対して不信を募らせてゆき、車道に飛び出したり暴走運転をしたりする。
そもそもこのシーンがあまりにも胸糞悪かった。
世界すべてを疑うなどというのは、普通の人間であれば一度として経験せず、そのような感情は異常な考えとして処理されうるものだと私は思う。
ゆえに、そのような考えを抱かさせるきっかけを与えた番組というものが残酷で見ているのも苦しかった。

これが、まず初めに感じた感想だった。
ただ、ここまでで言えばメイドインアビスを見たときに感じた死に向かって主人公達が進んでいく姿を見たとき程度の、残酷な物語だなといった感想でとどまっていた。

しかし、この作品では⑤のトゥルーマンショーを見る側の人たちが存在する。
そして、この人達はトゥルーマン・ショーに対して批判的なことは一つも言わない。
作られた父親との再会で感動していたり。トゥルーマンの行動に文句を言って、先に~をしなきゃ。などという糞指示厨みたいなことを言ったりする程度だ。(本当にキモチワルイ)

④の女は唯一トゥルーマン・ショーなんて辞めろと言うが。キャスト時代にトゥルーマンに惚れたため、トゥルーマンと結ばれたいと思っているにすぎない。
この人物がトゥルーマンがトゥルーマンでなく、自分がキャストとしてトゥルーマンに合っていなければ⑤の人物達と同じ感想を持っていたとしか思えない。


結局

結局、トゥルーマン・ショーを運営する立場でなく、ただ傍観者の立場で居て、トゥルーマン・ショーという構造自体に文句を言う人は出て来ないのだ。
その一点がおそらく私にここまでの不快な感情を残していったのだと思う。
ただ、私自身はトゥルーマン・ショーの構造は別に悪くないと思っている。用意された人生を歩み、自分の知らないところで晒し者にされる日々というのは本人にそれを自覚させる機会が一切ないのであれば問題ない。どうでもいいと思う。
トゥルーマン・ショーでの問題点は神ではないのに神を演じたところ。
そう私は考える。

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