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変わらない日常を送ることに大きな価値がある

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:変わらない日常 】

「変わらない日常に価値がある」なんて、僕がわざわざ言わなくても、いろんな人たちが繰り返し主張しています。

それでもちょっと、僕は僕で考えてみます。それほど、僕にとっても、「変わらない日常」には大きな価値があるからです。

少し前提からお話しますが、「好きなことして生きる」とか「やりたいことをやりたい」なんてことが、ずいぶん前から世間を賑わせています。

でも、僕はこれを真に受けないほうがいいと思っています。

この言葉は、自分の中に「好きなこと」とか「やりたいこと」があることを当然の前提にしていますが、「好きなこと」とか「やりたいこと」が、自分の心の中に空から降ってくるわけじゃありません。

というか、そんな「天啓」みたいな出来事は、起きません。

イスラム教では、ムハンマドを、唯一神アッラーからの言葉を預かる者(=預言者)とみなしていて、その根拠として、コーランには、ムハンマドが神の声を聞いたエピソードが描かれていますが、そんな芸当は、「預言者」にしか不可能です。

僕みたいな、預言者にはなれそうにもない一般ピーポーは、神の声を聞けないまま一生を終えなきゃいけないんです。

悲しいですが。

神の声を聞けるのを待ち続けるのも自由ですが、残念ながら、人生の時間は限られていて、神の声を聞けるまでに、残された時間は、どんどん削られていきます。

だったら、神の声を聞くのを待つよりも、自分で「神の声」を近づけた方がいいです。

つまり、自分で「好きなこと」とか「やりたいこと」を見つけたほうがよくて、その方法こそ、「変わらない日常を送る」です。

「やりたいこと」とか「好きなこと」は、残念ながら、自分の日常の中にしか潜んでいません。

例えば、少し海外旅行したり、何年か海外留学したことで、「やりたいこと」や「好きなこと」が見つかるもんでもありません。

なぜなら、自分の人格は、日常から形づくられているからです。

どこに住み、何を食べ、何を着て、誰と会い、どんな職場(学校)に行くか、といった「日常」こそ、自分の写し鏡で、そこに「やりたいこと」や「好きなこと」が隠れています。

そして、大切なのが「遺伝子」の影響で、僕らは、遺伝子の「言いなり」とまでは言いませんが、強力に影響を受けていて、知らないうちに、自分の遺伝子に適した環境を選択しています。

「類は友を呼ぶ」という現象は、実は正しくて、自分の遺伝子に沿うように人間関係を築いているのです。

だとすれば、自分の無意識に従って日常生活を送るだけで、いつの間にか、自分に適した環境を用意することができ、その日常を送っていると、「やりたいこと」とか「好きなこと」が見つかっていきます。

日常に反吐が出ている人たちにとっては、反吐が出るような文章を書いてしまいましたが、僕は、「この日常を離れたどこかに、自分の理想や、好きなこと・やりたいことが隠れている」という幻想よりはマシかなと思います。

昨日のブログで書いたように、幻想の中で行き続ける(知識を仕入れずに生きる)権利はあるのんですが、幻想にしがみついてもドツボにはまって幸せが遠のいていきます。自ら苦しみに身を投げなくてもいいでしょう。

幻想を抱かず、現実を生きて、その中で、「やりたいこと」や「好きなこと」、「幸せ」を見つける。

僕は、そんな生き方のほうが好きです。人生や世界は、知れば知るほど残酷ですが、そんな残酷さを受け入れてなお、諦めなくて済む生き方を僕は選びたいからです。

それではまた明日!・・・↓

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