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リアルタイムの学び直し

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎回ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:振り返り 】

僕は、結構こだわりが強くて、好きになった著者の本を集中的に読んだりします。

「なんかいいな」と思ったら、その瞬間にスマホで図書館の蔵書検索ページにアクセスして著者の名前を打ち込み、図書館に蔵書がある本を、洗いざらい予約かごに移動させます。

こんな感じで、僕の図書館のマイページは、「積読」だらけとなっていきます。どれだけ積読しても、データなのでかさばらなくていいです笑

さて、突然ですが、僕は、「茂木誠」という先生の本を読むことで、歴史を学び直しました。

茂木先生は、予備校講師として働きながら、歴史に関する本も執筆し、なおかつ、YouTubeでも発信されています(こちら)。

そんな茂木先生は、YouTubeで発信を始める随分前から、ブログで発信されていました(こちら)。

今僕は、このブログを、最初から1つずつ読んでいます。僕は、橘玲さんのブログ10年分をすべて読破しましたが、これと同じような粘着気質・ストーカー気質をいかんなく発揮しています。

ブログにストーカーしても、誰にも迷惑にならないので、本当によかったです。何百回・何千回ブログにアクセスしても、茂木先生には全く迷惑がかからないので、ストーカーし放題です。

これが、茂木先生本人の住所を特定したり、つきまとったりしていたら、大問題ですが、幸運なことに、茂木先生本人の住所に全く興味ありませんし、つきまといたいとも全く思いません。

茂木先生の発信を受け取れば、僕はそれで十分です。誤解を恐れずに言えば、僕は、茂木先生本人には興味がなくて、茂木先生の発信する文章(ブログや著書)、YouTubeの動画にしか興味がありません。

本当に、人物に対して粘着気質・ストーカー気質を発揮する人間じゃなくてよかったです。人に粘着・ストーカーしようとしても、犯罪になってしまいますからね・・・。

さて、前置きが長くなりましたが、茂木先生のブログを読んでいると、自分がリアルタイムで経験した出来事を学び直すことができます。

先ほど説明したように、僕が茂木先生のブログを読み始めたきっかけは、茂木先生の本を好きになったことですが、持ち前の粘着気質・ストーカー気質を発揮して、隅から隅まで時系列順にブログを読んでいくと、なんともまあ、自分が生きてきた時代の出来事を解説してくれていて、非常に勉強になります。

思えば、僕はとても幼稚でした。うつ病を患って少しずつ元気になってきた30歳ころまで、ずっと幼稚でした。

「幼稚」ってなにかというと、単純に、知識が不足していました。

考える前提となる知識が不足していたのです。だから、世界の出来事を、自分なりに分析することができませんでした。だから、何も考えることができませんでした。

その辺にいる「バカ」でした。何も考えず、ぼーっと毎日テレビを見ている「バカ」でした。

何も知らないくせに、「役に立つかどうか」を判断して、「役に立つこと」だけやってました。振り返ると、恥ずかしくて恥ずかしくて、自分で穴をほって入りたいくらいです。

恥ずかしい気持ちは消えませんが、まあ、それなりに若いうちに、自分の恥ずかしさを自覚できてよかったです。

僕も、今年で32歳になりましたが、これだけ生きていれば、リアルタイムでいろいろなことを見聞きしてきました。

リアルタイムで見聞きしていた当時は、見聞きした出来事を、自分なりに分析する能力はありませんでしたが、リアルタイムで見聞きしてきているわけですから、なんとなくは覚えています。

民主党政権が発足したり、
中国漁船が海保巡視船に衝突してきたり、
第二次安倍内閣が発足したり、

「こんなことが起きたなあ」というくらいの記憶しかなくて恥ずかしいです。

自分がリアルタイムで見聞きした出来事が、日本の歴史の中でどう位置づけられるのかとか、どのように捉えるべきか、なんていうことを考える能力が、見聞きした当時の僕にはありませんでした。

今、知識を得た上で振り返ると、民主党政権発足→中国漁船衝突事件、というのは、中国共産党が民主党政権を舐め腐っていたことの証左です。

リアルタイム当時の僕は、「中国共産党」が、どのような存在なのかすら、僕は知りませんでした。

中国共産党が、中国国民党を台湾に追いやる形で内戦に勝利し、毛沢東が中華人民共和国を建国したのが1949年ですが、中華人民共和国が国際的に認められるのは、ニクソン訪中の1972年まで待たなければなりません。

ニクソン訪中によって、米中が急接近しました。当時、日本は佐藤栄作から田中角栄に総理大臣が変わっていて、激動の時代でした。

佐藤栄作は、池田勇人の「所得倍増計画」を受け継ぎ、日本は高度経済成長の真っ只中でした。佐藤栄作は、沖縄の本土復帰を成し遂げ、その後継は、清和会の福田赳夫となるはずでした。

しかし、角福戦争の末、田中角栄が総裁に選出され、これ以降、長きにわたって、経世会(田中派)が自民党を牛耳ることになります。

経世会が自民党を牛耳ていたとはいえ、いちど、福田赳夫は総理大臣になったことがあります。しかし、日本赤軍が収監中の赤軍メンバーの釈放を求めるために飛行機をハイジャックした事件で、当時総理大臣であった福田赳夫は、「命は全地球よりも重い」なんてことを言って、赤軍メンバーを釈放してしまいました。そのため、非常に評判が悪いです。

ちょっと、自民党の派閥について書いてみます。

吉田茂→池田勇人という自民党の派閥は、もともと「自由党」で、宏池会と呼ばれ、伝統的な親米派です。軍事力を放棄して、アメリカ様の仰せのままに経済成長することを目指す人たちです。

佐藤栄作は、吉田茂についていましたが、池田勇人とは分かれて、別派閥だったようです。その後、後記の「清和会」に合流するようです。

田中角栄から始まる経世会は、土建屋さんが支持するする親中派です。

そして、鳩山一郎→岸信介→福田赳夫のラインは、もともとの「民主党」で、今は「清和会」と呼ばれています。安倍晋三も、この派閥で、小泉純一郎も、この派閥です。

吉田茂率いる「自由党」と、鳩山一郎率いる「民主党」が、反共産主義でまとまり(保守合同)、自由民主党が結成されたのが1955年なので「55年体制」と呼ばれます。

「55年体制」とは、保守合同によって結成された自由民主党内の派閥の論理で自民党総裁が選ばれ、その自民党総裁が日本の総理大臣として政治を担う体制を指します。

いろいろと書いてきましたが、やっと、こういった、自分なりに物事を考えるために必要な最低限の知識を手に入れることができました。

本当に「やっと」です。これくらいの知識は、本来、20歳くらいまでに獲得しておくべきでした。インターネットなんて、僕が物心ついた1990年代からすでに一般化していましたし、当時から、ちゃんとした本もたくさん出版されていたわけで、結局僕は、いくらでも「正しい知識」を手に入れられる時代を生きてきました。

僕は、明らかに遅すぎました。10年遅かったです。10年遅れですが、今やっと、「学び直し」「育ち直し」ができています。

「学び直し」「育ち直し」が、とても楽しいので、これからも「茂木先生が書いたブログへのストーカー」を続けたいと思います。

やっと2013年に突入しました。2019年までブログは更新されているので、残り6年分です。3年分読むのに3ヶ月くらいかかっていますが、ま、ぼちぼちやります。

それではまた次回!・・・↓

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前回のブログはこちら↓

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