見出し画像

国際競争力をつけようとすると、残酷になります。

【 自己紹介 】

プロフィールページはこちら
このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎回ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:日本は、みんなで貧乏になる道を選んだ 】

日本の落ちぶれが叫ばれて久しいですが、まあ、これは、日本人の大多数が選んだ道です。

日本人は、国際競争力を諦めています。もっというと、経済的に豊かになることを諦めています。

大多数の日本人が、お金がないことで悩んでいて、「もっとお金がほしい」と思っていますが、だからといって、売上をあげようとは思っていないのです。

なぜなら、経済的に豊かになると、成功と失敗の格差が大きくなるからです。

戦争でみんな貧乏になり、どん底から這い上がった高度経済成長期には戻れません。あんな時代はやってきません。すでに豊かになったあとに、さらに経済的に豊かになると、貧富の格差が広がるばかりです。

今の日本は、ある程度豊かになって、これ以上望むものがない(ように見えます。本当は、いろいろと時代は移り変わっていますが、僕たち庶民のレベルでは、満たされすぎて、ニーズを思いつくことすらできなくなっています。)

現代は「知識社会」で、知的能力が高い人、学力が高い人が、高収入を手にします。

知的な能力が低い人、学力が低い人は、それだけで、収入が低くなります。

もちろん、例外はたくさんあるでしょうが、そのたくさんの例外の何倍もの人たちが、↑の原則に当てはまっているので、平均をとれば、知的能力の格差と収入の格差は一致します。

経済的に豊かになろうとすると、知的能力のある人が、もっともっと金持ちになります。

結局、知識社会を前提にすると、経済的に豊かになれるのは、知的能力の高い人たちだけです。知識社会についていけない人たちの収入が増えることにはなりません。

これが、日本人にとっては、あまりにも気色悪いのかもしれません。

残念ながら、知的能力には、遺伝的に、大きな差があります。

まさに僕もそうでした。僕の学力は、明らかに勉強量に比例しておらず、遺伝子の恩恵を大きく受けていました。

あんまり練習しなくても、早く走れる人がいるように、あんまり勉強しなくてもテストで良い点数を取れる人がいるのです。

でも、この話って、非常に都合が悪いです。僕も、とてもバツが悪かったのを覚えています。少ない努力で、他の大多数のクラスメイトたちよりも圧倒的に良い点数を取るのは、やっぱり、子どもながらに気が乗りませんでした。

もちろん、自慢したい気持ちもありました。そこは子どもですから、正直です。とはいえ、少ない努力で高い点数をとったことを友だちに誇示するのがよくないことだという自覚はありました。

こういった、「もともと持っている知的能力の差」が、収入に直結するのが知識社会です。で、経済的に豊かになろうとすると、収入の差が、どんどん開くことになります。

アメリカなんて、まさにそうです。とてつもない経済格差が生じてます。中国もそうです。

中国は人権なんてありませんから笑、いくらでも働かせることができて、ついて来れない人は、さっさと解雇します。

そういった社会を実現できれば、日本の国際競争力は大きく上がるでしょう。知的能力の高い人達は、大きな収入を得ることができると思います。

でも、それが本当によい社会なのか、僕にはわかりません。

経済的に豊かになるのは、とてもいいことだとは思いますが、今のマインドだと、日本人の大多数が、それを受け入れがたいと思うでしょう。

「お金持ちにあやかる」とか「お金持ちのみなさん、あざーす!」ていうマインドをインストールできれば、非常に良いと思います。

貧富の格差を縮めるには、お金持ちからお金を恵んでもらう必要があります。だからといって、税率を上げればいいのではありません。

税率の高い国からは、お金持ちは逃げていきます。お金持ちは、お金があるので、外国に逃げるのなんて簡単です。税率を上げると、結果的に、庶民の税負担が増えるだけです。

だから、貧富の格差を受け入れて、お金持ちに「あやかる」生き方をしなきゃいけません。

それがイヤなら、自分の足りない脳みそで考えた、貧しい仕事を続けることになるでしょう。そのまま、貧富の格差を恨みながら死んでいくことになると思います。

そのほうが、プライドが守れるなら、それでもいいと思います。プライドが傷つけられるのは、とても苦しいですから。

ただ、この世界は、最初からとても残酷なのですから、うまく生きた方がいいと僕は思います。この残酷な世界で、何を「誇り(プライド)」に据えるのかって、非常に難しい問題ですが、その「誇り(プライド)」を守れる範囲で、お金持ちをうまく利用するのは、全然アリな生き方だと僕は思います。

僕は、なんでしょうかね。大切な人と過ごす時間が「誇り」なのかもしれません。その「時間」が削られるような話なら、迷わず蹴り倒したいです。

「ワークライフバランス」ていうことかもしれませんが、僕が守りたいのは「ライフ(プライベート)」ではなく、「誇り(プライド)」なので、ちょっと違うのかなと思ったりもします。

知的能力が低いと低収入になってしまうという、知識社会の残酷さを正面から受けとめて、だからこそ、能力の低い自分はどうやって生きていくか(最低限の「誇り」を守れる範囲で、どのようにお金持ちにあやかるか)、を考えるべきかなと思います。

ま、日本人が、「みんなで貧しくなる」を選んでいることも重々承知して、一緒に貧しくなってもいいのかなとも思っています。

僕は、本当の貧困を味わったことはありません。僕が生きているうちに、日本が再度貧困に陥るとは思わないので、普通に生きている限り、本当の貧困を味わうことなく、それなりに豊かに暮らせるでしょう。それを考えれば、まあ、ある程度貧乏になっても、ある程度豊かな暮らしを続けられそうです。

ある程度豊かに暮らしつつ、図書館で借りた本を読んでいれば、それもまたアリな人生なのかもしれません。

それではまた次回!・・・↓

*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*

前回のブログはこちら↓

僕に興味を持っていただいた方はこちらからいろいろとご覧ください。

━━━━━━━━━━━━

※内容に共感いただけたら、記事のシェアをお願いします。※このブログの内容は、僕の所属する企業や団体とは一切関係ありません。あくまで僕個人の意見です。

サポートしてくださると,めちゃくちゃ嬉しいです!いただいたサポートは,書籍購入費などの活動資金に使わせていただきます!