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「バロン・ダンスについて」(二年前期:文化人類学)

 私は、第13回授業の「伝統と観光人類学」に興味を持った。本レポートでは、特にインドネシアのバリ島の伝統芸能と観光の関係性について考えたい。
 文化人類学は、対象の民族文化が伝統的なものであることを前提に理解する姿勢が長く続いてきた。しかし、1980年代にE. ホブズボウムらの歴史学の分野から、従来の「伝統」の概念に疑問が投げかけられた。これを機に、儀礼や文化などの「伝統が発明される」現象に着目した、観光人類学などの研究が行われるようになった。
 観光人類学における代表的な研究が、インドネシアのバリ島の伝統芸能に関するものである。1920年代にオランダ植民地体制下にあったバリ島は、避寒バカンスのための観光地化を目指した。1930年代では、西洋の芸術家や研究者などの外部者と地元文化の接触が起こり、ケチャやバロン・ダンスといった観光客を主な対象とする芸能が創りだされた。
 バロン・ダンスは、バロン劇やチャロン・アラン劇などに際して踊られる。バロン劇やチャロン・アラン劇は、善の化身である百獣の王バロンと、悪の化身である魔女ランダの永遠に拮抗する戦いを描く。チャロン・アラン劇は、1890年頃に初めて演じられた影絵芝居を演劇化したものである。バロン・ダンスやバロン劇は、チャロン・アラン劇を観光用に圧縮し、1930年代から主に観光客のために上演されるようになった。
 文化人類学者の河野亮仙は、祭りの際のバロンが神聖視されるのに対し、観光用のバロンは神秘的な力がないとされ、寺院外で保管されている状況を述べている。また、一部の村ではチケット制採用や上演時間の短縮など、チャロン・アラン劇の上演形態の変化を通して、島民自身が観光客的になっていることを指摘している。
 一方で、バロンの芸能を実践するバリ島民は、能動的に芸能を演じ、決して消費的とはいえない関係性を築いている。『踊る島バリ』では、ある島民が幼少期、自主的にバロン芸能を実践するグループを立ち上げ、成人してからも仕事で遠征するときは併せて芸能を披露していると語っている。
 バリ島の人々は、クレオールな芸能のあり方を受容し、積極的に生活に取り込むことで実践を続けている。ある民族文化における芸能を、どれだけ伝統的であるかで判断することは、かえって対象の価値や意義を狭める行為でないだろうか。むしろ私は、対象の民族文化内部の人々が、どのように芸能を価値づけしているかを丁寧に捉えるべきだと考えた。

参考文献
吉田禎吾, 1994, 『神々の島バリ−バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能』, 東京:春秋社
東海晴美・大竹昭子・泊真二, 1990, 『踊る島バリ−聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち』, 東京:PARCO出版局

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