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「東日本大震災時に被災した民俗芸能への文化支援について」(二年前期:公共文化政策論)

○文化芸術振興(基本)法と文化芸術支援
 1997年に、超党派の国会議員による音楽議員連盟が母体となり、「文化芸術振興議員連盟」が結成された。その後、2001年に文化芸術振興議員連盟が提出母体として、「文化芸術振興基本法」が成立した。現在は、改正を重ね「文化芸術基本法」となっている。
 基本法は「心豊かな国民生活および活力ある社会の実現に寄与する」ことを目的とし、その実現のために、以下の三つの項目を整えるとしている。一つ目は文化芸術の施策に関する基本理念、二つ目は国および地方公共団体の責務、三つ目は文化芸術施策の基本施策である。
 また、基本法は、芸術文化振興の第一義的な担い手に国や地方公共団体を位置付けた。一方、基本法の2条第3項目では「文化芸術を創造し、享受することは、人々の生まれながらの権利である」と定めた。このため、基本法は、国主導の支援を説くと共に芸術家・芸術団体の自主性を求める矛盾を持っている。
 政府による法制上・財政上の措置を義務付けた第6条、省庁レベルを超え政府レベルで基本方針や情報の共有が行うとした36条も注目に値する。さまざまな分野を超えたやり取りによって、文化に関わる人間がジェネラリストになることを国から要求されているとも言える。

○東日本大震災時に被災した民俗芸能への文化支援について
 文化芸術基本法は、文化芸術振興のあり方を定めた意義と共に、国主導の支援を説きながら芸術家・芸術団体の自主性を求める矛盾を孕んでいる。特に、この矛盾が現れたと考えられる具体的な事例として、私は「東日本大震災時に被災した民俗芸能への文化支援」を挙げたい。
 震災後、被災した無形民俗文化財への復興支援が進められるにあたって多くの課題が克明になった。今石みぎわは、その中でも、特に二つの点に注目している。一つは無形民俗文化財の所在情報が集約されていなかった点である。もう一つは、慢性的な人材や組織、資金不足、ネットワークが未構築の状況があった点である。
今石は、文化財の指定基準の上では、無形の民俗文化財の場合は未指定のものも国指定文化財と同等に保護の対象になり得ると述べる。にもかかわらず、「変化していくこと」を前提とした無形民俗文化財が対象であるゆえに、どのように「保護」または支援していくかが不明確であったという。
 一方、東京文化財研究所保存科学研究センターの小谷竜介は、指定無形民俗文化財への支援を出発として、文化財という範囲内で行政が関わる民俗芸能への復興支援(地方行政による用具整備や発表の機会づくり)が成立したと述べている。しかし、小谷は、民俗芸能の文化財化は、芸能を地域社会から切り離し「文化保存・保護」の視点へ一極化させてしまうことを指摘している。
 その上で、小谷は、「両者の折り合いについては、文化庁が歴史文化基本構想などで結びつけようとする動きに読み解けるが、必ずしもうまくいっているとは言えない状況にあろう」と評価している。また、今石も、無形文化遺産に対する復興支援の活動体は、組織に比べ「その多くが個人の努力と善意と情熱によって支えられていたという印象が強」かったと述べている。
 これらのことから、震災時の東北では、各地域における民俗芸能(=無形民俗文化財)の情報、人材や組織、地域や団体間のネットワークが不十分であった様子が伺える。そして、実際の民俗芸能への支援活動主体は、地域行政や特定の組織ではなく、個人が主であったようである。
 行政による支援の事例においても、「保護」や「保存」といった視点に立ってのことであり、地域住民の創意工夫による「変化」に目を向けた支援は少なかったようである。実際、平成24年に文化庁文化財化による「歴史文化基本構想」の策定技術指針では、保護・保存を重視した上での文化財活用が提唱されている。
 以上のことから、現代において民俗芸能への支援を考えるとき、「文化芸術振興」と「文化保存」の視点が入り組んだ地点に立たねばならないことがわかる。つまり、行政と市民との間で、両方の領域へアプローチをすることができるジェネラリストが求められているのである。
 2011年3月11日の東日本大震災後、岩手県文化財保護審議会委員を務めた橋本祐之は、被災した多くの岩手県の芸能団体と支援団体・基金をつなげてきたという。その中でも橋本は、自らも助成申請を多く手伝ったという、日本財団による「地域伝統芸能復興基金(まつり応援基金)」の活動を取り上げている。
 日本財団による「地域伝統芸能復興基金(まつり応援基金)」は、日本音楽財団のストラディバリウス売却資金を活用するべく設立された。日本音楽財団は、東日本大震災にあたって、「公益財団として何をすべきかを考えた」とき、「所有するなかで一番高価で歴史的にも貴重な楽器を売却してその支援に充てたい」と考え、弦楽器ストラディバリウスの名器をオークションで売却し、全額を日本財団に寄付した。この売却資金が、基金の元金となっている。
 橋本は、釜石虎舞保存連合会に山車と太鼓を購入する資金として約2300万円、大槌町郷土芸能保存団体連合会に約7600万円を仲介によって助成することに成功した。日本財団の復興基金は、無形民俗文化財未指定の事例も含めて全額助成するものであった。しかし、橋本は、支援対象として連合組織であること、活動再開が具体的に計画できる民俗芸能団体が想定されていたことに課題点を見出している。以後、支援をしてくれる組織が増えていったが、条件や助成上限金額に難のあるものもあったという。このため、「支援格差」と呼ばれる、民俗芸能団体間の差が生まれた。
 一方、橋本は「奈奈子祭」という郷土芸能祭を、震災後に立ち上げている。奈奈子祭は、橋本含め奈奈子祭実行委員会を母体に、2013年に実現した。内容としては、桜舞太鼓や鵜鳥神楽などの釜石市周辺の民俗芸能が中心に、早池峰岳神楽などの芸能団体をゲストに、岩手県内の民俗芸能が披露された。その目的としては、昔に各地を巡業する神楽の宿であった場の復活、「私たちの祭り」の構築、被災地にお金が回る仕組みづくりなどを挙げている。
 このように、橋本のようなジェネラリストが、震災後の東北における民俗芸能支援の前例を構築しながら、被災した地域の新たな文化芸術振興の場を、民俗芸能を通して創出していったことは興味深い。「保存・保護」の観点から芸能団体と助成組織をつなげつつ、「文化芸術振興」として郷土芸能祭を中心に地域内のコニュニケーションや経済が回るようなシステムづくりのノウハウは、橋本個人だけでなく、各々の芸能団体の人々に共有されただろう。
 私は、沖縄にとどまらず、日本や世界の民俗芸能に興味がある。なぜかというと、その芸能が生まれ変化していった時代や地域文化の連続性の先に、現在の音楽文化があるとも考えられるからである。このことから、私は、民俗芸能を実践しながら考えることで、過去の文化について考えると同時に、今後変化していく未来の文化を構想したいのである。
 そのような観点に立ったとき、「文化保存・保護」と「文化芸術振興」の両側を行き来し助成申請や公演企画などを実践した、震災後の民俗芸能支援に携わった人々の思考や活動は、非常に示唆に富んでいた。

<参考文献>
書籍
小谷竜介, 「文化財化する地域文化−大規模災害後の民俗文化財をめぐる対応から」, 高倉浩樹・山口睦, 2018, 『震災後の地域文化と被害者の民族誌−フィールド災害人類学の構築』, 新泉社:東京
今石みぎわ, 「生きた文化財を継承する−無形文化遺産と被災・復興」, 高倉浩樹・山口睦, 2018, 『震災後の地域文化と被害者の民族誌−フィールド災害人類学の構築』, 新泉社:東京
橋本裕之, 2015, 『震災と芸能−地域再生の原動力』, 大阪:追手門学院大学出版会

インターネット
pdf『むすび つなぐ〜伝統芸能と復興への軌跡』(閲覧日2022年8月6日)
https://www.nippon-foundation.or.jp/media/archives/2018/news/articles/2013/img/48/48.pdf
pdf『「歴史文化基本構想」策定技術指針』(閲覧日2022年8月6日)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/guideline.pdf

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