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読書記録#2:「貧乏人の経済学」

これで二回目の読書記録になる。改めて、この読書記録を残す理由は、読書をインプットだけで終わらせずにアウトプットすることで記憶の定着率を高めるためだということを書き始める前に自分に言い聞かせたい。

今回は、貧困や開発に興味があり、近い将来、この問題の解決に少しでも力になれる存在になるべく、大学の友達と一緒に「読書会」を行いながら読み進めた「貧乏人の経済学」を記録していく。

「読書会」とは、同じ本を読み進めて、集まり感じたことや自分の意見を共有し合う会だ(詳細はいつかの週末日記で書いたためそちらを参照)。この会を通して、一人の読書では経験することができない利点があることを知ることができて、感謝しかない。これからも積極的に続けていくことにする。

では、本題に入っていくことにしよう。主に、自分が残しているメモをベースにしてここに記録していく。飛ばしている章や内容もあるため、興味がある人は自分で読んでいただきたい。

*英語で読んだため、日本語版の言葉遣いと違う場合があるのでそこはご了承いただきたい。

1. 貧困に対する人々の意識

まず第一章では、貧困とはなんなのか、人々はそれに対してどのように感じているのかなどが描かれていた。

人々の反応として印象に残ったのは、寄付を募るポスターに対する人々の反応だ。その研究では、とある地域での全体的な貧困データを書いたポスターと、その地域に住むとある子供にフォーカスし、「この寄付はこの子を助けることができます」というようなニュアンスのに種類のポスターが使われた。

それらをみて寄付を行った人数、寄付総額を比較したところ、後者が圧倒的に多い寄付を集目ることができた。

ここで推測できることは、一般的に扱われる貧困を表す指標というのは自分たちの生活に結びつけることが難しいがために、自分の問題として捉えることが難しいということだ。さらに、このポスターで言うと、自分の寄付したお金がどのように使われるのかわからないといくらいいことをしていても人々の支援は集まらない。

さらにこの章で著者は「解決策を考えずに、特定の課題についてああだ、こうだと議論を行うことは前進ではなく麻痺だ」と主張している。

僕はこの言葉に強く同意する。貧困はダメだ、可哀想だ、あれが原因だと議論し、現状を変えれるような実行に移さないのなら、社会は対して変わらない(変わるとしたら人々の関心だけだろう)。それが悪いこととは微塵も思わないが、それは自己満足以外の何事でもないことは事実だ。

本当に変えたいと思うならば、行動のための議論をするべきだと思う。

2. 貧困の罠

この本では貧困から抜け出すことができない理由について、健康、教育、コミュニティー、家族など多種多様な角度から検討している。

それらの根本的な原因として、この著書の冒頭で「Poverty trap (貧困の罠)」と言う言葉が使われていた。これはジェフリー・サックスという経済学者が提唱している理論である。

名前の通り、貧困を抜け出すにはこの罠からの脱出が不可欠である、ある一定のライン(罠)を超えることができれば、部外者の力なしで自律的な発展が可能である。その罠から脱出するための外部のからの支援が有効な解決策である。簡潔に述べるとこういうことを言っている。

本書ではこの理論へ批判を示している学者の記述もあったが、僕は大まかに言ってることとしては、ジェフリーさんに同意しているためその記述はここでは控えることにする。

3. 健康と貧困

健康と貧困には強い相関がある。

例えば、ある研究によると、身長が高い子供ほど脳の発達が早く、学力も高いということがわかる。これは単に身長が高い=頭がいい、と言っているわけではなく、栄養を十分に摂っているこども、最大限の栄養を摂取している子どもが賢くなるということを証明している。すなわち、栄養失調は子どもの知的発達に悪影響を及ぼすということだ。

これを読んだ時、「富むものはさらに富み、貧しきものはさらに貧しくなる」というマルクスの言葉を思い出した。

お金がない子どもは十分な栄養を摂取できずに、学力の差が生まれる。さらに、ある家庭では学校に通いながらも労働力として家庭を支えるために働いている子どももいる。もちろん学習時間を削がれ、学力が伸びないのは想像できるだろう。

他には、マラリアなどの疫病の予防接種に関する事例が取り上げられていた。

マラリアなど主に途上国で流行っている疫病は予防接種を打っていれば問題ない(死には至らない)と言われている。

しかし、多くの人々はNGO団体による格安(無償もある)の予防接種ができる機会を与えられても、3割弱の人しか打ちに来なかった。これは貧困層の人々は長期的な視点を持てないことがこの原因の一つとして挙げられていた。

病気にかかればその日のうちに治してくれる、または薬を提供してくれる医者(ヤブ医者も含む)に見てもらうことが日常で、予防接種を打とうとしないのである。
さらに、これと似た現象として、彼らはお金があれば食材を多く買いストックしておくのではなく、美味しくて豪華なものを買う傾向にあることが分かった。論理的に考えると、生きていくために多くの食材を買って少しずつ食べたほうがお金も溜まるし、貧困から抜け出せるのではないか、と思うがそんな単純な話ではないらしい。

これは貧困家庭と言われる層に限らず、先進国に暮らす人たちにも、ある程度は似たようなことが言えると思う。コンビニでお菓子を買ってしまったり、インフルエンザの予防接種をしなかったり、夏休みの課題をギリギリまでやらなかったりと、同じではないか。

彼らは、危機感を感じていない、理解していないのではない。理解しているが行動に移せないのだ。長期的な投資を促すにはその人の考え方を変える必要があるが、それはほぼ不可能に近い(または非効率)だと感じている。ある発明家(名前は忘れてしまったが)が「人の考え方を変えることは不可能だが、考え方を変えるようなツールは提供できる」と言っていた言葉を思い出す。

4. 貧困問題を解決するための政策・事業

貧困を解決しようとしている団体は世の中に多く存在する。NGO、政府、営利企業、非営利団体などがそれらに該当する。

この本では主に、政府による政策がどう行われているか、どうあるべきか+貧困を解決するビジネスの代表例としてのマイクロファイナンスがそれらの代表例として詳しく説明されていた。マイクロファイナンスについては過去の記事で詳しく説明したことがあるのでそちらを参照してほしい。

これらの章で話されていた、途上国での政治状況や、マイクロファイナンスの欠点と限界とは別に、僕が強く感じたことは「適材適所」の重要性だ。詳しくいうと、どういう手段で、何を解決するかによって機関を適切に設定しなければならないということだ。

例えば、途上国での保険(災害保険、生命保険、医療保険、金融保険)は精査するためのデータが不足しているがゆえに、プレミアム(手数料)が普通の人より多くかかり、毎月の支払い金額も大きくなる傾向にある。そのため、多くの人々は保険を契約しない。これは、何かそも“データ”を知ることができるブレークダウンが起こらない限りは変わることはないだろう。よって、このような保険を使ってもらうためには、その手数料を減らすための“犠牲”が必要になる。もちろん、革新的なアイデアがあれば、営利事業が利益の出るビジネスを作り上げて持続可能な環境を作り出すことが最善だが、現状、そのようなビジネスは広がっていない。
すなわち、何かしらの“犠牲”を払ってこの問題に取り組まなければならないということだ。

この“犠牲”とは、営利企業がビジネスによって生み出す利益ではなく、政府やNGOなどが、税金や寄付などを募って使うお金のことを指している。ビジネスだけでは解決できないことは、貧困のような複合的に原因が入り混ざった課題に多い。

NGO(NPO)、政府、企業、それぞれがその団体だからこそ取り組める事業や支援を行うべきである。不得意な領域でいくら頑張ろうとしても、他にさらに円滑に進めることができる機関、団体があれば、そちらに任せた方がインパクトは大きい。

今までは正直、NGOと営利企業の差を「お金を稼ぐか」または「慈善として無償で支援するか」といった価値観でしか差別化できていなかったが、この本を通してそれらに対する認識が大きく変わった気がする。近い将来、貧困問題を解決したいと志した時、どのような形態で運営していくかを第一に考えずに、課題に対して適切な運営方法は何か、といった見方をしようと感じた。

締め

今の資本主義というのは、実力主義で頑張った分だけ評価される平等な世界のように見えるが、一度競争から落ちてしまうとそこから抜け出すことが難しいという側面も持ち合わせていると思う。個人的な話になるが、最近、漫画のキングダムを見ていて、「奴隷の子は奴隷、王族の子は王族」という似たような言葉が出てきた時も同じことを感じた。

こんな構造の中では、失敗を恐れ、何かに挑戦する人が少なくなり、その小数が挑戦して失敗し、どん底から抜け出せなくなった状況を見て、さらに挑戦者が少なくなる、という負の連鎖から抜け出せなくなってしまう。

この問題を解決するには、もちろんその場しのぎの対策も必要であり、無意味なことではないが、真の解決はシステムをリデザインすることだ。これは相当な時間と大きなイノベーションを要する。

貧困についてもすでにいくつかの本を読んできたが、すでにいろんなところで多岐にわたる団体が解決に取り組んでいる。社会は少なからず良くなってきていると思う。しかし、テクノロジーの発達とともに、絶えず新たな問題が次々と発生するだろう。この“課題の解決”をより素早く、効率よく解決するためには、繰り返すが、システムの再構築が必要だ(迎撃システムのようなもの?)。課題が生まれるのは、当たり前だとして、その課題を解決する策を素早く作り上げることができる“何か”だ。

今の資本主義では、お金の集まるところに、人、情報、技術が集まり、ものすごいスピードで発達していく(逆も然り)。今は“お金だけ”が中心の世界だが、これを“社会貢献”や“世界に良いこと”、“人々の幸せ”に変えることができればさらに持続可能で住みやすい世界になるのではないかと空想をしながらこの記事を締めようと思う。

ここまで読んでくれた、ちょっと変わったあなた、本当に心から感謝します。主にnoteは「自分の感情の記録帳」として書いているものなので、偏見や誤りが含まれているかもしれません、が、ぜひそこも含めてこれからも引き続き見てくださると嬉しいです。

では。また次の記事で。

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