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【5分で読める#07】 Chinese Tallow Tree

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第1ホール


 ナンキンハゼが枝いっぱいに白い実をつける頃、おれはスタートマットに置かれたグラウンド・ゴルフのボールをクラブで目一杯叩いていた。
 カァン!という乾いた心地よい音と共に、黄緑色のボールが勢いよく芝生の上へ飛び出していく。球筋、速度共に申し分ない。ボールはホールポストに向かって一直線に転げていく。

 入れっ!おれは心の中で思ったつもりだったが、口に出ていたようだ。声は師走の晴天に吸い込まれ、おれの打ったボールはカツンと音を立ててホールポストに入った。ホールインワンだ。
 よぉし!これは自然と口に出た。ふと振り向くと、今日一緒にホールを回ることになったユウコさんも喜んでくれている。

 今日は幸先がいい。良い一日になりそうな気がするぞ。そんなことを考えていた。


第3ホール


 グラウンド・ゴルフを始めたのは2年前のこと、退職してからは5年経った頃だった。仕事人間だったおれは、退職してから完全に目標を失っていた。日々がただ何となく過ぎ去り、朝起きてから寝るまで同じことを繰り返すなんとも密度の低い毎日を送っていた。
 退職してからは自分の好きなことをしようとあれだけ色んなことを考えていたはずなのに、いざその立場になってみると行動に移すのはとにかく億劫だった。それが燃え尽き症候群であると、当時のおれは全く気付いていなかったし、もしそうだと言われたとしても認めなかっただろう。

 転機が訪れたのは、いつもと違う散歩コースを歩いた日のことだった。その日に河川敷で行われていたグラウンド・ゴルフを見かけたことがはじまりだった。

 いや、正確にはグラウンド・ゴルフに興じるとある女性を見かけたのがはじまりか。あれはちょうど今と同じ師走の時分だったはずだ。彼女は鍔広つばひろの白帽子を冠り、水色のダウン、鼠色のズボンを履いていた。打ったボールが今しがた旗の立った所に入ったようで、彼女はとても喜んでいた。
 喜ぶ笑顔がとても眩しく、おれは年甲斐もなく見惚れた。

 それがユウコさんとの出会いだった。


第5ホール


 グラウンド・ゴルフはスタートマットと呼ばれる緑色のマットからボールを打ち、旗の立ったホールポストと呼ばれる円の内側により少ない打数で入れることを競う競技だ。ホールの長さは50m、30m、25m、15mの4種があり、それぞれ各2ホールずつ、計8ホールの合計打数で勝敗が決まる。ちなみにホールインワンは合計打数から3打差し引かれるオマケが付くため、かなり大きな有利を取れることになる。
 この競技は筋力の差がプレーにあまり大きな影響を及ぼさないため、男女間での有利不利が出にくい。現にユウコさんはおれより数ヶ月早くこの競技を始めただけなのにとても上手だ。元来、彼女は器用だったのだろう。今日もナイスショットを連発し、気が付けばホールインワンを決めたはずのおれと2打差まで追いついてきている。

 今日は負けたくなかった。負けたくない理由があった。もし、今日おれが彼女に勝てたら上達のコツをこの後こっそり教えてもらえることになっていたからだ。
 彼女からしたら、なんとなく持ちかけた勝負だったろうが、おれとしてはやる気が出た。よっしゃ!勝つぞ!そう思った。


第7ホール


 ユウコさんもおれと同じく数年前に退職した口で、もう十分に大きくなった子どもたちもいる。おれだって家に帰れば女房がいるし、年末年始には遠くへ嫁いで行った娘たちがチラホラと帰ってくるだろう。

 これは浮気か?不倫か?と言われれば違うはずだ。そりゃ下心がないと言われれば嘘になるが、別に相手と結婚したいわけでもないし、寝たいわけでもない。こうして一緒にホールを回っているととても楽しい、ほんの少しの会話がうれしい。ただそれだけなのだ。

 おれの色の少ない日々にほんの少しの紅いインクが落ちた。それが滲んでほんのり周りが明るくなった。そんな感じだ。

 「やった!」と声がして、ふと隣を見ると彼女が喜んでいる。
 あぁしまった。ついに1打差まで迫られてしまった。


最終ホール①


 最終ホールは50mのロングホールだ。先程は筋力の差が出ないと言ったが、やはりロングホールは男の方が多少は有利だ。グラウンド・ゴルフは広場や空き地など、場所を選ばずにどこでも楽しめる競技であるが、その分その土地の影響を受けやすい。今日の会場はそこここに起伏があるために、ボールが変則的に変化して筋が読みづらい。ロングホールともなれば尚更だ。
 おれは距離感だけ間違わないように、クラブに力を込めて振り抜いた。

 カァン!

 よしっ!いい感じだ。今日のスイングの中では一番の好感触を残してボールが芝生へ滑り出していく。筋も力もぴったりだ。ボールはみるみるホールポストに向かっていく。

 入れっ!力強い声が出た。後ろからは、わぁっ!っというユウコさんをはじめとしたみんなの声が聞こえた。

 入ったか!?

 ボールは止まったようだが、ここからだと遠くてよく分からない。近付いて見てみると……なんと……ほんの少しオーバーしていた。どうやら一度ホールポスト内に入った後に外へ出てしまったようだ。
 あぁっ。思わず悔しさが口をつく。しかしまぁ、次で入れられるのは確実なので、おれはホッとしてもいた。これでユウコさんとの勝負はほぼ勝ちなのだから。


最終ホール②


 ユウコさんの打順になった。緑のスタートマットの横に立ち、真っ赤なボールをそこへ置いてクラブを構える。白の鍔広帽子は彼女のトレードマークだ。今日もよく似合っている。
 力みのない柔らかなスイングから、ボールが軽やかな音を立てて打ち出される。いつ見ても綺麗なスイングだ。

 いや待て、そんなことを考えていたらボールはどんどんホールポストへ引き寄せられていった。これはまずい。ややっ!!

 カツン……。

 なんと、彼女のボールはおれのボールに当たって止まった。しかもそこはホールポスト内 ─── つまり、ホールインワンだ。
 大逆転。今日の勝負もおれの負けだった。

 こればかりは最後の最後で素晴らしい一打を決めた彼女を讃えるしかないだろう。彼女から上達のコツを聞くという絶好のキッカケを逃したのは惜しいが、仕方ない。悔しさを押し殺す。

 おれは笑顔で「おめでとう」と、そう言おうと思った。しかし、ホールポストに近づいてくる彼女の顔を見たら途端になんて声を掛ければいいか分からなくなった。そして何より、おれの心臓が変に高鳴るのが分かった。

 「どうしてそんな顔をしているんだ」

 笑いながら彼女へ声をかけるが、こんな感情になるのはいつ以来だろうか。もう思い出せない。

 師走の空っ風がおれの頬に強く強くぶつかってくる。

 鍔広帽が宙に舞い、ナンキンハゼから純白の実が落ちる音がした。


ーーおしまいーー


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100円→今日のコーヒーを買う。 500円→1時間仕事を休んで何か書く。 1,000円→もの書きへの転職をマジで考える。