通勤電車というミクロコスモス

……おう、タイトルに負けそうだな。

去年の師走から、電車通勤になった。それまでは自転車で10分もかからないご近所で働いていたので、慣れるまでに結構時間がかかった。とはいっても、平日は毎日乗るので慣れ云々ではなく体はその場にいたわけだけれども、頭の中での理解が追いついていなかったように感じる。

出社時間に合わせて電車に乗ると、いわゆる「朝のピーク時間帯」にばっちり重なる。これはもう、どうしようもない感じもある。例えば行き先が学校なら、早めに登校して読書の一つでもしたいものだけれど(実際に学生時代はよくそのように過ごしていた)、私は非正規雇用の鍵を持つ権限のない民なので、会社に早く着いても扉の前で立ち尽くすしかない。ベンチの一つでもあればよいが、まあ、ない。屋外。寒い。
したがって、朝のピーク時間帯の中でも気持ち早めの電車に乗る。あまり早すぎてもいけない。扉の前のヌシみたいになるから。頼まれてもいないのに勝手に門番みたいになってしまうから。寒くて顔が険しくなってより門番具合が増すから。

……全然本題に入っていかないな。びっくりしたわ。
そう。朝のピーク時間帯の電車の、人口密度ってすごい、と。ありきたりな話題ではあるけれども、初めて電車通勤するようになってやっとわかった。この異常。
多分、慣れたくなかったんだと思う。「これに慣れたら私は人として大切な何かをなくす気がするね?」という謎の問いかけが常に心のすみっこにあった……と思う。
正直、今も慣れたと胸を張って言える感じではない。好きでもない。パーソナルスペースがすごく広いので、至近距離に他者がいるだけでわりと心がチリチリする。
けれども。毎日毎日チリチリしてばかりいると、気づいた時にはボヤ騒ぎの可能性大なので(どういうこと?)、何か楽しみを見出す方向にシフトした。

人間観察である。
満員電車の人間観察は、極めて狭い範囲でしか行えないからこそ、密度が高く一人一人に集中できるメリットがござる(急なサムライスピリッツ)。
ここで、二ヶ月ほど人間観察を行ってきた結果を考察していきたい。

まずはスマホの民。
これは群を抜いて数が多い。なぜ、今、この押し合い圧し合いの窮屈空間でスマートフォンを操作する必要があるのですか?と、詰める目的ではなく純粋に興味があるので聞きたい。電車を降りてからではだめなのだろうか。他者に画面を覗かれてまでも見るべきものとは一体。さすがに人様の画面を覗き込むのは失礼なので自分から行うことはしないけれども、先日イヤホンから爆音でBGMが鳴り響いていた方のスマホは遠慮なく覗いた。ゲーム画面だった。ゲームって楽しいよね、わかる。わりと他者と密着しててもやりた……いか?私はやりたくない。直近のわかる取消。
降りてからやらない?電車降りたあと階段も下りてから安全な平地で他者と十分に距離をとってからやらない?ねえ?あと音量は小さくしないと耳に負担かけすぎてそのうち耳からの大逆襲あるよ?

失礼。

……こんなぐだぐださで1000文字を越えてしまうだなんて。
次回に続くかはわからないけれども、一旦区切ることとする。
明日も人間観察を楽しむぞ。

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